尾久車両センターでのイベント、本当は六本木に行きたかった

この日は、尾久車両センターで行われたふれあい鉄道フェスティバルに行ってきました。

この時に大宮総合車両センター(東大宮センター)所属の185系(草津、水上、あかぎ号を中心に使われている)のOM03編成(クハ185-206F、湘南色)が休憩用車として車内が解放されていました。

この時の表示は回送だったのが惜しまれたけど、撮影出来て良かったと思っています。

湘南色リバイバル編成は、一昨年9月に出場し、同年10月9日,10日に、草津号運転開始50周年を記念して、かつての80系がイメージされた塗装での臨時草津51号、11日の草津52号に使われていました。

実際に80系が使われていた頃は、長野原線(現、吾妻線)が電化されていなかったので、渋川〜長野原間で蒸気機関車(SL)のC11型またはC58型による牽引が行われていました。

185系200番台は、今から30年前の1982(S57)年6月23日の東北新幹線の大宮〜盛岡間の暫定開業の時に、上野と大宮をノンストップで結ぶ新幹線リレー号(新幹線連絡専用列車)で本格的にデビューしていました。当時は新前橋電車区(現、高崎車両センター)に16編成集中配置され、塗装は、前年の1981(S56)年にデビューした踊り子用の斜めストライプ塗装に対して、真っ直ぐな緑帯となっていました。国鉄時代には、先頭車に塗装によるJNRマークがあったけど、1987(S62)年4月1日に国鉄からJRとなった時に塗り潰されていたし。

同年11月15日の上越新幹線の開業の時の改正からは、特急谷川(現、水上)、白根(現、草津)、あかぎ号にも使用されるようになっています。

1985(S60)年3月14日には、東北・上越新幹線の上野への延長開業により、新幹線リレー号が廃止され、200番台の4編成が田町電車区(現、田町車両センター)に転属され、玉突きで183系が長野運転所(現、長野総合車両センター)に転用されていました。

その他の編成は、上野発着の新特急谷川、新特急草津、新特急あかぎ、新特急なすの号と言った中距離特急(一部急行からの格上げ)の運用に専念されるようになりました。

新特急の名称は、今から10年前の2012(H14)年12月1日に特急に統合されるまで使われ、変更前の愛称表示にも新特急の表示がありました。同時にJR東日本で、国鉄から継承されたL特急が全て特急に変更されていたし。

東北本線(上野〜黒磯間)を走っていた新特急なすの号は、1988(S63)年3月13日の改正(JRグループ初のダイヤ改正)での快速ラビット号と快速スイフト号(現、通勤快速)の登場により削減され、1990(H2)年3月10日には新宿〜黒磯間の1往復となり、田町区の185系の7両編成に変更されていました。これにより1988年に2編成、1990年に1編成が田町区に転属され、新前橋区の185系が9編成となっていました。

1995(H7)年から1996(H8)年に掛けて、新前橋区の185系のリニューアル化が行われ、上毛三山(赤城山榛名山妙義山)がモチーフとされた塗装(モントレー色)への変更、普通車座席のリクライニング化、前面の愛称名表示の一新などの改良が行われていました。

1995(H7)年12月1日に東北新幹線になすの号(東京〜那須塩原間)が登場してからは、新特急なすの号が新特急ホームタウンとちぎ、おはようとちぎ号に変更され、一昨年(2010(H22)年12月4日の改正で廃止されるまで運転されていました。

1997(H9)年10月1日の長野新幹線の開業に伴う改正で、上越新幹線のたにがわ号(東京〜高崎、越後湯沢間)の新設(先代とき号から変更)により、新特急谷川号から新特急水上号に変更されたけど、利用客の減少により、一昨年12月4日の改正で臨時列車に格下げされていました。

185系高崎車両センターから大宮総合車両センター(東大宮センター)に転属されたのは、2006(H18)年3月18日の改正のことで、その前年の2005(H17)年12月10日の改正で新前橋電車区から高崎車両センターに変更されていたので、高タカの表示が短命となっていました。

一昨年10月に湘南色185系が好評だった為に、今年3月には、OM08編成(クハ185-214F)が157系日光・あまぎ型車両がイメージされた特急色に変更されていました。

自分は行かなかったけど、10月27日に高崎車両センター(新前橋)で行われたイベント(新前橋わくわく体験トレインフェスタ)でモントレー色、湘南色、特急色の185系の並びが披露されていました。

湘南色185系は、グリーン車の緑帯も再現されているので、165系で運転されていた急行東海号の晩年の姿を思い出しました。

このイベントでは、休憩用車として開放されていたけど、な・ん・と、グリーン車も開放され、その座席に座ることも出来ました。

グリーン車が開放されないことが多い中、このようにグリーン車の車内が開放されたことは嬉しかったです。

当然座席がすぐに埋まっていて座りづらい状態だったけど、珍宝僧氏が確保してくれたお陰で座ることが出来ました。

185系グリーン車は、新幹線リレー号として運転されていた時は、新幹線のグリーン券を持っている乗客や、お年寄りや身体の不自由な乗客への優先車両で、リレーガールと呼ばれる女性乗務員(グリーンアテンダントの先駆けでもある)が乗務していました。その普通車も、新幹線の大宮発着の特急券が無ければ乗れなかったです。

東北新幹線が開業20周年を迎えていた2002(H14)年6月23日には、上野→大宮間で、田町区と新前橋区(当時)の185系によって新幹線リレー号があおばリレー号として臨時の表示でリバイバル運転され、大宮で、200系12両編成による想い出のあおば号(大宮→仙台間)に接続していました。

リバイバルされた新幹線リレー号は、グリーン車を含めて全車自由席で、想い出のあおば号の指定券が無くても乗れたので、自分は想い出のあおば号に乗っていた友人のF都市氏と一緒に上野から大宮まで田町区の車両の普通車に乗ったことを覚えています。

グリーン車ホームライナーと同様に普通車扱いで開放されていたことによりグリーン車から座席が埋まっていました。

あの時は残念ながらグリーン車に乗ることが出来なかったので、F都市氏と共に尾久のイベントでリベンジすることが出来て良かったです。

グリーン車の座席は、田町車両センター大宮総合車両センター所属車共にリニューアル化によって交換されているので、シルバーカーの面影が薄れています。

リニューアル化される前の普通車の座席は、転換クロスシートで、リクライニングしない面で見劣りがしていました。

大宮総合車両センター所属の185系は、1997(H9)年9月30日に廃止された信越本線の横川〜軽井沢間(EF63型電気機関車による協調運転)でも活躍し、高崎〜長野間での快速信州リレー号にも使われていました。横軽区間の廃止当時はその名残である高崎〜軽井沢間の普通列車に使われていました。横軽区間の廃止後は、高崎〜横川間に短縮されたけど、現在は185系の横川乗り入れが廃止されています。

田町区の185系は、東京7時24分発伊東行きの普通列車である521M(伊東発東京行きの特急踊り子102号の送り込み運用)にも使われています。編成は、7両のB編成(日曜日は10両のA編成)+5両のC編成(東京→熱海間)で、グリーン車でのSuicaの扱いは、車掌さんによる端末機による対応となっています。

土休日を中心に田町車両センター所属の185系7両編成が使われている臨時特急はまかいじ号(横浜〜横浜線経由〜松本間)は、ATC区間を通る関係により、D-ATC装置付きのB3,B4,B5の3編成に限定されています。

田町車両センター185系では、A8編成(クハ185-15Fの10両編成)とC1編成(クハ185-2Fの5両編成)がリバイバル塗装化(斜めストライプ塗装)となっているけど、7両のB編成は、はまかいじ号にも使われているB3,B4,B5編成を含めて全て従来塗装となっています。

185系は、1981(S56)年3月に登場した当時は、急行伊豆号での運用で、湘南色の153系との併結運用も見られていました。200番台も、急行あかぎ、ゆけむり、草津、軽井沢でも使われていたので、どちらも急行に使われていた車両でもあります。

今回のグリーン車体験乗車は、座席に座れただけでも大満足しています。

尾久車両センターのイベント(ふれあい鉄道フェスティバル)で展示されていたリゾートハイブリッドDCのHB-E300系の2両編成によるリゾートあすなろは、アオAH1編成(HB-E301-3F)が展示の為に青森車両センターからはるばるとやってきていました。

リゾートあすなろが登場したのは、東北新幹線の八戸〜新青森間が開業した一昨年(2010(H22)年)12月4日のことで、キハ48形改造車によるき・ら・き・らみちのくの後継ぎ車として2両2編成の4両が導入されていました。

運転区間は、新青森蟹田間のリゾートあすなろ津軽蟹夫号(青森〜蟹田間、津軽線)と新青森〜大湊間のリゾートあすなろ下北号(青森〜野辺地間、青い森鉄道線、野辺地〜大湊間、大湊線)で、き・ら・き・らみちのくのルートが踏襲されており、前者は土休日中心で1往復、後者は金土休日中心で2往復となっています。

午前中のリゾートあすなろ津軽蟹夫1号とリゾートあすなろ下北1号(新青森、10時44分発)は、新青森→青森間で2+2の4両編成となり、青森で切り離されることになっています。

9月7日から9日までは、蟹田から三厩まで延長され、リゾートあすなろ竜飛1,2号として運転されていました。
途中停車駅は、津軽蟹夫号が青森のみ、下北号が、青森、浅虫温泉、野辺地、陸奥横浜、下北となっています。

下北駅は、2001(H13)年3月31日まで、下北交通大畑線(旧国鉄大畑線)が出ていたことがあり、キハ22形から改造されたキハ85形DC(JR東海キハ85系ワイドビューひだ・南紀とは無関係)が使われていました。これらのキハ85形の3両は、同じ青森県野辺地駅と七戸駅を結んでいた南部縦貫鉄道(現、南部縦貫)の元祖レールバスと同様に、旧大畑駅跡で某保存会の手によって動態保存されています。

下北交通は現在完全なバス会社となっているし。

下北と言えば、世田谷区にある下北沢をイメージする人が多いけど、青森県下北半島のことを言います。

南部縦貫鉄道で活躍していたキハ101号車とキハ102号車には、日野のエンジンが搭載され、通常のバスなどのマニュアル車と同様にクラッチペダルを踏んでトランスミッション(変速機)でギアチェンジする光景も見られていました。
キハ48形によるき・ら・き・らみちのくの車両は、現在リゾートうみねこ用に転用されています。こちらは今から3年前の尾久車両センターでのイベントで展示されていました。

リゾートあすなろの車内は、運転台後部に展望室が、青森、大湊寄りの2,4号車には、車椅子対応のトイレ、洗面所が完備されています。

HB-E300系ハイブリッドDCは、2010(H22)年10月2日に長野〜南小谷間でデビューしたリゾートビューふるさと号(HB-E301-2F)を皮切りに導入され、同年12月4日の東北新幹線新青森延長に伴う改正で、リゾートしらかみ青池編成がHB-E301-1Fの4両編成にバトンタッチされていました。

HB-E300系は、リゾートビューふるさとリゾートしらかみ青池編成は、東急車輛(現、総合車両製作所)、リゾートあすなろは、新潟トランシスで製造されていました。

残念ながらその車内に入ることが出来なかったけど、尾久車両センターでのイベント(ふれあい鉄道フェスティバル2012)で、リゾートあすなろを撮影することが出来て良かったです。

機関車の展示コーナーでは、EF510カシオペア塗装、EF65、EF81、DD51が展示されていました。

この後に都電に寄り道したけど、交通安全運動の旗付の幸せの黄色いあや電、りなちょの8810号車を撮影することが出来ました。

この日は六本木のラフォーレミュージアムで、モーニング娘。の選民イベントが行われたけど、怒曜日で唯一申し込み可能だった1回目を女性限定にされたせいで申し込めなかったことで当落関係無しに行かれずにしゃもじ欠席○○電運休悪臭会通過サイン音開かずのランラン踏切状態になってしまうことのショックもあったよ!

増してはジバン氏は大阪経済法科大学花岡キャンパスでのBerryz工房の学園祭(経法祭)ライブにも行かれなかったし!

この日は土曜出勤となってしまった為にこの日のモーニング娘。のイベントの1回目だけ設定された女性限定の回が、副都心線の8両編成の女性専用車(乗車位置シアン)、都電7000形の女性グループ(女子会)の貸切車、満席状態の女性専用レディースドリーム号のように見えてしまったよ!

怒曜日で唯一申し込み可能で重宝していた1回目を東京だけ女性限定にされた為に申し込めなかったのが痛すぎるよ!
こちらは京王線で最も便利な新宿寄りの先頭車や副都心線新宿三丁目での丸ノ内線への乗り換えに便利な和光市寄りの最後部車両が女性専用車となっていることや以前東横線の女性専用車が菊名での乗り換えに便利な横浜寄りの先頭車に設定されていたことに例えたくなるよ!
最近のハロプロ関連(特に娘。関連)の握手会は月曜日から土曜日までの仕事のある日(自分の出勤日)ばかり行われているので、平日または土曜ダイヤの都電で7000形ばかり来ることや小田急ロマンスカーで50000形VSEで満席続出であることに例えたくなるよ!

本当にいい加減にしてもらいたいよ!

平日に行われるイベントが多発しているので、77T氏が激怒していた気持ちも良く分かるよ!

来年2月9日にZepp Tokyoで行われるモーニング娘。のモーニングラボもまた怒曜日なので1回目しか申し込むことが出来ないよ!

ハロプロの握手会を日曜日にやらないことが多い日曜飛ばしの状態はもううんざりだよ!

この時は8802号車(あや電)が定期検査に入場していました。

この日のスマイレージは名古屋のZepp Nagoyaでちょいかわ番長の千秋楽公演が行われていました。 Zepp Nagoyaと言えば、2008(H20)年3月9日のハロテンショックを思い出してしまいます。名古屋での握手会参戦は出来ない名古屋飛ばしの状態が続いているのでそのはずであります。 あの時はさゆと初握手となっていたジバン氏に譲っていました。

次にさゆやあやちょと握手出来るのはいつになるんだろう?