おせんだんご、川崎大師、羽田空港

この日は、鬼子母神前、川崎大師、羽田空港に行ってきました。

まずは、都電の高戸橋の撮影ポイントで、定期検査から出場したばかりの7005号車を撮影しました。

台車が綺麗になっているところが注目です。

この日は良く晴れていたので撮影日和となりました。

この後、鬼子母神に行き、おせんだんごを食べました。こちらは日曜日および8の付く日しか食べられないことになっています。

鬼子母神前では、8810号車(黄色いあや電、りなちょ、黄いっちー)や8502号車(めろ電、ななちゃ)によるとでんギャラリー号を撮影しました。

都電の8502号車から8505号車は、緑色であることや顔つきがステーション♪のななちゃこと千葉奈々希氏に似ているということからななちゃを加えることにしました。

都電の8800形(あや電)は、顔つきがステーション♪のいっちーこと加藤一華氏に似ているし、ちょうどオレンジ色もあるので。

8502号車(めろ電、ななちゃ)のとでんギャラリー号の貸切列車が荒川車庫前→早稲田間で運転されていたけど、鬼子母神でおせんだんごを食べている間に通過された為に撮影出来なかったよ!その折り返しである荒川車庫前行きなら撮影出来たけど。

品川から京急川崎まで、京急ブルースカイスカイトレイン(KEIKYU BLUESKY TRAIN)の2100形2157Fに乗りました。

京急ブルースカイトレインは、今から8年前の2005(H17)年3月の600形606Fでデビューし、赤い京急とは対照的な青い京急として注目を集めていました。同年6月には、この2157Fも青塗装になり、京急線内でブルースカイトレインを見る機会が増えています。

京急2100形は、貫通ドア付きで地下鉄乗り入れ規格となっているけど、都営浅草線への乗り入れの条件を満たしていないので、地下鉄扱いとなっている泉岳寺〜品川間の乗り入れが可能となっています。ラッシュ時以外の快特での2000形の代走が無くなったのはその為であります。800形と2000形は、貫通ドアが付いていないので、泉岳寺〜品川間の入線が不可能となっています。

かつて京急大師線を中心に活躍していた700形は、貫通ドアが付いているのにも関わらず泉岳寺〜品川間の入線が不可能となっていました。

京急800形は、京急で最後の4ドア車で、700形もこうなっていました。

京急空港線羽田空港国際線ターミナル駅は、ホームドアが設置されている絡みで、4ドアの800形の乗り入れが出来なくなっています。

1993(H5)年4月1日に穴守稲荷〜羽田(現、天空橋)間が地下新線として開業するまでの間は、800形の3両編成が使われていました。こちらは全て6両固定編成化されているので見ることが出来ない状態となっています。あとは、地上駅時代の旧羽田空港駅にも乗り入れていました。

京急川崎駅で、京急大師線の1500形のトップナンバーである1501Fを撮影したけど、毎年恒例の干支ヘッドマーク(巳年バージョン)が付いていました。

このヘッドマークは、一般公募によるデザインで、1月1日から2月3日まで取り付けられていたので、その最終日に撮影することが出来て良かったです。

京急1500形は、1985(S60)年4月1日に、旧1000形の後継ぎ車である3ドア18mのロングシート車(都営浅草線、京成線乗り入れ対応車)としてデビューし、改良を重ねながら1993(H5)年までの間に166両が製造されていました。

1985(S60)年から1986(S61)年に掛けて導入された初期型の5編成20両(1501,1505,1509,1513,1517F)は、普通鋼製で、デビュー当時は戸袋窓が付いていました。足回り品は800形や2000形と同様の界磁チョッパ制御方式、運転台は、都営浅草線乗り入れ協定であるT字型(東急型)のワンハンドルマスコンとなっています。

1988(S63)年に導入された1521Fや1601Fからは、アルミ車体となり、戸袋窓が廃止されたことで見分けることが可能となっていました。

1989(H元)年7月5日の改正からは、8連の1500形による都営浅草線や京成線への乗り入れが行われ、旧1000形が地下鉄乗り入れ運用から徐々に撤退していました。それまでの間は旧1000形が当たり前となっていたし。

1990(H2)年には京急初のVVVFインバータ車である1701Fが登場し、1992(H4)年に導入された1707Fで量産化、翌年に導入された1731Fまでの6編成が新製VVVFとなっています。

2001(H13)年からは、1500形の普通鋼製車を皮切りに車体更新が行われ、普通鋼製車の戸袋窓が埋められたことで、外観がアルミ車とほぼ同じとなってしまいました。翌年の2002(H14)年からはアルミ車の車体更新も行われ、2009(H21)年には完了していました。

現在は4連7編成(うち普通鋼製車5編成)、6連15編成(一部4連及び8連からの組み換えでVVVF化)、8連6編成が在籍しているけど、先述の1701Fは、昨年9月25日に京急本線の追浜〜京急田浦間で発生した土砂崩れによる脱線事故に遭い、休車状態(総合車両製作所に入場)となっています。

京急1500形の初期型の4連は、120Km/h運転対応による増圧ブレーキが付いていないので、晩年の700形や旧1000形の4連と同様に大師線中心の運用となっています。

京急大師線は、今から114年前の1899(明治32)年1月21日に、川崎大師平間寺への参拝客輸送として、前身の大師電気鉄道によって川崎(後の六郷橋駅、現在は廃止)〜大師(現、川崎大師)間が開業したのが始まりで、京急の発祥路線でもあります。

その終着駅である小島新田駅は、1970(S45)年に現在の場所に移設された当時は1面1線となっていたけど、2010(H22)年3月に現在の1面2線の島式ホームとなっています。

小島新田駅は、川崎貨物駅の最寄り駅で、いつくしま跨線橋からは、神奈川臨海鉄道ディーゼル機関車やゴミコンテナなどの貨物列車を見ることが出来ます。

京急大師線は、小島新田駅を除いて地下化される計画もあり、現在東門前〜小島新田間(産業道路駅及びその駅名の由来となった産業道路に跨がる踏切部分を含む)で先行的に地下化工事が行われています。

京急大師線京急川崎駅も将来地下化される予定なのでがらりと変わることになるし。

小島新田駅は、撮影の穴場となっており、干支ヘッドマーク付きが運転される度に撮影しています。

2010(H22)年6月に旧1000形のさよなら運転が行われていた時に、最後まで4連で残っていた1305Fが大師線で走っていたけど、小島新田駅で撮影出来なかったのが心残りでした。あの時に京急川崎鈴木町で撮影していたことを覚えています。

この時に、川崎大師で参拝したけど、節分だったので豆まき会が行われていました。

京急川崎から羽田空港国内線ターミナル(羽田空港)まで、京急2000形リバイバルツートン塗装の2011Fに乗りました。

羽田空港国内線ターミナル駅では、エンド側(第二ターミナルビル側)では絶好の撮影ポイントとなっています。

京急2000形は、1982(S57)年に、旧600形の置き換え用としてデビューした車両で、当時は豪華な2ドアクロスシート車として品川〜京急久里浜間の快特を中心に活躍したことで人気を集め、翌年の1983(S58)年度のブルーリボン賞に輝いていました。

1982(S57)年当時はこの2011Fの8両1編成しかなかったけど、1984(S59)年に量産化され、1987(S62)年までに8両基本、4両付属共に6編成ずつ導入されていました。これによる旧600形の淘汰が完了したのは1986(S61)年のことでした。

1995(H7)年には、品川〜横浜間での120Km/h運転が開始されたけど、1998(H10)年3月の2100形(新600形をベースとした2ドアクロスシート車)の導入により、この2011Fを皮切りに3ドアロングシート車への格下げ改造されていました。

2000(H12)年8月27日には、最後まで2ドアクロスシートで残されていた2051Fによるファイナルランが行われ、久里浜車両基地でイベントが行われていました。こちらは毎年5月下旬に行われている京急ファミリー鉄道フェスタの原点となっていたし。

3ドアロングシートへの格下げの時に一般のロングシート車と同じ白帯に変更され、京急川崎新逗子間のD急行(現在のエアポート急行の前身)を中心に活躍していたけど、京急川崎発着のD急行が廃止されてからは、8連がラッシュ時の快特を中心に活躍していました。こちらは貫通ドアが無く、長さが異なる為に泉岳寺〜品川間及び都営浅草線に乗り入れることが出来なかったのでこのような運用となっていました。

2010(H22)年5月16日には、羽田空港(現、羽田空港国内線ターミナル)〜新逗子間のエアポート急行の新設により、再び日中にも活躍するようになっています。

京急2000形の4両付属編成は、品川〜金沢文庫間で12両運転が盛んに行われていた頃、快特の増結用として頻繁に使われていました。

昨年には、800形と併行する形で、4両付属編成を皮切りに廃車が始まり、これまでに2411,2421,2431Fが廃車となっていました。

今年に入ってからは、2000形デビュー30周年記念として、デビュー当時から在籍している2011Fがデビュー当時はのツートンカラーに戻され、先月24日から営業運転入りしていました。

このことで、京急2000形には2ドアクロスシート時代のツートンカラーが似合っていると思いました。

2000形の8連は、羽田空港新逗子間のエアポート急行がメインの運用となっています。

ロングシート化された後も、2ドアクロスシート時代から使われているカーテンが残されているので、2ドアクロスシート時代の名残があります。

京急2000形の前面表示は、左側に行先、右側に種別、列車番号表示と、他の車両と異なっているのが特徴となっています。

運転台後部の座席は、当初から2人掛けのロングシートとなっているので、車端部のクロスシートと同様に改造前の面影があります。

この2011Fは、今年5月下旬に京急久里浜で行われる予定の京急ファミリー鉄道フェスタで展示されることが予想されます。

この時に、たった1編成しかない北総鉄道の7260形7268F(京成3300形のリース車)による快特印旛日本医大行きを撮影することが出来ました。こちらは京成時代3308+3316Fを名乗っていました。

羽田空港では、第一、第二ターミナルビルの屋上の展望デッキで飛行機を眺めたけど、第二ターミナルビルでは、ANAの黄色いポケモンの飛行機(ジャンボジェットことボーイング747-400型機、JA8957号機によるピカチュウジャンボ)を撮影することが出来ました。

ライバルのJALからは一昨年撤退していたけど、ANAからも再来年までに撤退する予定となっています。ANAのほうは国際線からはすでに撤退しているし。

ボーイング787型機が運航停止処分を受けているので、残念なことに初めて生で見る機会がお預けとなってしまいました。

このことで久しぶりに成田空港に行きたくなりました。

羽田空港国内線ターミナル駅から品川までは、京急600形の604F(かななん、しおりん番)による快特青砥行きに乗りました。こちらには、東武鉄道の日光、浅草、スカイツリーのPRラッピングが施されています。

京急新600形は、1994(H6)年3月29日に、1500形に続く地下鉄乗り入れ対応車として601Fと602Fの2編成が導入され、1996(H8)年までの間に、8両基本編成(600番台)8本、4両付属編成(650番台)6本が導入されていました。

デビュー当時は、ツイングルシートと呼ばれる可動式座席(1人掛けにすることも可能)採用のオールクロスシート車で、地下鉄にも乗り入れる車両としては珍しいオールクロスシート車として話題になっていました。

ワイパーカバーはイロンデルグレーだったけど、視認性向上により翌年の1995(H7)年にはアイボリーに変更されていたし。

1996(H8)年に導入された608Fと651〜656Fは、仕様変更車として、座席が最初から固定されています。

1998(H10)年11月18日の京急空港線天空橋(旧、羽田)〜羽田空港(現、羽田空港国内線ターミナル)間の開業により、成田空港へも顔を出すようになったけど、当時は都営5300形と同様に京成本線京成上野〜青砥間にも乗り入れていたこともありました。

2005(H17)年からは、ブルースカイトレインに変更された606Fを皮切りに、運転台後部及び車端部のロングシート化工事が順次行われ、新1000形と同様の座席配置となっています。やはり混雑緩和により新1000形に準じたロングシートに改造されたのも言うまでもないです。

2009(H21)年からは、車体更新工事が行われ、ワイパーカバーの600のスリット入りへの変更、液晶ディスプレイの設置などで変化しています。こちらは8連で全て更新済みとなっています。

2010(H22)年7月17日の成田スカイアクセス線(京成成田空港線)の開業により、新1000形の10次車と共にスカイアクセス線経由のアクセス特急にも使用され、京急線の品川〜横浜間以外でも120Km/h運転の本領が発揮するようになっていました。

この影により、京成線の京成高砂〜京成成田間から京急車による定期運用が廃止されたし。

京急600形の4連は、新1000形の4連と同様に、4+4の8連でのエアポート急行にも使われています。

昨年10月21日の京急蒲田駅付近の全面高架化によるダイヤ改正により、泉岳寺、品川方面と羽田空港を結ぶエアポート急行のほとんどが快特に格上げされていました。京急蒲田に停車しないエアポート快特は、20分間隔となっていたけど、今回の改正で約半数が京急蒲田にも停車する快特となり、エアポート快特が40分間隔となっています。

東武鉄道の日光、浅草、スカイツリーのPRラッピングは、京急線から都営浅草線を介して浅草、押上(スカイツリー前)まで乗り換え無しで行けるという縁もあると思います。

因みにしおりんとは、ももいろクローバーZ玉井詩織氏のことです。

この日は、福岡国際会議場メインホールでハロプロの公演が行われていたけど、田中れいな氏が体調不良による欠場となってしまったから田中れいな氏の福岡凱旋のハロコンが幻となってしまいました。

次にさゆやあやちょと握手出来るのはいつになるんだろう?