大宮総合車両センターでのイベント

この日(5月25日)は、大宮総合車両センター(旧大宮工場)で行われていたJRおおみや鉄道ふれあいフェアに行ってきました。

まずは、池袋駅で、高崎線高崎車両センター)のE233系近郊バージョンであるタカL15編成(クハE233-3031F)による団臨(虹のかけ橋号)を撮影しました。E233系の近郊バージョンは、国府津車両センター所属を含めて普段池袋に乗り入れていないので貴重なシーンとなっています。

この時に湘南新宿ラインE231系近郊バージョンとの並びを撮影することが出来ました。

この団臨は、Y154の一環として横浜方面へと運転され、高島貨物線を走るシーンも見られていました。

E231系の近郊バージョンは、2000(H12)年から2003(H15)年、2006(H18)年から2007(H19)年に掛けて、113系115系、211系の置き換え用として小山車両センターに、2004(H16)年2006(H18)年に掛けて、113系の置き換え用として国府津車両センターにそれぞれ導入され、2004(H16)年10月16日から湘南新宿ラインでこのE231系近郊バージョンが当たり前となっています。

導入当初は、グリーン車なしのモノクラス編成だったけど、2004(H16)年10月16日から、宇都宮線高崎線湘南新宿ライン(新宿以北)にもグリーン車が導入されたことにより、現在のグリーン車付きの編成に組み換えられていました。

E231系のほうは、E233系の導入により、2007(H19)年をもって製造が打ち切られていたけど、最後に導入されていた編成は、5両付属のU118編成(クハE231-8069F)で、予備車として残されていた115系のY427編成(クハ115-427F)が置き換えられていたし。

国府津車両センターE233系は、2008(H20)年3月10日にE01編成が、E217系の置き換え用として導入されたのが最初で、一昨年(2011(H23)年)から昨年(2012(H24)年)に211系の置き換え用として田町車両センターにNT1〜14、NT51〜64編成が導入されていました。

今年3月16日の改正で、田町車両センターが廃止されたのに伴い、国府津車両センターに移され、E03〜E16、E53〜66編成と既存のE編成と共通化されていました。

昨年9月1日には、高崎車両センターにも導入され、今年3月16日までの間に高崎線の一部と宇都宮線(上野〜宇都宮間)の211系が置き換えられていました。

今回の団体は池袋駅に居た時に団体の表示で知ったのでこの時に撮影することが出来て良かったと思っています。

3月15日まで、JR日光線(宇都宮〜日光間)で使われていた107系のN4編成(クモハ107-4F)の2両編成は、前面窓下のありがとう107系の表示が付いたまま展示され、その車内も解放されていました。

JR日光線107系0番台は、1988(S63)年に、165系(かつて急行で使われていた2ドアクロスシート車)の置き換え用として、8編成16両が導入され、当時の塗装は、アイボリーベースに日光のN文字形状の緑帯と赤帯となっていました。

2両編成で、車体は105系0番台に準じた3ドア車となっており、座席はロングシート、日光寄りの先頭車(Tc車)にトイレが付いています。

N4編成からはMc車に霜取り用パンタグラフが加わって2パンタ化されていたけど、1998(H10)年にはN1〜N3編成にも霜取り用パンタグラフが新設されていました。

主電動機や台車、Tc車の冷房装置(AU13E型)などは165系から流用され、車体は、大宮工場、大井工場(現、東京総合車両センター)、大船工場(後の鎌倉総合車両センターで、現在は工場部分が廃止されて鎌倉車両センターとなっている)、新津車両所(現、新津車両製作所)で新製された車両で、JR東日本による車両製造の基礎となった車両でもあります。

新津車両製作所では、209系から始まった新世代車両から本格的な車両新製が行われ、現在は川越車両センター(埼京線)のE233系7000番台の製造が行われています。

2008(H20)年3月には、シンボルマークが取り付けられ、翌年の2009(H21)年から2010(H22)年に掛けて、日光線のレトロ化計画により、上部がアイボリー、下部がクラシックルビーブラウン(茶色)で金色の帯の入った塗装となり、方向幕が赤地の毛筆体表示に変化していました。

今年3月16日には、京葉線(京葉車両センター所属)で活躍していたメルヘン顔の205系から改造された600番台に置き換えられて、日光線107系8編成全てが定期運用から撤退していました。

日光線107系は、車体新造から25年経っていることに加え、165系から流用された足回り品が採用されていることにより、老朽化が進行した為に205系に置き換えられたのもそのはずであります。

イベント当日は、日光線の表示となっていました。

JR日光線は、1890(M32)年6月1日に、宇都宮〜今市間が、日本鉄道の路線として開業し、同年8月1日に日光まで全通していたので、123年の歴史のある路線となっています。

日光駅舎は、1912(T元)年から使われている、ロマン溢れるネオ・ルネサンス様式の洋風駅舎で、隣の東武日光駅と同様に関東の駅百選に認定されています。

現在は、都心と日光を結ぶ列車は東武日光駅発着だけであり、JR側は小金井発日光行きの1便を除いて全て宇都宮発着となっています。

107系は、1988(S63)年から1991(H3)年に掛けて、100番台として新前橋電車区(現、高崎車両センターにも19編成38両導入され、上越線(高崎〜水上間)、信越線(高崎〜横川間)、両毛線吾妻線で活躍しているけど、3月16日以降も残されています。

展示されていたN4編成は、大船工場(後の鎌倉総合車両所鎌倉総合車両センターで今から7年前に廃止)で製造され、レトロ塗装化の時に男体山中禅寺湖のステッカーが貼り付けられていました。

この塗装と編成毎に異なるシンボルマークは、日光線色の205系にも継承されています。

今回のイベントでは、日光線107系が目的でした。

車両撮影広場では、EF80 36、EF65 1115、EF60 510、EF81 133号機が展示され、SL修繕棟では、C58 239、C11 325号機の修繕シーンを見ることが出来ました。C11-325号機は、真岡鐵道線を走っているSLで、検査業務が秩父鉄道のC58 363号機と同様にJR東日本大宮総合車両センターに委託されています。

C58 239号機は、釜石線で走る予定で、そのフレーム部分が展示されていました。 ボイラーのほうは大阪のメーカーで整備されています。

EF58 93号機(青大将塗装)は、機関車の展示広場ではなく、内側の留置線(107系が展示されていた場所と同じ線路)となっていたけど、ヘッドマークなしでの展示となっていました。

このEF58は、1946(S21)年から1958(S33)年までに172両製造され、客車や貨車の牽引で活躍していました。

1946(S21)年から1948(S23)に掛けて31両導入されていた初期型のEF58は、EF13に準じた車体となっていました。

現在のような流線型の二枚窓の車体となったのは、1952(S27)年に導入されたEF58 35号機からで、後に初期型も流線型の車体に更新されていました。

EF58の流線型の車体は、かつての80系電車と同様の二枚窓で、窓の下にあるカモメのような飾り帯が特徴となっています。

EF58 93号機は、1956(S31)年7月に東京芝浦電気(現、東芝)で製造され、当時は青色とクリーム色の標準塗装で浜松機関区所属となっていました。

東海道線が全線電化されたのは、1956(S31)年11月のことであり、それに合わせて導入されたことになります。

晩年は東京機関区に移り、1985(S60)年に引退した後に大宮工場→大宮総合車両センターで静態保存されるに当たって、青大将色(淡緑色と黄色)に変更されていました。

青大将塗装は、かつて旧つばめ号やはと号の専用機として使われていた頃に施されていた塗装で、現在大宮総合車両センターの周辺にある鉄道博物館で静態保存されているEF58 89号機(現在は茶色塗装)もその1両でした。

大宮総合車両センターには、青大将色のEF58 154号機のカットボディがあるけど、このように、丸ごと1両保存され、鉄道博物館が開館した後も大宮総合車両センターで大切に保存されていることは良いことだと思います。

青色塗装のEF58 172号機は、横川にある碓氷峠鉄道文化むらで静態保存されています。

大宮総合車両センター(旧、大宮工場)の工場棟では、宇都宮線(宇都宮〜黒磯間)仕様への改造工事中の元京葉線205系ケヨ2(京2)編成(クハ205-109F)の先頭車を見ることが出来ました。

この編成は、1989(H元)年に、翌年の1990(H2)年3月10日の東京延長に備えて川崎重工業(現在の車両カンパニー)で製造、京葉電車区(現、京葉車両センター)に配置され、2010(H22)年にE233系が導入されるまでの間、京葉線で活躍し、内房線の君津・上総湊、外房線の上総一ノ宮へも乗り入れていました。

京葉線時代は赤帯で10両編成だったけど、運用離脱された後、2010(H22)年11月16日に長野総合車両センターに配給輸送され、廃車となった中間車6両が抜かれた後、11月19日に4両が直江津まで回送され、転用前提で疎開留置されていました。

この後大宮総合車両センターで、宇都宮線の宇都宮〜黒磯間への転用改造され、Y1編成(クハ205-601F)となる予定であります。

このように、赤帯での改造中の姿を見ることが出来て良かったです。

JR相模線の205系500番台R1編成の先頭車であるクハ205-501号車は、ドア操作、アナウンスと言った車掌体験が行われていました。

205系500番台は、1991(H3)年3月16日の相模線(茅ヶ崎〜橋本間)の電化によって4両編成13本52両が導入され、前面のデザインが変更されています。特に助士側のほうは、非貫通でありながら、貫通ドアを思わせるデザインとなっているのが特徴であるし。

帯の色は、沿線を流れる相模川がイメージされた水色系のツートンカラーとなっており、相模線らしさを感じます。

13編成のうち、R1〜11編成とR12編成の先頭車が東急車輛(現、総合車両製作所)、R12編成の中間車とR13編成はJR大船工場(後の鎌倉総合車両センターで現在は工場部分が廃止されている)で製造されていました。

電化される前は、茅ヶ崎運転区(現、茅ヶ崎運輸区)所属のキハ30形やキハ35形が使われ、晩年はアイボリーに青帯の相模線オリジナルカラーが採用されていました。

国鉄・非電化時代の1984(S59)年3月31日までの間は、寒川〜西寒川間の支線(西寒川支線)も出ていたこともありました。西寒川支線は、たった1区間のみの支線で、廃止直前は4往復しかなく、西寒川駅は、1面1線の無人駅となっていました。

1991(H3)年3月16日に電化された当時は、東京支社管内の時代だったので、豊田電車区(現、豊田車両センター、現在は八王子支社管内)所属で、出入庫を兼ねて、朝夕のみ横浜線の八王子への直通運転も行われるようになっていました。

1996(H8)年10月1日の横浜支社の発足に伴う相模線の横浜支社への移管により、13編成全てが国府津電車区(現、国府津車両センター)に転属され、茅ヶ崎国府津間の回送列車も新設されていました。

その後も八王子への直通列車も残されています。

横浜線も横浜支社に移管され、所属先が蒲田電車区(現在は京浜東北線の車両の留置線と化している)から大船電車区(現、鎌倉車両センター)に移管されていたし。

東京支社からの分離化は、横浜支社のほか、1998(H10)年4月1日の八王子支社、2001(H13)年4月1日(さいたま市が誕生した1ヶ月前)には、大宮支社にそれぞれ移管されていたことも挙げられています。

東京支社管内だった豊原〜白河間(福島県)は、仙台支社に移管されていました。

大宮工場→大宮総合車両センターでの人気イベントであるJRおおみや鉄道ふれあいフェアは、2000(H12)年まで毎年10月に行われていたけど、大宮支社に移管され、さいたま市となった2001(H13)年から毎年5月(後に第4土曜日に固定化)の開催となっています。

一昨年は、東日本大震災の影響により、例年の5月の第4土曜日ではなく、2000(H12)年以前と同じ10月の開催に戻されていました。

自分がJRおおみや鉄道ふれあいフェアに行ったのは、あの時(一昨年10月15日)以来でした。

205系R1編成の中間車のうちの1両は、休憩用車両として解放されていました。

試乗電車は、185系踊り子号の斜めストライプ塗装のC1編成が使われていました。こちらも人気のコーナーであり、整理券がすぐに終了となっていました。

こちらは試運転線を通り、鉄道博物館まで行き、ここで折り返すことになります。

この日はTJ氏と出会うことが出来ました。この後土曜出勤だったので、鉄道博物館に行くことが出来ずにまたもや延期となってしまいました。TJ氏ももちろん185系に試乗していたし。

あとは、隣接するJR貨物の大宮車両所も公開されていたけど、EH500-29号機やDE10 1539号機などが展示されていました。こちらではJR貨物の社歌である「春夏秋冬」がBGMで流れています。

東武野田線では、新型の60000系が試運転で走っていたので初めて生で見ることが出来ました。

次にさゆ、あやちょ、りなりな、佐保ちゃんと握手出来るのはいつになるんだろう?