横瀬、本当は真野ちゃんと握手したかった

この日(10月6日)は、石神井公園から横瀬まで、ラストランを迎えた西武3003Fによる臨時の快速急行に乗りました。

小手指駅では、特急の通過待ちがあったので絶好の撮影タイムとなりました。

まずは、椎名町から石神井公園まで移動したけど、練馬から東急4110F(渋谷ヒカリエ号)に乗ることが出来ました。こちらは小手指行きで、小手指まで臨時の3003Fに抜かれることは無かったです。

横瀬車両基地で行われていた西武トレインフェスティバルで展示されていた3000系の3003Fは、終了までそのままの姿で展示されていました。

西武3000系は、N101系をベースとした3ドアの車体に、2000系と同様の界磁チョッパ制御の足回り品を組み合わせた車両で、1983(S58)年に3001,3003,3005Fの3編成が、東急車輛(現、総合車両製作所)で製造され、池袋線に配置されていました。

当時の3000系は、白幕表示で、側面がイエローとベージュのツートンとなっていました。

当時は池袋線に4ドアの2000系を入れることが出来なかったということからN101系をベースに省エネ対策が施された3000系が導入されたきっかけとなっていました。

翌年の1984(S59)年に導入された3007Fからは、西武所沢工場製となり、1987(S62)年製の3017Fまで、9編成が導入され、池袋線に集中配置されていたけど、1992(H4)年から1993(H5)年に掛けて、3011F以降の編成(1985(S60)年以降に導入された編成)が新宿線に転属されていました。

西武所沢工場は、2000(H12)年の武蔵丘車両検修場の開設まで、所沢駅付近に存在していた車両工場で、前年の1999(H11)年に落成した9000系9008Fまで、車両の製造も行われていました。

3011Fは、2009(H21)年5月1日に、銀河鉄道999のラッピング編成、3015Fは、翌年の2010(H22)年7月10日に埼玉西武ライオンズのラッピング電車であるL-trainとなり、池袋線の二大ラッピング編成として話題になっています。

3011Fと3015Fは、ラッピングが施されたと共に池袋線に出戻りされ、3015Fとの入れ替わりに池袋線所属だった3009Fが、新宿線に転属されていました。

同じ時期には、3005Fと3007Fが6連化された上で、池袋線から新宿線に移り、国分寺線専用車として活躍するようになっています。

今回の3003Fのラストランにより、3000系で初の編成単位での廃車となり、池袋線のノーマルカラーの3000系が、トップナンバーの3001Fだけになってしまいます。

3000系が2000系の初期型車よりも先に廃車となってしまう理由は、3ドア車であること、他の形式と組むことが出来ず8両編成(6両編成)にしか使えないこと、車体更新されておらず老朽化が進んでいることなどであります。

この日は、30000系で初の10両固定編成である30101Fが新秋津に到着していたので、読み取ることが出来ました。

新バージョンの30000系は、今年度中に10連2本と8連1本が導入され、2015(H27)年度までに10連6本、8連3本が導入される計画となっているけど、3000系が2015年度までに全廃される確率が高い状態となっています。

現在は、3001,3011,3015Fが池袋線系統、3005,3007,3009,3013,3017Fが新宿線系統で活躍しているけど、撮影・乗車はお早めにということになります。

今回ラストランを迎えた3003Fは、池袋発横瀬行きの臨時快速急行に使われていたけど、4000系とは異なり、横瀬の表示が入っていない為に、臨時の表示で運転されていました。

3003Fは、今後横瀬車両基地で解体されることになるので、今回の臨時列車は、横瀬への廃車回送を兼ねたものとなりました。

このように、3003Fのラストランが行われたことや、石神井公園から横瀬までそれに乗ることが出来て良かったと思っています。

西武トレインフェスティバルは、毎年同じような内容だけど、今年からは、展示車両の解説板が設けられ、旧101系の1224号車の車内が休憩用として開放されたのが嬉しかったです。

あとは、西武バスの展示もありました。こちらは、西武観光バスのレジェンドブルーのいすゞガーラ(空港リムジン用)と、西武高原バス三菱ふそうローザベースのボンネットバス(軽井沢エリア)となっていたし。

13時50分頃に、急行池袋行きの表示に変更され、終了前の14時15分から、3003Fの引退セレモニーが行われていました。

前面の表示の変更は、手で行われていたので、急行臨時の表示も見ることが出来ました。

西武3000系の3001Fと3003Fが落成していたのは、1983(S58)年11月10日のことで、今年30周年を迎えるけど、3003Fは、デビュー30周年を待たずに引退したことになりました。

横瀬でのトレインフェスティバルでは、毎年同じような内容でマンネリ化している状態だけど、今回は3003Fのラストランや引退セレモニーが行われて良かったと思っています。

この3003Fの最後の列車に、友人のTJ氏と一緒に乗ることが出来たことも大収穫でした。

この後、周辺にある武甲温泉に入り、横瀬から帰りました。

大阪市営地下鉄(大阪市交)谷町線で活躍していた30系は、一昨日(今月6日)の大日検車庫から大阪市交中央線の森ノ宮駅へのさよなら団臨をもってラストランを迎えていました。

使われていた編成は、アルミ車体の3045Fで、森ノ宮駅からは大阪港駅まで1往復の回送運転が行われ、地上の九条、弁天町、朝潮橋、大阪港の各駅では、かなり賑わっていました。

30系は、1968(S43)年に、大阪万博開催(1970(S45)年)に備えて導入された車両で、大阪市営地下鉄で最後の抵抗制御車であり、助士側の窓が小窓という、京王線で活躍していた6000系に準じたスタイルが特徴となっていました。

30系(北大阪急行(北急)の7000系や8000系からの編入車を含む)が活躍していた路線は、谷町線のほか、御堂筋線千日前線、中央線、四つ橋線と、5つの路線(第三軌条方式)で、かつて中央線の地上区間も走っていたということから、回送列車でありながら、リバイバル運転となっていました。

2009(H21)年に30000系への置き換えが開始されるまでは、後期(1973(S48)年から1984(S59)年)に製造され、冷房化された谷町線用の新30系の13編成(うちアルミ車体は6編成)が在籍していました。

30系のアルミ車は、1976(S51)年に3044〜3049Fの6編成が導入され、そのうちの3045Fがさよなら運転に使われていました。

30系の保存車両は、森之宮車両管理事務所の3042(旧3008)号車と、緑木車両管理事務所の3062(旧北急7001→3094)号車の2両で、イベントで公開されることもあります。

2009(H21)年3月8日には、天満橋から東梅田まで、30系の3059Fに乗ることが出来て良かったと思っています。

自分が土曜出勤に当たった日は、電車やバスの車内(WJ)で青SHUN学園やアップアップガールズ(仮)などの曲を聴かないことにしていています。

西武の3003Fのラストラン乗車や横瀬でのトレインフェスティバルにTJ氏と一緒に行けたのは良かったけど、その日の午前中に新宿サブナード福家書店真野ちゃんこと真野恵里菜氏の握手会に行かれなかったし、赤坂BLITZでの真野ちゃんが出てきた対バンライブにも行かれなかったので、真野ちゃんとの再会がお預けとなってしまったよ!おまけに横瀬で10000系NRAの3つ並びを撮りそこねたし、渋谷のビクター本社で行われたTokyo Cheer2 Party(チアチア)のチアチアランド2にも行かれなかったことでうさぎの衣装のしょこりんを見れなかったことで、終日雨だった土休日やその前後の日、その後の平日に踏んだり蹴ったりの状態となってばかりだよ!

都電では、今月5日の初日に9002号車(青色のにょん電、青ねねち)による都電ハロウィン号を撮影出来なかったし、6日に東池袋四丁目でその撮影に失敗してしまったから、都電9000形(にょん電、ねねち)によるイベント列車が走る度に撮影の失敗をしてばかりだよ!

この日は、福岡市民会館で、えりぽんこと生田衣梨奈氏の凱旋公演が行われていました。77T氏は、前日の広島との掛け持ち参戦をしていたし。

福岡と言えば、青SHUN学園の本拠地としても有名であります。

次にさゆ、あやちょ、はるなん、りなりな、佐保ちゃん、まみたん、しょこりんと握手出来るのはいつになるんだろう?