高島平でのイベント

この日は、都営三田線の志村車両検修場(高島平)で行われた、都営フェスタ2012in三田線に行ってきました。

都営フェスタは、志村車両検修場(三田線、高島平)と馬込車両検修場(浅草線西馬込)で交互に行われているけど、一昨年と昨年は2年連続西馬込で行われていたので、高島平での開催は、2009(H21)年以来3年ぶりとなっていました。

この撮影会に使われていた車両は、定番となった東急新3000系、都営6300形東急5080系の3つ並びで、今年は3008F,6336F,5187Fとなっていました。

都営6300形は、1993(H5)年6月に、6000形の置き換え用及び東急目黒線との直通運用に対応した車両として1次車(6301〜6305F)の5編成が導入されていました。


翌年の1994(H6)年には、2次車(6306〜6313F)が導入され、冷房改造されなかった初期型の6000形が置き換えられていました。

これまでに導入された6300形の初期型は、GTOサイリスタ方式のVVVFインバータ車で、車端部に東急9000系営団地下鉄(現東京メトロ)9000系の初期型に準じた4人掛けのボックスシート(3次車以降は廃止)があるのが特徴となっています。

1999(H11)年から2000(H12)年に掛けて、マイナーチェンジされた編成(6314〜6337F、IGBT方式のVVVFインバータ車)が導入され、6000形の冷房改造車が置き換えられていました。これらの編成は、6000形の置き換え用だけでなく、都営三田線の目黒延長及び東急目黒線との直通運転に伴う増備車としても導入されていたし。

当時は都営大江戸線の環状部分の全線開業に伴う12-000形の大量増備と重なっていた為にコストダウンされていました。

都営三田線を走っていた6000形は、ホームドア及び東急目黒線への直通運転に対応していなかった(6000形を改良するよりも6300形を新造したほうがコスト面で有利だった)為に、1999(H11)年11月28日のさよなら運転をもって引退していたけど、その最終日には志村車両基地で撮影会が行われていたことを覚えています。当時は6171Fがさよなら運転用、6121F(1次車で唯一冷房改造された編成)が撮影会用となっていたし。

この6336Fは、2000(H12)年に目黒延長及び東急目黒線の開業に伴う増備車として導入された編成であります。

6300形の帯がラインカラーの青帯のほか、赤帯も入っていることは、1968(S43)年12月27日に巣鴨〜志村(現、高島平)間が都営6号線(都営三田線の前身)として開業した当時に6000形赤帯だった頃の名残があると思われます。

このイベントでは、都営フェスタオリジナルヘッドマークが取り付けられ、東急車と共に色々なLED表示が披露されていました。この時に急行三田など有り得ない表示もあったけど、LED表示で切れるなど上手く撮影出来ないという欠点がありました。それでも表示を変えてくれたことは大サービスでした。

志村車両検修場(高島平)でのイベントに行ったのは、2005(H17)年以来7年ぶりでした。

東急電鉄の新3000系は、1999(H11)年4月に、東急目黒線(目黒〜多摩川(旧、多摩川園)間の目蒲線が改良された路線)と営団地下鉄(現、東京メトロ)南北線または都営三田線との直通運転に備えて導入された車両で、都営の6300形に似たステンレス車体となっています。

当初は、東急9000系を地下鉄乗り入れに改良して使われる計画もあったけど、ホームドアや南北線の急勾配に対応出来ないことなどの理由により、新車導入に切り替えられ、この新3000系が導入されていました。来年3月16日に行われる東横線副都心線の直通運転を前に9000系東横線から撤退してしまうのも同じ理由であります。副都心線にも勾配があるし。

初期に導入された3001Fは、翌年の2000(H12)年1月まで、訓練運転により3002Fの中間車の一部を含めた8両の暫定編成により、東横線(当時は渋谷〜桜木町間だった)で活躍していました。

2000(H12)年8月6日には、東急目蒲線の分離(目黒〜多摩川(旧、多摩川園)〜武蔵小杉間は目黒線多摩川〜蒲田間は東急多摩川線)により、3000系の3002〜3012Fの6連が新造され、6連に組み替えられた3001Fと共に目黒線で本格的に営業運転が開始されていました。

同年9月26日に南北線の目黒〜溜池山王間及び都営三田線の目黒〜白金高輪〜三田間の開業により本来の運用が開始されていたけど、当時は目黒線が全て各駅停車で、3000系が南北線直通と三田線直通の両方に使われていることに伴う誤乗防止により東急線区間で、南北線赤羽岩渕、三田線西高島平という表示が出ていたことがありました。

当時の目黒線は、目黒〜武蔵小杉間で、武蔵小山西小山駅が地下化工事の遅れによって地上駅のままとなっていました。

翌年の2001(H13)年3月28日に埼玉高速鉄道線(赤羽岩渕〜浦和美園間)の開業に伴う増備車として、3013F(最終増備車)が導入され、この後の増備が、新5000系ベースの5080系にバトンタッチされていました。

日本語と英語が交互に表示される行先表示は、新3000系が最初であり、新5000系列、新6000系、新7000系世田谷線用の300系横浜高速鉄道こどもの国線のY000系、みなとみらい線のY500系にも受け継がれています。

同時期にこどもの国線用(通勤線化された路線)に導入された横浜高速鉄道Y000系は、東急新3000系がベースとなっています。

このイベントで展示された東急新3000系も、急行東川口、急行麻布十番などのレアな表示が出ていました。

東急では、このような一般客向けの車両基地開放イベントが行われていないので、乗り入れ先を生かした展示方法に頼らなくてはならない状態となっています。

10月に行われている埼玉高速鉄道浦和美園車両基地でのイベントもこのような形での展示となっています。

この展示による車両不足を補う為に、一部の三田線直通の東急車のK運用が都営6300形で行われていました。行きに巣鴨から高島平まで乗った6313Fによる05K運用がそれに該当していたし。

今から13年前に東横線を走っていた頃の3001Fは、東白楽〜横浜間の地上線及び横浜〜桜木町間(2004(H16)年2月のみなとみらい線の開業と入れ替わりに廃止された区間)を走っていた思い出もあります。来年3月には東横線の渋谷地上駅も廃止されるので更に思い出となるし。

東急電鉄5080系は、2002(H14)年5月に田園都市線に導入された新5000系(JR東日本E231系ベース)の目黒線バージョンとして、2003(H15)年3月13日に、東急目黒線でのラッシュ時増発及び日中の運転間隔短縮における増備用として、5181Fの1編成が導入されていました。

この時には新3000系の製造が既に終了し、新5000系列に移行していた為に、新5000系目黒線バージョンである5080系に切り替えられていました。

当時5080系は、東急車の運用(K運用)が南北線埼玉高速線直通、三田線直通共に少なく、たった1編成しかなかった為に捕まえるのが困難となっていました。

同年11月1日には、5181Fが地下鉄直通運転開始3周年記念により浦和美園白金高輪→高島平間で運転されたイベント列車(事前応募制)である「くるっトレイン」に使用され、高島平到着後に志村車両基地で撮影会が行われていました。

あの時は営団地下鉄時代の末期でもありました。

翌年の2004(H16)年には、新3000系の検査入場に伴う予備車確保により5182Fが導入され2本体制となっていました。

2006(H18)年9月25日の目黒線武蔵小山、西小山両駅の地下化の完成、武蔵小山駅での待避線の新設による急行運転の開始により、5183Fと5184Fが導入されて4編成となったけど、当時は日中の目黒〜武蔵小杉間の目黒線内の運用が復活していたので、東急新3000系と5080系を見られる機会が増えていました。この時に導入された編成は、種別表示を含めて全てフルカラーLED、車内はLCD表示となっています。

目黒線の急行運転を期に、武蔵小杉→目黒間で見られていた、東急車による南北線・埼玉線または三田線の表示が廃止されていたし。

同じ時期には、東横線元住吉駅が高架化され、出入庫駅が武蔵小杉または日吉に変更されていました。

2008(H20)年6月22日の目黒線の日吉延長の時には5185〜5190Fの6編成が導入され、10編成出揃い、東急車が新3000系を含めて23編成と大幅に増加していました。日中の目黒〜武蔵小杉間の運用が廃止されていたけど、東急車の運用が地下鉄乗り入れで増加しています。

この5187Fは、目黒線の日吉延長の時に導入された編成で、フルカラーLED表示となっています。

こちらもLED表示が時間毎に変えられ、8年前に廃止されたはずの桜木町行きの表示が出ていたことも驚きでした。

今月18日に東武東上線森林公園検修区東上線ファミリーイベントが行われ、東武鉄道に貸し出されている5050系4000番台が展示されるけど、どの表示が披露されるのか楽しみにしています。このイベントでは過去に行先表示の転換ショーが行われていたし。

2003(H15)年以来、志村車両検修場(高島平)でのイベントでは、都営6300形、東急新3000系、同5080系の並びが定番となっているけど、ヘッドマークの取り付けや、行先表示の転換により楽しませている状態となっています。

都営三田線の志村車両検修場(高島平)で行われた、都営フェスタ2012in三田線では、巣鴨営業所から来た都バスの車両、P-R588(練馬200か18-38)号車、日野ブルーリボン2、PKG-KV234L2)が展示されていました。

日野ブルーリボン2は、J-BUS(日野自動車いすゞ自動車のバス部門における合弁会社)の宇都宮事業所(栃木県宇都宮市、旧いすゞバス製造)製で、いすゞエルガとの統合車種で、いすゞのエンジンが搭載されています。

最初は、いすゞエルガと同型で、ヘッドライトが縦置きの4灯となっていたけど、2004(H16)年度から2005(H17)年度に掛けて導入された日野ブルーリボン2には、ステアリングのホーン部分のほか、後の窓にHINOの表示が入っていました。

このR代車は、2007(H19)年度に導入された車両で、ヘッドライトが2灯に変更されたことにより、いすゞエルガとの区別が付くようになっています。

ヘッドライトが2灯ということでかつて存在していた日野の中型車である初代レインボーRJの2つ目(かつて都バスにもあり、市01系統(新橋駅〜築地中央市場間または朝日新聞循環)などで活躍していた)を思い出しました。

後部のナンバープレートの上の2つの丸い表示灯は、いすゞエルガの後期型と日野ブルーリボン2共通で、初代日野レインボーRJ、日野ブルーリボンRU60/63系の初期型、2008年式以降の日産ディーゼル(現、UDトラックス)のスペースランナーRA(都バスでは2008(H20)年度に導入されたS番台に相当)にも採用されています。

後部及び座席には、都バスのイメージキャラクターであるみんくるが描かれています。

都バスの巣鴨営業所は、巣鴨駅前にある営業所で、かつて18,35,41系統を受け持っていた都電の巣鴨車庫から転用されています。

巣鴨営業所では、いすゞ(深川営業所と同様に富士重工業製車体が採用されていたことがあった)が指定メーカーとなっていたけど、近年は基本的に会計年度毎にメーカーに発注する方式(昨年度のW番台車は三菱ふそう)に切り替えられているので、その原則が崩れています。

板橋区には、今から30年前の1982(S57)年まで都バスの志村営業所があったけど、ほとんどの路線が国際興業バスとの共同運行路線で東京駅にも乗り入れていました。指定メーカーはいすゞ日産ディーゼルだった。

練馬ナンバーの地域の都バス営業所は、北営業所、練馬支所、巣鴨営業所、大塚支所、早稲田営業所、小滝橋営業所、杉並支所、新宿支所となっているけど、そのうちの巣鴨営業所、大塚支所、小滝橋営業所、新宿支所はいすゞが指定メーカーとなっていました。

志村営業所は板橋区にあったので当然練馬ナンバーとなっていたし。

今回の展示車両に巣鴨営業所所属の車両が選ばれたのは、志村営業所無き今、三田線沿線にある営業所という縁があると思われます。
都営観光バスやはとバスなどにも使われている2代目いすゞガーラは、日野セレガとの統合モデルで、J-BUSの小松事業所(石川県小松市、旧日野車体工業)製となっています。

今回のイベントでは、都バスの展示の縁により、都バスのマスコットキャラクターであるみんくるが、都電のマスコットキャラクターであるとあらんと共に来ていました。

今年の9月22日には、晴海埠頭で都バスのイベントがあったけど、関西遠征に行っていた為に行かれなかったことで残念に思っています。

都営三田線の志村車両検修場(高島平)で行われた、都営フェスタ2012in三田線では、6両分まるごと定期検査入場中で座席が取り外された都営6300形の6303Fを見ることが出来ました。

都営地下鉄の車両の定期検査は、浅草線大江戸線が馬込車両検修場、三田線が志村車両検修場、新宿線が大島車両検修場(全地下式の車両基地)で行われているけど、今回の志村車両検修場でのイベントで、都営三田線の6303Fの検査入場風景を見ることが出来て良かったと思います。

6303Fは、1993(H5)年6月に導入された都営6300形の初期型で、GTOサイリスタ方式のVVVF車となっており、車端部に4人掛けのボックスシートがあるのが特徴となっています。

一昨年10月には床材の張り替えなどのC修繕工事が行われていました。

都営地下鉄では10年程度経った車両に対して車体修繕が行われているけど、このようなC修繕はその一環であります。

数ある鉄道イベントのうち、車両工場が併設されている場合は、工場入場中の車両も見れて面白いと思います。

高島平での都営フェスタの会場は、都営フェスタ2012in三田線記念硬券セット(1セット1000円)を買いました。

硬券は、高島平、巣鴨、水道橋、日比谷の各駅の4枚で、都営フェスタ会場以外での発売駅となっていました。

自分は昔ながらの硬券を集めるのが趣味なので買うことが出来て良かったです。

都営三田線は、今から44年前の1968(S43)年12月27日に高島平団地(板橋エリア)と都心を結ぶ地下鉄である都営6号線として巣鴨〜志村(翌年の1969(S44)年8月1日に現在の高島平駅に改称)間が開業していたのが始まりで、当初は6000形の4両編成(赤帯)が使われていました。

志村(高島平)と西台の間にある志村車両基地(現在の志村車両検修場)は、開業当時からあります。

1970(S45)年7月には、営団地下鉄(現、東京メトロ)と同様にラインカラーが導入され、赤帯から青帯に変更されていました。

1972(S47)年6月30日には、日比谷〜巣鴨間が開業し、板橋エリアから始まった都営6号線が文京区、水道橋、神保町界隈を経由して大手町、日比谷のオフィス街にも到達していました。同時に4両編成から6両編成となり、6両編成の6000形が増備されたほか、開業当時から使われていた6000形も中間車2両組み込みの上で6両編成となっていました。

こちらは、1996(H8)年3月26日に営団地下鉄南北線駒込から四ッ谷まで延長していた時に6両化された流れに準じていました。

1973(S48)年11月27日には、三田〜日比谷間が開業し、三田駅で都営1号線(現、浅草線)とも結ばれるようになっていました。

6号線→三田線三田駅は、都営地下鉄で初となった上下2層式の駅で、2000(H12)年9月26日に目黒まで延長されるまでの間、列車によって発着番線が異なっていました。

三田駅が上下式となっているのは、当時桐ヶ谷(大崎広小路〜戸越銀座間)までの延長及び東急池上線との乗り入れ構想があり、泉岳寺方面まで1号線→浅草線と並行される予定となっていたことの名残であります。現在は目黒延長並びに目黒線との直通運転に変更された為に幻となっています。

1976(S51)年5月6日には、高島平〜西高島平間が開業し、目黒延長までの24年間、三田〜西高島平間の時代が続いていました。

西高島平からは和光市方面まで延長されて東武東上線と結ばれる計画もあったけど、有楽町線副都心線との直通運転に切り替えられた為に前述の池上線直通計画と共に幻となっています。

1978(S53)年7月1日には、都営1号線→都営浅草線と共に、都営6号線から現在の都営三田線に変更されていました。

当時は、建設中で同年12月21日に岩本町〜東大島間が開業した都営10号線の路線名が都営新宿線に決定した時でもありました。

1999(H11)年11月28日には6000形が全廃され6300形に統一、同年の12月3日にはT型ATSからCS-ATCに変更されていました。

2000(H12)年9月26日には、目黒〜白金高輪〜三田間が、南北線の目黒〜溜池山王間(目黒〜白金高輪間は南北線三田線の共用区間)と同時に開業し、東急目黒線(当時は目黒〜武蔵小杉間)との直通運転が行われて現在に至っています。

この時には直流1500V架空電車線方式、狭軌の1067mmの本領を発揮するようになっていました。


三田駅は、上部の3番線が白金高輪、目黒方面、下部の4番線が西高島平方面となっているので、三田止まりの時代が長く続いた為に目黒延長開業時に戸惑う乗客もいました。

1966(S41)年5月28日までは、巣鴨車庫前から志村橋まで、都電41系統(通称志村線)が出ていたこともあったけど、地下鉄建設工事の支障となる為に他の都電よりも一足先に廃止された路線でもありました。

志村坂上と神田橋を結んでいた都電18系統は12.3Kmと、現在の都電荒川線三ノ輪橋〜早稲田間の12.2Kmに匹敵する程の都電最長距離路線となっていました。

1966(S41)年5月28日には、地下鉄建設工事の支障により志村坂上巣鴨車庫前間が41系統と同時に廃止され、巣鴨車庫前〜神田橋間に短縮されていたけど、翌年1967(S42)年8月31日に全線廃止されていました。

これらの路線は、新庚申塚で、都電32系統(現、荒川線)との平面交差(ダイヤモンドクロス)も見られていました。

東池袋四丁目(旧日ノ出町二丁目)でも、17系統(池袋駅前〜数寄屋橋(文京区役所前)間、1969(S44)年10月25日に廃止)と32系統との平面交差(ダイヤモンドクロス)も見られていたし。

この日は、渋谷のハロショBerryz工房徳永千奈美氏の握手会が行われていたけど、妹が福岡から帰ってきた絡みで家族で一緒に食事に行っていたことで行かれずにしゃもじ欠席ちな電運休悪臭会通過サイン音開かずのランラン踏切状態となってしまったよ!

Berryz工房のメンバー(ベリメン)のうち、徳永千奈美氏だけは一昨年4月18日以来握手していない状態が続いているのでそのはずだよ!こちらは東武東上線で9101Fが未更新車のままで残されていることや関東バスで3扉車がしぶとく残っていることに例えたくなるよ!

早く徳永千奈美氏と握手出来ますように!来年1月までに徳永千奈美氏と握手しないと、菅谷梨沙子氏と握手出来なかった2年9ヶ月の記録を上回ってしまうよ!

本当にBerryz工房とメンバーと握手することが出遅れており、その機会に見放されているので、京阪電車関東バスで古い車両がしぶとく残っていることに例えたくなるよ!

この日はとあらんも見れて良かったです。

有楽町線では、切り替え工事により、池袋〜新木場間での折り返し運転となっていました。

次にさゆやあやちょと握手出来るのはいつになるんだろう?