京成赤電のラストラン、成田山、ユーカリが丘線

この日(3月20日)は、京成上野から京成成田まで、京成3300形3324F赤電リバイバルカラーによるさよなら臨時特急に乗りました。

こちらは通常の特急と同様に、京成上野を出た後、日暮里、青砥、京成高砂京成八幡京成船橋京成津田沼八千代台、勝田台、京成佐倉、大佐倉、京成酒々井宗吾参道、公津の杜、京成成田の順に停車していました。途中停車駅では、全て停車時間が短かったので、京成上野と京成成田でしか撮影出来なかったです。

この走りっぷりは、60年代から70年代に掛けての開運号(3200形90番台)を含めた京成特急を彷彿とさせました。

京成上野駅は、1933(S8)年12月10日に、上野公園の下を通る地下トンネル区間である、上野公園(現、京成上野)〜日暮里間と共に開業したけど、上野公園駅として開業した当初から2面4線の地下駅となっています。

1953(S28)年5月1日には、京成上野駅となり、1973(S48)年から1976(S51)年に掛けて改良工事が行われて現在の姿となっています。

改良工事中の1973(S48)年6月から12月までの間には、1945(S20)年の空襲当時と同様に、京成上野〜日暮里間が運休となり、日暮里折り返しとなっていました。

京成上野〜日暮里間には、1997(H9)年に休止、2004(H16)年に廃止された博物館動物園駅のほか、寛永寺坂駅(1947(S22)年8月休止→1953(S28)2月廃止もありました。

トンネルに入ったすぐ後にあった寛永寺坂駅の跡は、駅舎がそのまま倉庫として使われ、ホームは取り壊されたものの、木の壁や駅跡の空間が残されています。こちらは博物館動物園駅跡とは違って目立たない状態となっているし。

博物館動物園駅は、1933(S8)年の開業時から、1997(H9)年の休止の時まで、改良されずにそのままの姿で営業されていたレトロな雰囲気の地下駅で、4両編成しか停車出来ずに普通列車(各駅停車)でも通過してしまうという珍しい現象となっていました。切符売り場も係員による手売りだったということも見逃せなかったです。

この日に運転されていた赤電リバイバルカラーは、京成上野駅の3番線から発車していました。

特急の表示の下には、さよなら赤電リバイバルカラーのステッカーが貼られていました。

京成上野→京成成田間のリバイバルカラーによる臨時特急は、2009(H21)年11月28日に、3312F(ファイヤーオレンジ塗装)によるミラフォレスタ号以来でした。

ミラフォレスタ号は、種別表示更新前の白抜きの特急の表示で、諸事情により京成上野京成高砂間の乗車となってしまったことを覚えています。

現在の種別表示は、2010(H22)年7月17日の成田スカイアクセス線の開業に合わせて一新され、特急表示が現在の赤表示となっていました。

この日ファイヤーオレンジ塗装の3312Fは、金町線で活躍していたので、掛け持ちでの撮影が可能となっていました。

町屋駅では、都電の8807号車(バイオレットカラーのあや電)を見ることが出来ました。このほうがスマイレージのあやちょこと和田彩花氏にそっくりな状態であります。この時には赤電からあや電を見たことになりました。

京成成田駅到着後、花束の贈呈式が行われていたけど、凄い人で撮影しづらい環境となっていました。

それでも辛うじて撮影出来たので良かったと思います。

京成成田到着後に、すぐに回送の表示に変えられずに特急成田の表示のままとなっていたのが嬉しかったです。

回送発車直前に、回送の表示(種別幕の回の表示)となり、宗吾参道車両基地まで事実上の廃車回送(廃回)が行われていました。

さよなら列車は約2分程度遅れただけで、線路内立ち入りなどの大きなトラブルもなく、無事にファイナルを迎えていたことで嬉しく思いました。

このことで、赤電人気を実感したほか、2007(H19)年1月28日に事前申し込み制による団臨であるリバイバル開運号(京成上野〜京成成田間)が3298Fによって運転されていたことを思い出しました。

同年3月に惜しまれて廃車となったけど、その前の2月18日に金町線で3298Fに乗れて良かったなと思っていました。当時の金町線は、京成高砂駅の地平の4番線から発車していたので、本線から確認しやすかったです。

2004(H16)年1月に廃車となった3294Fは、1988(S63)年に試験的にVVVFインバータ車、角形ライトに改造され、異彩を放っていました。やはり初期のインバータ装置の経年劣化により故障が多発し、部品調達が困難だったことから3298Fよりも先に廃車となっていたし。

リバイバル開運号の赤電リバイバルは、2代目であり、初代赤電リバイバル塗装は、1994(H6)年10月から翌年の1995(H7)年2月まで運転されていた旧3050形の3062Fで、1372mm→1435mmへの改軌35周年及び鉄道の日記念で行われていました。旧3050形は、1959(S34)年の改軌の時に登場した赤電塗装第一号で、1991(H3)年に全廃となった旧3000形は、1958(S33)年のデビュー当時、青電塗装となっていました。

この3062Fには、廃車寸前の1995(H7)年2月10日に博物館動物園駅から乗ったことを覚えているけど、どちらも過去のものとなっています。

開運号仕様の3200形は、3294Fと3298Fの4両2編成で、1967(S42)年12月に、日本初のテレビカー(京阪の1800系より1年早く導入された)となった1600形(2枚窓の吊り掛けモーター車)の置き換え用としてデビューし、1973(S48)年12月に旧AE形が京成上野〜京成成田間で暫定的な特急としてデビュー(プレデビュー)するまで、開運号専用車として活躍していました。

新東京国際空港(現、成田国際空港)は、1972(S47)年頃の開港予定となっていたけど、開港が1978(S53)年5月20日と大幅に遅れた為に、その年に落成していた旧AE形初代スカイライナーが出鼻をくじかれていました。

開運号専用車として活躍していた頃の3200形90番台は、セミクロスシートで、3292号車と3296号車にトイレと車販準備室が付いていました。

これらの編成は、旧AE形の登場により、ロングシート化、トイレと車販準備室の撤去により一般車に格下げされていたけど、トイレと車販準備室があった部分は座席となっていたので、分かりにくい状態となっていました。

リバイバル開運号では、往年と同様のヘッドマークが取り付けられ、片方は電照式となっていました。

2006(H18)年10月28日に東京都交通局(都営地下鉄浅草線)の馬込車両検修場で行われた都営フェスタでは、赤電塗装に変更される前の京成3298Fが展示されていたけど、行先表示が成田とローマ字の併記化される前となっていました。

元開運号以外の3200形は、2007(H19)年11月に4連の3264Fを最後に全廃となっていました。

この日ラストランを迎えた赤電リバイバルカラーの3324Fは、京成創業100周年記念として登場したリバイバル塗装第2弾として2009(H21)年8月から3年7ヶ月間3代目リバイバル赤電塗装で活躍し、歴代の赤電リバイバルカラー記録で長く続いたことになりました。

成田終着ということで、1967(S42)年から1973(S48)年まで活躍していた3200形90番台による2代目開運号を彷彿とさせるシーンとなっていたので、車両は違えど、特急開運号の再現でもありました。

京成は、1978(S53)年5月の新東京国際空港(現、成田国際空港)の開港による京成成田〜成田空港(現、東成田)間の開業まで、京成成田止まりの運用で、スカイライナーの前身である開運号(晩年はスカイライナーに引き継がれた旧AE形が使われていた)が、成田山新勝寺へのアクセス特急となっていました。

2010(H22)年7月17日に開業した成田スカイアクセス線は、京成成田駅を素通りして成田空港へと向かう路線なので、成田山新勝寺に行くならJR線または京成本線を使うことになります。

この日の臨時特急では、今月14日まで活躍していた東急東横線9000系9001Fと同様に種別灯のサービスもありました。

この後、成田山新勝寺まで行き、参拝したけど、奥にある平和の大塔まで行きました。成田山新勝寺を本格的に散策したのは今回が初めてでした。成田まで来たなら成田山新勝寺まで行くことを決めていました。

ここで出会った友人は、京成上野に行く前に金町線に立ち寄っていたけど、京成成田で別れた後、成田空港まで行き、ここから新AE形によるスカイライナーで帰ったと言ってました。

本当は成田空港まで行きたかったけど、断念しました。

この後京成佐倉乗り継ぎでユーカリが丘まで行ったけど、京成佐倉からユーカリが丘まで乗った快速西馬込行きは、新3050形の3055Fで、アクセス特急以外の運用に使われていたのは珍しかったです。

ユーカリが丘からは、山万ユーカリが丘線の1102F(こあら2号)で移動しました。

山万ユーカリが丘線は、東京都中央区日本橋に本社のある不動産会社の山万によって運営されている、ユーカリが丘→地区センター→公園→女子大→中学校→井野→公園→地区センター→ユーカリが丘へと至る新交通システムの路線で、公園駅を出た後、半時計回りで1周するルート(ラケット型の環状運転)となっています。全線200円均一でSuicaPASMOなどのICカードは非対応となっているし。

この路線で使われている車両(1000形の3両編成)は、3編成あり、日本車輌三井物産によって開発された、中央案内軌条式の新交通システムVONA「Vehicle Of New Age」となっています。車体にはユーカリに因んでコアラが描かれているし。

VONAのほうは、2006(H18)年9月30日に廃止された桃花台新交通桃花台線ピーチライナー、小牧〜桃花台東間を結んでいた路線)でも採用されていました。

ピーチライナーは、1991(H3)年3月25日に開業し、2006(H18)年9月30日に廃止されるまで15年半走り続けていたけど、廃止されたことで残念に思っていました。

ユーカリが丘線は、1982(S57)年11月2日に、ユーカリが丘〜公園〜中学校間が開業し、昨年開業30周年を迎えていました。

翌年の1983(S58)年9月22日には、中学校→井野→公園間が開業したことにより、現在の半時計回りの環状運転となっていました。

地区センター駅は、1992(H4)年12月3日に開業した駅で、イオン(旧サティ)の立体駐車場に直結しています。

公園駅は、その名の通り、駅前にユーカリが丘南公園があり、1面2線の島式ホームで、西側がユーカリが丘方面、東側が女子大、中学校、井野方面の乗り場となっています。

女子大駅は、和洋女子大学市川市国府台にキャンパスがある)の移転を見据えて付けられた駅名で、移転計画は実現せずに、その計画の名残となっています。その駅前には、車両基地や、和洋女子大学の佐倉セミナーハウスがあります。

中学校駅は、駅前にある佐倉市立井野中学校(井野中)がその由来となっています。

京成のユーカリが丘駅は、1982(S57)年11月1日にユーカリが丘地区の開発の進捗により開業した駅で、その翌日にはユーカリが丘線が開業していました。

ユーカリが丘からは、京成津田沼京成高砂乗り継ぎで柴又まで行ったけど、京成津田沼から京成高砂までは、旧AE形の足回り品流用車)である3400形の3441Fによる特急に乗りました。こちらは、3300形や3500形未更新車に続いて次期の廃車候補となっています。

京成金町線柴又駅では、京成3300形のファイヤーオレンジ塗装である3312Fとこち亀ラッピング編成の3348Fの交換シーンを撮影しました。

京成の現行塗装(アクティブシルバーの車体にフューチャーレッドとヒューマンブルーの帯)は、1993(H5)年に登場した3400形から採用され、3300形以前(赤電シリーズ)のファイヤーオレンジ塗装の車両の一部も、1993(H5)年から1995(H7)年に掛けてこの塗装に変更されていました。

ファイヤーオレンジ塗装は、京成電鉄の経営再建により採用されたローコスト塗装として、1980(S55)年に登場し、1982(S57)年に掛けて、赤電塗装から変更され、80年代の京成の標準塗装となっていました。

従来塗装の3300形も、こち亀ラッピング編成を含めて、新3000形に順次換えられることが予想されるので、撮影・乗車はお早めにということになります。

この後、柴又から柴又帝釈天、河川敷を歩いて京成金町まで移動し、ファイヤーオレンジ塗装を撮影してから京成高砂まで行きました。京成高砂から青砥まで、ほくそう春まつりのヘッドマーク付の北総7503F、青砥から町屋まで3500形の3504Fで移動し、町屋駅前から荒川車庫前まで都電の7015号車で移動しました。

荒川車庫を視察した後、王子駅前まで歩き、ここで撮影した後、早稲田まで8809号車(オレンジ色のあや電)で帰りました。

この日は、横須賀芸術劇場で、モーニング娘。の春のツアーであるモーニング娘。コンサートツアー2013春 ミチシゲ☆イレブンSOUL 〜田中れいな卒業記念スペシャル〜が行われていました。

スマイレージの「旅立ちの春が来た」の発売日で、かななんの地元の大阪でイベントが行われていました。

この日のekiShスタンプは、京成大久保、実籾、八千代台京成大和田、勝田台、東葉勝田台、志津、ユーカリが丘、京成臼井(うすい)、京成佐倉、大佐倉、京成酒々井宗吾参道、公津の杜、地区センター、公園、井野(千葉県)、女子大、中学校(ユーカリが丘線マスター)の各駅でGETしました。

次にさゆやあやちょと握手出来るのはいつになるんだろう?