萩中公園の都電7008号車、南武支線、武蔵小杉

この日は、大田区の萩中公園のガラクタ広場(京急空港線大鳥居駅付近)で静態保存されている都電7008号車の廃車体を見に行きました。

目白からは品川、京急蒲田乗り継ぎで行ったけど、品川から京急蒲田までは、ほくそう春まつりヘッドマーク付きの北総鉄道7300形7318Fによる快特羽田空港行きに乗りました。 今年のほくそう春まつりは、平年よりも遅れて4月21日に行われる予定となっています。

こちらは快特なので大鳥居には止まらないので、新逗子から来た1500形によるエアポート急行に乗り換えました。

1997(H9)年に地下化されるまでの間は、環八通り産業道路の交点(大鳥居交差点)にまたがる地上駅で、ここにある踏切が交通渋滞の原因となっていました。 産業道路と言えば、多摩川を挟んだ京急大師線部分も地下化される予定となっています。

環八通りに跨る踏切は京急本線の高架化によって全廃となっています。

かつて西武新宿線井荻駅環八通りに跨るボトルネック踏切がありました。

都電7008号車は、1955(S30)年12月に7062号車としてデビューし、大塚車庫所属で16系統(大塚駅前〜錦糸堀間、現在の都営バス都02系統)と17系統(池袋駅前〜文京区役所前〜数寄屋橋間、現在の都営バス都02乙系統(池袋駅東口〜文京区役所〜一ツ橋間))で活躍していました。1971(S46)年3月18日にこれらの2系統及び大塚車庫の廃止により、荒川車庫に移り、1977(S52)年にワンマン運転対応の車体に載せ替えられて7008号車となり、1988(S63)年1月に冷房改造されていました。

昨年12月30日には、大塚駅前〜町屋駅前間の区間運用を最後に運用離脱→翌日の12月31日に除籍され、今年2月17日にラッピングが解除→再塗装された姿となり、荒川車庫でお別れ撮影会が行われていました。

その後の20日から21日に掛けて大田区の萩中公園のガラクタ広場まで陸送され、元東武鉄道蒸気機関車(SL)である34号機の横で展示されています。

こちらは運転台を含めて車内への立ち入りが自由で、子供たちの絶好の遊び場となっています。

今月から7008号車の一般公開が行われているけど、前面のワイパーが外されているのが惜しまれます。

台車部分に網が掛かっているのは、子供が潜るのを防ぐものだと思われます。ワイパー撤去も子供のいたずら対策であるし。

この日は前日とは違って風が強かったものの、天候に恵まれていたので、中に入ることが出来ました。

この場所には、2006(H18)年まで、都電7502号車(都電おもいで広場にある7504号車と同様のオリジナル車体でワンマン改造された青帯だった車両)が保存されていたけど、車体が荒れた為に解体撤去されていました。今回はガラクタ広場の改装を期に、7年ぶりに都電の廃車体が帰ってきたことになりました。

このように、都電7008号車の廃車体が子供たちの絶好の遊び場として生かされたということは嬉しいことだと思います。

ここでも、とあらんのぬいぐるみキーホルダーと一緒に撮影しました。

大鳥居から京急川崎までは、京急2000形の2021Fによるエアポート急行で移動しました。京急2000形に乗りたいなら、羽田空港新逗子間のエアポート急行を狙ったほうが良いと思います。京急川崎から八丁畷まで乗った列車は京急1500形でした。

八丁畷から浜川崎までと浜川崎から尻手まで、JR南武支線(浜川崎支線)の205系1000番台のクモハ205-1003Fに乗りました。

南武支線205系1000番台は、2002(H14)年に最後まで活躍していた101系の置き換え用として、1001Fと1002Fが元中央・総武緩行線(元をただせば京浜東北線)で活躍していたクハ205-104Fと105Fのうちの武蔵野線に転用されなかった4両の中間車(モハ205-279,282、モハ204-279,282号車)から改造された上で導入されていました。

翌年の2003(H15)年11月には、元山手線のクハ205-8Fのうちの2両(モハ205-23号車とモハ204-23号車)が1003Fに改造されて最後の101系が置き換えられていました。

205系1000番台は、関西(JR西日本)の阪和線にもあるけど、両先頭車がTc(クハ)となっているので、型式重複は発生していないです。

なので、南武支線205系1000番台はクモハバージョンと呼んでいます。

このクモハ205-1003Fは、南武支線205系1000番台で唯一ドアが小窓となっています。

205系のうち、201系から受け継がれた小窓ドアとなっているのは、国鉄時代に山手線用及び東海道・山陽緩行線(京阪神緩行線)用として導入された編成で、どちらも撤退し、他の路線に転用されています。

後者に関しては、阪和線に転用されていたけど、2010(H22)年12月に225系5000番台の導入により、321系と同じ塗装で京阪神緩行線に戻っていました。

こちらのほうは、今年3月16日の改正で京阪神緩行線を追われ、再び阪和線に転用されています。

南武支線は、尻手と浜川崎を結ぶ路線で、中間に八丁畷(京急線への乗り換え駅)、川崎新町駅があり、川崎新町〜浜川崎間で、東海道貨物線と併用されています。

尻手駅は、2面3線の高架駅で、南武支線の乗り場は、3番線(南武線下り、登戸、立川方面の2番線側)にあるけど、南武線の快速が止まらないので注意が必要となっています。

南武支線八丁畷駅は、京急線と交差している高架の1面1線で、その奥に鶴見方面への東海道貨物線の線路があります。

SuicaPASMOなどのICカードでの八丁畷駅での乗り降り及びJR線⇔京急線間での乗り換えの時は、南武支線のホームにある簡易ICカード改札機にタッチする必要があります。

浜川崎駅は、南武支線鶴見線の改札及びホームが独立しており、ICカードでの南武支線鶴見線間の乗り換えは浜川崎でタッチせずに最終乗り換え駅でタッチする必要があります。

南武支線は、ワンマン運転が行われており、前面、側面、車内にワンマンの表示があります。

側面の車番の表示(クモハ205-1003)は、種車モハ205-23の表示の跡が残っています。

JR鶴見線では、3両編成の1100番台が活躍しており、種車は元山手線の205系MMユニットと元埼京線205系T車(6ドア車組み込みによる余剰車)となっています。

南武支線を走っていた101系は、1980(S55)年11月から2両3編成がクモハ11形+クハ16形(旧型国電)の置き換え用として固定運用に入っていたけど、当時は南武線(本線)や鶴見線と同様にカナリア色となっていました。

1988(S63)年3月13日のワンマン化により、クリーム色の塗装に緑色の帯となり、1990(H2)年にAU712型クーラー搭載の上で冷房改造されていました。

浜2→浜4編成(クモハ101-180号車+クモハ100-145号車)と浜3→浜5編成(クモハ101-188号車+クモハ100-186号車)の2編成は、2002(H14)年8月20日205系1000番台(クモハバージョン)の営業運転開始により運用離脱され、この浜1→浜3編成だけは唯一残されていたけど、翌年の2003(H15)年11月のクモハ205-1003F(ワ4編成)の導入により、11月28日をもって定期運用から離脱され、12月13,14日に鶴見線の鶴見〜大川間で事前公募制のさよなら運転が行われていました。

鶴見駅では、車両展示が行われ、鶴見線を走っていた103系との並びも見られていたことも覚えています。

鎌倉総合車両センター深沢地区(旧大船工場)は、車両の定期検査や廃車体の解体などが行われていた車両工場で、209系以降の新系列車両の増加による保守体系の見直しによって、2006(H18)年2月をもって検査業務が打ち切られ、同年3月末で、東京総合車両センター(旧、大井工場)と大宮総合車両センター(旧、大宮工場)に引き継がれる形で閉鎖されていました。

現在JR東日本の在来線車両の廃車解体作業は、長野総合車両センター郡山総合車両センターがメインとなっています。

南武支線で活躍していた101系は、鎌倉総合車両センターで保管され、イベントで公開されていたけど、残念なことに、移設されることもなく、鎌倉総合車両センターの工場部分の廃止と共に解体されてしまいました。

現在その跡地は未だ解体・撤去されずにそのままとなっています。

秩父鉄道に譲渡された国鉄→JR101系である1000系は、元東急電鉄8500系または8090系から改造された7000系列の導入により、12編成あったうちの9編成が廃車となり、1001F(スカイブルー塗装、青22号)、1003F(オレンジバーミリオン塗装、朱色1号)1010F(秩父鉄道オリジナルカラー)の3編成が残されています。

これらの3編成は、全廃の時が近づいてきているので、101系の終焉が近い状態となっています。

101系試作車であるクモハ101-902号車(オレンジバーミリオン塗装)は、1957(S32)年に大井工場(現、東京総合車両センター)で製造された当時はモハ90503号車と呼ばれていました。

現役当時は中央快速線南武線で活躍していました。

1985(S60)年に廃車となった後、製造された大井工場→東京総合車両センターで保存されていたけど、2007(H19)年には、さいたま市にある鉄道博物館に移された上で保存・展示されています。

東京総合車両センターでの101系の公開は、2006(H18)年8月26日が最後で、氷川行きの表示となっていました。3枚目の画像はあの時に撮影したものです。

氷川駅とは、現在の奥多摩駅のことで、1971(S46)年2月1日に改称されていました。

101系が置かれていた場所には、クハ209-901号車(901系A編成のクハ901-1号車)が保存されています。

本家JRから101系が全廃となってから今年で10年を迎えるということは早いもんだと思います。

尻手からは元山手線の205系(クハ205-24F)で武蔵小杉まで移動し、武蔵小杉東急スクエアまで行きました。

武蔵小杉の東急スクエアに行った時に悪天候により展望デッキに入ることが出来なかったので後日リベンジしなければならなくなってしまったよ!このことで東急のロゴマークのことをパンツマークと呼んでいたことの呪いに遭ってしまったよ!東急5050系の5174FによるPAINT TRAINも未だに撮影出来ていないし!

ここには、9715号車の廃車発生品の壁があり、のるるんが描かれていました。

この後、東京メトロ7015Fによる菊名行きで元住吉まで移動したけど、元住吉では、東京メトロ10000系による特急がこの7015Fを追い抜いていました。こちらは日比谷線直通で運転されていたスジで、日比谷線直通時代から元住吉での通過待ちが行われていました。

元住吉から歩いて元住吉検車区を敷地外から視察しました。こちらには、東急の車両だけでなく、東京メトロ西武鉄道の車両も留置されていました。日比谷線直通で使われていた1000系は、4本が置かれていたけど、はるなん番の1107号車もありました。

元住吉駅は、2006(H18)年9月に高架化されてからは車両基地寄り(横浜寄り)にずれていたけど、武蔵小杉側の出入庫線がある絡みで駅前の踏切が残されています。

目黒線の武蔵小杉〜元住吉間は、下を走る関係で1箇所の踏切が復活してしまったということで問題となっています。

高架化される前は、急行列車が止まらない駅なのに急行元住吉行きという列車が運転されていたこともありました。

東京メトロの車両の武蔵小杉行きは、今でも健在であります。

自由が丘から渋谷までは、西武6000系6116Fによる特急小手指行き(レッドアローではありません)に乗ったけど、西武の車両で東急東横線を通ったのは今回が初めてでした。代官山を出て地下トンネルに入った時に間もなく渋谷です。というアナウンスが流れていました。

渋谷からは、歩いて渋谷公会堂まで行き、Berryz工房の公演の会場推しに行きました。この時に久しぶりに出会った友人もいました。

渋谷から雑司が谷までは、横浜高速鉄道Y500系による和光市行きで移動したけど、地下鉄で乗ったのは初めてでした。

副都心線の8両編成は、東京メトロ7000系が当たり前だったけど、現在は東急5050系またはY500系が大部分を占めるようになっています。渋谷発着の東横線の列車は、東京メトロの車両も使われています。

この日は、福岡サンパレス ホテル&ホールで、モーニング娘。コンサートツアー2013春 ミチシゲ☆イレブンSOUL 〜田中れいな卒業記念スペシャル〜@れいなちゃん&えりぽんの凱旋公演が行われていました。前者の田中れいな氏にとっては、モーニング娘。時代最後の凱旋公演となっていました。

77T氏のほうは、広島のホテルで1泊した後、九州新幹線直通のさくら号で現地入りしていました。ちょうどえりぽん推しということで、2回目のえりぽん凱旋公演参戦となっていました。 

このように、凱旋公演にそれぞれの推しが集結することを、地元の列車を贔屓する鉄ヲタが多いことに例えたくなります。

この日のekiShスタンプは、南武支線(浜川崎支線)の川崎新町、浜川崎(JR浜川崎支線マスター)の両駅でGETしました。

鶴見線のほうは、日を改めて集める予定です。

柏(槲)でさゆと握手出来なかったことやモーニング娘。の全国握手会に参戦出来ないことで、都電の8505号車(めろ電、ななちゃ)が長期運休中であることに例えたくなるよ!

最近は自分(しゃもじ)の握手会参戦が減っているので、幸せの黄色い都電の8810号車(黄色いあや電、りなちょ、黄いっちー)が最近荒川車庫で寝ていることが多いことに例えたくなるよ!

今月2日の槲ショックからは未だに立ち直ることが出来ないです。次にさゆと握手するまで秋葉原ハロショに行くのを見合わせます。

次にさゆやあやちょと握手出来るのはいつになるんだろう?