鉄道の日、京成電鉄展、本当は大阪に行きたかった

この日は、市川真間駅付近にある芳澤ガーデンギャラリーで行われた京成電鉄展に行ってきました。

まずは、目白から西日暮里乗り継ぎで町屋まで行き、鉄道の日記念のテッピーヘッドマーク付きの9001号車(臙脂色のレトロ電車、円地色のにょん電、赤ねねち)による荒川車庫前行きを撮影しました。

このヘッドマークは、13日と14日に取り付けられていたけど、鉄道の日当日の昨日撮影することが出来て良かったと思っています。三ノ輪橋荒川車庫前行きで入庫される前だったからサヨナラ勝ちしたような気分でした。

最初は近場及び大塚駅前、町屋駅前での三ノ輪橋行きで撮影する予定だったけど、間に合わなかったので、この時に撮影することが出来て良かったと思っています。

昔の町屋駅前は、商店街みたいな雰囲気となっていました。

町屋から市川真間までは、直通の普通列車で移動しました。市川真間駅は、JR線の市川駅付近にあるけど、京成市川に改称されずに市川真間で残されているのは、何らかの縁があると思われます。こちらは快速列車を止めるべきだという要望が高まっています。

北側には、京成電鉄診療所があり、本多貞次郎頌徳碑もあります。京成電鉄は本多家によって創業された会社であり、市川市がゆかりの地となっています。

京成電鉄展は、9月17日に京成電鉄の本社が東武鉄道の本社近く(墨田区押上)から、市川市八幡(京成八幡駅前)に移転されたことを記念して行われたもので、この日が最終日となっていたので、本当に行けて良かったです。

このこととは裏腹に、世間では、この日が三連休最終日とよく耳にするけど、本当にうざいです!土日休みでない人への嫌がらせでもあるし!

市川真間から芳澤ガーデンギャラリーまでかなり歩きました。

市川真間から市川まで歩き、ここから本八幡までさらに歩きました。

本八幡からは、京成バスシステムによる無料送迎バスで、ニッケコルトンプラザまで行きました。

ニッケコルトンプラザは、1988(S63)年11月に、日本毛織の工場跡地に建設されたショッピングセンターで、ダイエーもこの中に入っています。本八幡駅下総中山駅の中間にあるので、JR線からも眺めることが出来るし。

周辺では、東京外環自動車道の建設工事が行われているけど、2015年度中に三郷南ICから高谷JCT(ジャンクション)まで開通する予定となっています。この周辺は地下トンネルとなる予定だし。

高谷JCTは、現在の市川JCTで、首都高速湾岸線と東関東自動車道との接点となっています。

この後、鬼越駅まで歩いて行き、鬼越から町屋まで、京成電鉄3500形の未更新車である3588Fに乗りました。

鬼越駅は、構内踏切のある駅となっています。

京成3500形は、1972(S47)年から1982(S57)年に掛けて96両製造された京成電鉄初のセミステンレス(スキンステンレス)車で、登場当時は、ファイアーオレンジ色の帯が採用されていました。

製造メーカーは、東急車輛製造(現、総合車両製作所)、日本車輌製造川崎重工業で、1979(S54)年に導入された3576Fを最後に川崎重工業との取引が廃止され、京成電鉄の車両製造が日本車輌東急車輛総合車両製作所の2社に集約されていました。

この3588Fは、既に廃車となった3584Fのうちの3583号車と3584号車と同様に、1980(S55)年に東急車輛製造で製造されたオールステンレス試作車であります。

3500形の最終増備車である3596Fは、1982(S57)年に、京成ターボこと3600形と同時期に日本車輌製造で製造されたオールステンレス車であります。

1996(H8)年から2001(H13)年まで、トップナンバーの3504Fを皮切りに車体更新が行われ、前面窓やヘッドライトの一新、車体の張り替え、京急乗り入れの条件である先頭車の電動台車化などで一新され、前面の種別表示の電動化、行先表示の独立化も行われていました。この車体更新は、1972(S47)年から1974(S49)年に掛けて製造された前期車(今から7年前に全廃となった小田急9000形と同期に製造された車両)である3556F以前の14本に対して行われ、当初の計画では、1976(S51)年から1982(S57)年に製造された後期車(10編成)を含めた96両全車が更新される予定となっていたけど、更新工事で莫大なコストが掛かること、鉄材の腐食が進んでいること、抵抗制御車であることなどで直接新車に置き換えたほうが得策であると判断されたことにより、更新工事が見送られ、2003(H15)年3月の3560Fを皮切りに、3200形や3300形と並行する形で廃車の運命を辿ることになってしまいました。

車体更新の対象から外された後期車は、金町線や千葉線千原線を中心とした4両編成単独による普通列車限定運用となっています。

前面の種別表示と行先表示が一体となった方向幕やサボによる種別表示は、この3500形未更新車が最後となっているし。

未更新車のうちの3592Fは、2008(H20)年11月8日に西馬込で行われていた都営フェスタ'08in浅草線で、印西牧の原から西馬込まで特別運転されていました。

3500形の更新車のうち、3540Fは、今年4月1日に芝山鉄道にリースされたけど、側面のKeiseiの表示が芝山鉄道に変更され、京成グループのCIロゴマークが外された程度で帯の色は従来通りとなっています。

京成電鉄に返却された3618Fは、赤色と緑色のままとなっています。

現在3500形の未更新車は、3576,3588,3592,3596Fの4編成と、3300形と同様に減少しています。

今年度中に、新3000形の3028Fが導入される予定で、3300形や3500形の未更新車のどちらかが置き換えられることになっています。

金町線以外の4両編成の運用は、1997(H9)年3月31日まで博物館動物園駅(京成上野〜日暮里間にあった地下に眠る廃駅で、金町線と同様に4両編成しか停車することが出来なかった)が営業されていた頃は当たり前となっていたけど、現在は希少価値の高い状態となっているし。

今年2月から3月に掛けて、新3000形の3026Fと3027F(新3000形の8連の再増備車)が導入された時に、3300形の特徴のある編成(3色のリバイバルカラーと寅さんのラッピング編成)が置き換えられていました。

町屋駅前からは、荒川車庫前まで、検査出場したばかりの8805号車(あや電、あいりん)で移動し、荒川車庫の視察を行いました。

荒川車庫前から早稲田までは、7002号車に乗って帰りました。

この日は、秋葉原と池袋サンシャインシティ新星堂で行われたチアチアのイベントには、市川真間で行われていた京成電鉄展に行っていた絡みで参戦出来ずにしゃもじ欠席○○電運休悪臭会通過サイン音開かずのランラン踏切状態となってしまったけど、近場の池袋の新星堂でのイベントを逃したのが残念だったよ!

NHK大阪ホールで行われていたモーニング娘。の公演に落選した為にしゃもじ欠席(運休)となり、関西遠征が中止となってしまったので、そんなことになるんだったら幕張メッセでの京成バスのイベントや115系パンプキンによるドームくん号の撮影に行けば良かったと思っているよ!ドームくん号の撮影なら京成電鉄展の後に行くことも可能だったし!

13日の岸和田での公演には、ドラフトブルース氏や名古屋の友人が参戦していたのに、しゃもじ欠席(運休)により3人揃うことが出来なかったよ!もしも当選していたら鉄道のイベントラッシュによる経費節約により宿泊を取り止めて夜行日帰りに切り替えていたところだったよ!

今月13日の池袋発及び14日の大阪発の京王バスで、唯一乗ったことのない℃-ute番ことK50357(品川200か・910)号車に当たのを池袋で確認したのでまたしても℃-ute番を逃してしまったよ!自分が乗らない時ばかり当たりあがって!このことは嫌がらせで、京王バスへの問い合わせには致しかねますの状態だよ!

都電では、今月13,14日に9001号車(臙脂色のにょん電、赤ねねち)に鉄道の日のテッピーヘッドマークが付いていたけど、日旗なしの13日は全然撮影出来ず、日旗付きの14日は町屋駅前荒川車庫前行きしか撮影出来なかったので、またしても都電9000形(にょん電、ねねち)の撮影で失敗してしまったよ!

もしもそれを撮り逃したら機嫌悪くなっていたところだったよ!

今月10日から12日まで、9001号車に都電カレンダーの表紙を模したヘッドマークが付いていたのに撮影することや見ることが出来なかったよ!

町屋駅前への到着が遅れたから9001号車による三ノ輪橋行きや、大塚駅前〜町屋駅前間の区間運用に入っていた8810号車(ハニー色のあや電、りなちょ、きなりん)による町屋駅前での折り返しシーンも撮影出来なかったよ!西日暮里乗り継ぎで町屋に到着した時に8810号車による大塚駅前行きが乗車ホームに入っていたので間に合わなかったし!

9002号車(青色のにょん電、青ねねち)による都電ハロウィン号のほうも今月14日に荒川車庫前での撮影で失敗してしまったので、都電9000形(にょん電、ねねち)によるイベント列車が走る度に撮影の失敗をしてばかりだよ!

8505号車(めろ電、まみたん)のほうは先々月に復活してから未だに乗っていないし!

次に三連休らしい三連休を迎えるまで、電車やバスの車内で真野ちゃんこと真野恵里菜氏の曲を聴くことを休止させます。

次にさゆ、あやちょ、はるなん、りなりな、佐保ちゃん、まみたん、しょこりんと握手出来るのはいつになるんだろう?