関西遠征

梅田に到着した後、新梅田食道街のマックで朝マックを取り、阪急梅田から阪急塚口まで、阪急神戸本線の新車である1000系の1000Fによる普通神戸三宮行きに乗りました。

この編成は、昨年11月28日に神戸線でデビューした第一号であり、01からではなく00から始まる番号が使われているのが特徴であります。

同年12月25日に宝塚線用の1001Fが導入され、神戸線宝塚線1本ずつとなり、今年7月15日に神戸線用の1002Fも加わっています。

阪急の塚口駅は、阪急伊丹線への乗換駅であり、JR宝塚線(福知山線)の塚口駅と離れています。

今回、神戸線用の1000系に初めて乗ることが出来て良かったです。

塚口から阪急伊丹まで、阪急伊丹線に初めて乗ってきました。

阪急伊丹線は、阪急塚口と阪急伊丹の間を、結ぶ神戸線系統の支線であり、途中、稲野、新伊丹駅を通って阪急伊丹駅へと向かうことになります。

東側を通るJR宝塚線(福知山線)が大阪方面まで直通しているのに対し、阪急伊丹線では、全て塚口〜伊丹間の折り返し運転となっており、塚口駅での乗換が必要となっているので、利便性はあまり良くないと言われています。特に、塚口駅で、神戸本線の下り(1号線)から乗り換える場合は、地下道を通る必要があるのでそのはずだし。

阪急伊丹駅は、JR伊丹駅の西側(750m先)にある1面2線の高架駅で、1995(H7)年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の影響により、高架橋が崩壊するなどのダメージを受けていました。

同年1月21日に塚口新伊丹間で、3月11日には、新伊丹〜伊丹仮駅(阪急伊丹駅の手前に設置されていた仮駅)で運転再開されていました。

伊丹駅が復旧したのは、1998(H10)年11月21日のことで、当時は単線での暫定復旧だったけど、翌年の1999(H11)年3月6日に複線に戻されたことにより、震災発生から4年で被災地の鉄道が完全復旧していました。

阪急塚口駅伊丹線乗り場は、3号線(神戸本線の上り2号線と同じホーム)にあり、この部分だけ単線となっています。他は全て複線であるし。

伊丹線で使われている車両は、3000系による4両編成で、この時にかつて宝塚線で使われていた3013Fに当たっていました。

3000系は、1964(S39)年に登場し、50周年を迎えることになるけど、廃車が進められており、新型の1000系の導入によって、表示板編成や本線での8連運用が全廃となっていました。

そのうちの3064Fは、3000系で最後の8連での本線運用(宝塚線)として有名だったし。

阪急伊丹駅からJR伊丹駅まで歩いて行ったので、その機会に阪急伊丹線に初めて乗ることが出来て良かったと思っています。

JR伊丹駅から京橋まで321系による直通で移動し、JR大阪環状線京橋駅で、103系のLA3編成(クハ103-841F)によるOSAKA POWER LOOPのラッピング電車を撮影してから、淀屋橋まで京阪7200系による急行で移動しました。

京橋駅で、JR東西線から京阪線に乗り換えた時、大阪環状線の様子を見に、環状線ホームに上がったところ、な・ん・と、103系のラッピング電車と従来塗装(LA1編成、クハ103-827F)の並びを撮影することに大成功したのであります。

大阪環状線103系のほうも、本数が少なくなっているので、103系同士の並びは貴重でした。

京橋駅は、京阪線の乗り場が一番高い場所に位置しており、その次に大阪環状線JR東西線学研都市線と位置し、大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線が地下に位置しています。

大阪環状線京橋駅が、相対式ホームだからこそ撮れた並びであるので、大阪環状線のホームを視察しておいて正解だったなと思いました。

淀屋橋から三条まで京阪8000系による特急で移動し、スタンプラリーを楽しみました。

この後樟葉まで行き、記念品を引き換えた後、ひっぐ〜氏と駅前の天下一品に立ち寄りました。ハタボー氏とも出会い、SANZEN-HIROBAにも立ち寄ることも出来て良かったし。 

8000系は、1989(H元)年10月5日の出町柳延長(鴨東線の開業)に合わせて、8001Fの7連1本と、旧3000系の7連化用の中間車5両がデビューしていました。

デビュー当時、旧3000系に組み込まれた中間車を含めた8000系に人気が集中した為に、1990(H2)年から1993(H5)に掛けて8000系が増備され、旧3000系が3505F(後の8531F)を残して全て置き換えられていました。

1995(H7)年の3505Fのリニューアルにより、2階建て車両に改造されたことが好評だったので、1997(H9)年から1998(H10)年に掛けて、8両化に合わせて、8000系にも2階建て車両が導入されていました。

8000系のリニューアルは、2010(H22)年から2012(H24)年に掛けて行われ、対象外となった8531Fが昨年3月末をもってラストランを迎えていました。

日中の京阪特急では、新3000系が使われる3ドア車運用以外は、この8000系(2ドア、2階建て車両付き)が使われるので、11月16日までの間に京阪特急に乗りに行けば、当たり前のようにこの25周年記念副標付きの8000系を狙うことが出来ます。

8000系は、デビューから25年経った今でも古さを感じないし。

この時に、樟葉駅で25周年記念副標付きの8000系を撮影することが出来て良かったです。

あとは、25周年記念副標付きの京阪7000系や50周年記念副標付きの京阪2200系も撮影しました。

淀屋橋からは本町まで移動し、大阪オリックス劇場で行われたハロプロの公演に参戦しました。

その後、友人のメタルダー氏と出会い、道頓堀を通ってなんばまで歩いて行き、御堂筋線で梅田まで行き、阪急梅田から阪急大宮まで、友人のメタルダー氏と一緒に、阪急京都本線の新車である1300系の1301Fによる準急河原町行きに乗りました。

道頓堀のグリコネオンは、リニューアルされる為に撤去され、期間中には綾瀬はるか氏が代打を務めています。なのでリニューアル前に見れて良かったです。あとはたこ焼きも食べることも出来たし。やはり運動の為に歩かせたのであります。

この日は、友人のメタルダー氏と、阪急梅田駅付近にある新梅田食道街のマクドナルド(マック、関西ではマクドと呼ばれている)で過ごした後、阪急梅田からメタルダー氏の地元である長岡天神(特急停車駅でもある)まで阪急京都線に乗って帰ることになっていたけど、京都まで行くから一緒に乗って帰ろうとしていたら、な・ん・と、新型の1300系の1301Fによる準急河原町行きが止まっていたので、万々歳の状態でした。

メタルダー氏は、長岡天神まで特急で帰ることも可能だけど、やはり比較的空いている準急に乗って帰ったのであります。

準急は、梅田を出た後、十三、南方、淡路、上新庄南茨木茨木市高槻市高槻市より先の各駅に停車していました。

大阪市営地下鉄堺筋線直通の堺筋準急は、天神橋筋六丁目(天六)〜淡路間で、柴島(くにじま)駅のみ通過となります。

1300系は、今年3月30日に、1300Fが京都線でデビューし、その1ヶ月後の4月30日には、1301Fも加わったけど、営業運転開始早々初期故障に遭っていました。

1301Fは、初期故障を乗り越えた編成でもあります。

阪急京都線は、1928(S3)年1月16日に、淡路〜高槻町(現、高槻市)間が、新京阪鉄道によって開業したのが始まりで、同年11月1日に京都西院(現、西院)まで延長されていました。

当時は、天神橋(現、天神橋筋六丁目)駅が大阪側のターミナル駅として使われていたし。

新京阪鉄道は、京阪電気鉄道の傘下だったけど、1930(S5)年9月15日に、京阪電気鉄道と合併されて、天神橋〜淡路〜京都西院間が新京阪線となっていました。

1931(S6)年3月31日には、関西初の地下区間として、西院〜京阪京都(現、大宮)間が開業。同時に京都西院駅が地下駅に移転されて西院駅となっていました。

1943(S18)年10月1日には、阪神急行電鉄(神宝線)と合併されて京阪神急行電鉄となり、1949(S24)年12月1日には、現在の京阪線部分が、現在の京阪電気鉄道として分離され、京阪神急行電鉄として残った新京阪線が、現在の京都本線に改称されていました。これにより、京都本線千里山線(現、千里線)、嵐山線が阪急の路線となったし。

1963(S38)年6月17日には、河原町まで延長されて現在に至っています。

京阪神急行電鉄から現在の阪急電鉄に変更されたのは、1973(S48)年4月1日のことで、同年11月23日には、阪急梅田駅が、現在の場所に移転・拡張されていたし。

西院〜西京極間の地下トンネルの出入口には、天人併其功の文字と鷲のエンブレムがあるけど、当時京阪電気鉄道によって作られた関西初の地下区間という記念でこのようなメッセージが入れられていたし。

京阪でも、天満橋淀屋橋中之島の各駅でメッセージがあるので、受け継がれていることが分かります。

阪急京都線の駅のうち、21世紀に入ってから開業した駅は、洛西口駅(2003(H15)年3月16日)、摂津市駅(2010(H22)年3月14日)、西山天王山駅(昨年(2013(H25)年)12月21日開業)の3駅で、洛西口駅は、1946(S21)年2月1日に開業し、1948(S23)年3月1日に廃止された物集女(もずめ)駅の跡に出来た駅であり、昨年10月26日に上り線(京都河原町方面)が高架化されています。

このように、阪急京都線で、新型の1300系に乗ることが出来て良かったです。

桂駅で並んでいた6300系の6351Fは、9300系の導入後、6352Fや6353Fと共に、京都本線の特急運用から追われ、2ドア車のまま嵐山線に転用された編成であります。
阪急大宮で途中下車した後、河原町まで移動したけど、この時に阪急京都線で最古参である2300系の2325Fによる準急河原町行きに乗ることが出来ました。

折り返しは、普通正雀行きとなっていたので撮影することも出来たし。

2300系は、1960(S35)年に、神宝線用の2000系の姉妹車としてデビューし、1967(S42)年まで製造されていました。

2000系と2300系は、阪急初の軽量車体による高性能車及び斬新なスタイルが評価され、1961(S36)年に記念すべきローレル賞の受賞第一号となっていたし。

1964(S39)年に京都線でデビューした2ドアセミクロスシートバージョンの2800系は、2300系がベースとなっており、昭和50年代に6300系が導入されるまで、京都線の特急で活躍していました。

6300系の導入後、3ドアロングシート車の一般車両に格下げ改造されていたけど、走行距離が長く、酷使されていたことに加え、3ドアロングシート化によって車体の強度が落ちた為に、車体更新されずに1988(S63)年から廃車となり、1995(H7)年に嵐山線で余生を過ごしていた2811Fと2815Fを最後に全廃となっていました。

9300系(京都線特急用の3ドアセミクロスシート車)の導入によって、一般車に格下げされた嵐山線用の6300系では、2ドアのままセミクロスシート化されていたことで、かつての2800系と同様の車内となっています。

その玉突きにより、嵐山線で活躍していた2300系の方向板編成が置き換えられていたし。

阪急京都線の大宮〜河原町間は、1963(S38)年6月17日に開業した京都地下線の延長部分であり、その途中にある烏丸駅は、京都市営地下鉄烏丸線の四条駅への乗換駅であります。

大宮駅は、嵐電(京福電鉄)嵐山本線の始発駅の四条大宮駅付近にあるけど、2001(H13)年3月24日の改正で特急が止まらなくなってしまったのが残念です。

開業当時は、京阪京都→京阪神京都駅で、河原町延長により現在の大宮(阪急大宮)駅に変更されていました。

西院駅は、嵐電にもあるけど、阪急は「さいいん」、嵐電は「さい」と読み方が異なります。

河原町駅は、京阪本線淀屋橋駅や京阪中之島線中之島駅と同様の1面3線構造の地下ターミナル駅であり、普段は1号線(10両編成対応で日中は特急がメインとなっている)と3号線が使われ、烏丸寄りにある2号線(切り欠き式の7両分対応ホーム)は、平日と土休日の朝の普通列車の一部と、土休日の快速特急(京とれいん)に使われています。

河原町駅は、隣の烏丸駅と地下通路で結ばれているので、京阪本線淀屋橋駅と北浜駅の関係に準じています。

阪急京都本線には、上牧〜大山崎間で東海道新幹線と並走することが有名だけど、1963(S38)年4月から12月に掛けて、高架化工事により、先行的に完成していた新幹線の線路を借りて営業運転されていたこともありました。2300系はその面影の残る形式となっているし。

正雀車庫には、1960(S35)年に製造された2300系のトップナンバー車で日本初のローレル賞受賞車である2301+2352号車が動態保存されているけど、方向板車なので原型を保っています。

その勇退記念イベントは、2005(H17)9月23日に嵐山駅の1号線で盛大に行われていたし。

今年になってからは、1300系の導入により、2321Fが廃車となり、現在は、2313,2315,2325Fの3編成のみと残り少なくなっています。

このように、阪急大宮駅で途中下車した後に2300系に乗れて良かったと思っています。

河原町から祇園四条まで歩いて行き、祇園四条から七条まで京阪新3000系で移動し、京都から米原乗り継ぎで大垣まで行き、ムーンライトながらで帰りました。

この日のステーション♪は、しゃもじの留守番状態だったけど、まみたんが運休(欠席)していました。

ステーション♪のほうは、一見するととてもおとなしそうなグループも実際はかなりハードなダンスを披露し持ち歌もジャンルが広く ロックにバラードまで多彩 メンバー各々実に個性的でファンとの絆が深いのが特徴的と言われているので都電の車両に似ているところがあります。

最近はステーション♪に奪われている為に、関西へのハロプロ遠征は今回で最後となります。会場推しなら継続する予定だけど。

次にさゆ、あやちょ、はるなん、あいりん、まみたん、ねねち、きなりん、しょこりん、ゆかっぴ、ももち、まいみぃ、ぺっぺ、なっち、みづきと握手出来るのはいつになるんだろう?