中央線、松戸でのなっちの公演

4月15日は、中央線等の新宿駅構内切り替え工事を見たり、松戸で行われたなっち(安倍なつみ氏)のコンサートを見たりしました。

ルート 目白〜新宿〜中野〜市ヶ谷〜東京〜上野〜松戸〜八柱〜松戸〜上野〜秋葉原御茶ノ水〜新宿〜目白

まずは、新宿まで山手線で移動し、ここから中野までは、201系T115編成(クハ201−52F)による各駅停車大月行きで移動しました。 

各駅停車大月行きのほうは、普段は運転されていないし、方向幕に入っていないので、普段の大月の表示のままで運転されていた。

土曜・休日には、大月21時24分発の各駅停車東京行き(大月発着で唯一の東京方面への各駅停車)が1本設定されている。

中野では、各駅停車の201系、E233系のほか、中野発着の特急も撮影しました。

中には、各駅停車青梅行きと珍しい表示もあったし。

中野駅で見たスーパーあずさ号は、S3+S23編成で、前8両が白馬行きとなっていた。

E257系が中野駅に停車するシーンは、回送列車で見られるけど、E351系(スーパーあずさ号)が、中野駅に停車するのは、切り替えの時限定で、中野行きの表示も工事の時限定である。

スーパーあずさ号には、千葉行きの表示もあるけど、現時点では乗り入れがない。

中野駅5番線にオレンジ色の電車が入線するのも、切り替えの時ならではである。 早朝・深夜における各駅停車の場合は、1、2番線発着となるので。

この時に、東京メトロ東西線の車両と201系またはE233系と並ぶシーンが見られていたけど、5000系、東葉高速1000系のほうは、既に全廃となっているので、昨年4月で最後となってしまった。

4月19日には、201系の6+4編成のT103(旧H2)編成(クハ201−5F)が例の長野総合車両センターまで廃車回送されていた。 6+4編成としては3本目の廃車。

この時には、前面の種別表示が事前に外された状態となっていた。

鉄道ファンの今月号には、3月18日に撮影されていたT103編成(旧H2編成)の最後の晴れ姿が出ていたけど、奇しくもその1ヶ月後に廃車回送されてしまったのである。

旧T32編成(クハ201−58F)のほか、旧T130編成(クハ201−56F)も京葉線に転用されていたのは、川越線で発生した踏切事故により、205系が1編成使用不能となったために、その電動車1ユニットが京葉線の205系から捻出されるために、その穴埋めとして、201系がもう1本入ったのである。

今回の切り替え工事は、前回とは異なり、12時頃まで行われていた。

この日は、埼京線湘南新宿ラインでも運休となり、行き先変更が見られていた。 南側のほうは、大崎折り返しとなり、普段見ることが出来ない、湘南新宿ラインの大崎行きの表示も出ていた。りんかい線も全て大崎折り返し。

北側の埼京線は、池袋折り返しで、湘南新宿ラインは、臨時に上野発着となっていた。日光、きぬがわ、スペーシアきぬがわ号などは、池袋発着。

E257系で見た編成は、M110+M205編成のあずさ号、M111編成のかいじ号

この後、E351系のS4+S24編成の中野駅到着シーンを見ました。

10時54分頃、8番線に201系のT106(旧H7編成)、クハ201−69Fによる回送列車が入線。

この日の緩行線は、従来の黄帯の総武線直通電車も運転されていた。

中野から市ヶ谷までは、201系のT128編成(クハ201−53F)に乗車。

市ヶ谷では、各駅停車立川行きを撮影しました。

市ヶ谷から東京までは、T126編成(クハ201−49F)に乗車したけど、水道橋駅付近で、T106編成による回送列車が待避していました。

御茶ノ水駅手前で転線し、普段のルートへ。 東京駅に到着した後、ここでも撮影をしました。 この後、T106編成が入線。 折り返しは試運転列車となっていました。

あとはE233系のH46編成(クハE233−46F)も、切り替え関連の試運転で使用されていた。

6月30日から7月1日に掛けて、中央線の三鷹国分寺間の下り線が高架線に切り替えられることになり、切り替え当日は列車の運休等が発生することになる。

7月1日からは、武蔵境、東小金井、武蔵小金井駅の下りホームが高架ホームとなる。 この日は、東海道・山陽新幹線のN700系の初日でもある。

東京駅の大江戸そばで昼食を取った後、京浜東北線の快速で上野まで行き、ここから常磐線の特別快速で松戸まで行きました。

京浜東北線で乗った編成は、ウラ71編成(クハ209−73F)。

東京駅の南口では、東京駅南口発、目黒駅経由等々力行きの東急バス(東98系統)を見ることが出来ました。 車両は、M7713(品川200か15−32、三菱ふそう車)こちらは、東急バスで唯一東京駅に乗り入れる路線となっている。

現時点では、東急バス目黒営業所の路線では、PASMO(Suica)で乗ることが出来ない。

現在東急バスでPASMOが使えるのは、淡島、下馬、弦巻、高津営業所所属の路線である。

上野から松戸までのった常磐線のE531系は、K464編成+K421編成。

快特なので、日暮里を出た後、松戸までノンストップだったので、かつての常磐線中距離電車を思い出しました。 

北千住駅前にあるTHEATER1010では、ごっちんこと後藤真希氏が出てくるミュージカル「2007 劇団 シニアグラフィティ 第4回公演〜昭和歌謡シアター横須賀ストーリー」が、4月24日から30日まで行われるけど、筆者のほうは残念ながら行く予定は無い。

松戸在住の友人は、その公演に行き、2列目で見ていたけど、北千住と松戸は、常磐線の快速で1駅と近い状態である。

THEATER1010は、西口の丸井のビルの10階から12階にある。 

1010ということは、千住の語呂合わせであるということが分かります。

松戸に到着後、新京成線に乗り換えて八柱へと向かいました。

この時に乗った車両は、8800形の8881Fで、松戸寄りの先頭車が8888番とぞろ目となっていました。 この時に、今年1月21日の常磐線撮影ツアー第二弾のスタートの時を思い出しました。この編成は、1990(H2)年に導入された車両である。1990(H2)年には、親会社の京成電鉄から払い下げの旧型車両が全廃となっていた。

八柱駅からは歩いて会場である松戸森のホール21へと向かいました。ここでは、なっちこと安倍なつみ氏のコンサート(安倍なつみコンサートツアー2007春 25〜ヴァンサンク〜)を見ました。

八柱駅からは、小金原団地および北小金駅から松戸新京成バスに乗っていくことも可能である。 あとは常磐緩行線北小金駅からもバスで行けるし。

松戸森のホール21は、正式名称は松戸市文化会館で、1993(H5)年11月3日に開館した松戸で一番新しいホールである。

この周辺には、21世紀の森と広場や、市立博物館がある。

筆者が松戸森のホール21での公演に行ったのは、一昨年8月21日のモーニング娘。の公演以来だった。

一番最初に行ったのは、2004(H16)年4月11日のごっちんこと後藤真希氏の公演だったけど、当時は八柱からバスに乗って行っていた。

あとは、同年10月10日に行われたなっちこと安倍なつみ氏の公演にも行ったことがある。

その応援団の友人との連番でなっちの公演を見たのは、昨年6月4日の中野サンプラザでの公演以来だった。 あの時筆者は武蔵丘でのイベントの後に行っていた。

今年の西武武蔵丘でのイベントは、6月10日となるので、都電のイベントと被ってしまうことが懸念されています。 6月10日は中野サンプラザでのGAM(松浦亜弥藤本美貴両氏によるデュオ)の公演の夜の部に行くので、武蔵丘から中野への移動ということになる。

今年のなっちのツアーは、4月14、15日に松戸森のホール21、4月21日に八王子市民会館で行われていたけど。4月28、29日に中野サンプラザ、5月4日に大阪厚生年金会館、5月5日に愛知厚生年金会館でも行われることになる。

なっちのツアーは、昨年春の〜おとめちっくBank〜以来1年ぶりに行われていた。

昼の部は、千葉市在住のなっち推しの応援団の団員と参戦。 この時は、なっちこと安倍なつみ氏による単独出演だったけど、最初から最後までバンドによる生演奏が魅力の公演だった。披露されていた曲は、やはり3月14日に発売されたミニアルバムである「25〜ヴァンサンク〜」の収録曲が中心となっていた。

チケットは、友人の枠だった。

その友人は、八王子公演にも行っていたけど、4月29日の中野公演に行く予定となっている。友人にとってはなっちと握手した後初めてのツアー参戦ということになった。

このことは、車で言えば、ETC装置(Electronic Toll Collection System、有料道路自動料金収受システム)が取り付けられた(導入された)ことになぞられている。

アーティスト本人と握手した瞬間は、ETCゲートのバーが開く瞬間になぞられているし。

筆者がFCチケットを申し込む時は、ほとんどが日曜・祝日の公演で、モーニング娘。が出てくる公演以外は、なるべく夜の部を申し込むようにしている。 こちらは鉄道の活動とのからみもある。

筆者の場合は、お釣りを取り忘れたどうか気にすることが多いので、ETCの場合はこのような心配がないのでちょうどいいと思います。

この後、当日券を買い、夜の部も参戦しました。 

やはり、昼の部を見ていいな!と思ったし、19日の八王子および28、29日の中野には行かれないので急遽夜の部も見たのである。

終演後には、八柱行きの臨時バスが2台出ていました。

八柱駅からは、新京成線で松戸へ移動。この時に乗った車両は8800形の8809F。

松戸では、くぬぎ山行きの8000形旧塗装である8501Fを見ることが出来ました。 新京成の8000形は、1978(S53)年に登場。8501Fと翌年の1979(S54)年に導入された8503Fは、抵抗制御車となっている。

8000形のほうは、1985(S60)年まで製造されていたけど、全て6両編成で、京成千葉線への直通運転に対応している。

松戸から上野までは、K419編成(クハE531−19F)に乗車。 上野から秋葉原までは、山手線のE231系500番台の511編成(クハE231−511F)に乗ったけど、外観にはジャニーズ系の6人グループであるKAT−TUN(カトゥーン)のニューアルバムの広告が本人の顔入りで入っていました。

KAT−TUNとは、K:亀梨和也(かめなし かずや、1986年2月23日 - )B型
A:赤西仁(あかにし じん、1984年7月4日 - )O型
T:田口淳之介(たぐち じゅんのすけ、1985年11月29日 - )AB型
T:田中聖(たなか こうき、1985年11月5日 - )B型
U:上田竜也(うえだ たつや、1983年10月4日 - )B型
N:中丸雄一(なかまる ゆういち、1983年9月4日 - )O型

の6人組で、そのグループ名はメンバーそれぞれの名字の頭文字から構成されている。

あとは、勝つ運という意味も込められている。

4月18日に発売されたKAT−TUNのニューアルバムは、cartoon KAT-TUN II You

その発売の翌日の4月19日には、昨年10月以来アメリカ・ロサンゼルスへの語学留学の為に渡米していた赤西仁氏が帰国し、活動が再開されたということで話題となっている。

4月21、22日の宮城県(グランディ21)での公演から本格的に活動が再開されていた。

グランディ21は、宮城県総合体育館のことで、仙台市郊外の利府町にある。2003(H15)年3月27日には、モーニング娘。の公演が行われていたことがある。

こちらは利府駅から宮城交通バスに乗っていくことになる。

KAT−TUNの東京公演は、6月2、3、16、17日に東京ドームで予定されている。

KAT−TUNといえば、昨年8月26〜27日の24時間テレビのパーソナリティで活躍していたことがあった。 武道館での募金の時は、KAT−TUN目当てのギャルたちで混雑していたことを覚えている。 あの時は八王子支社のイベントの時みたく、募金の時に待たされていたし。

秋葉原から御茶ノ水までは、中央・総武緩行線のE231系(クハE231−14F)に乗車。 この車内は、全て全労済の広告となっていた。

全労済とは、正式名称が全国労働者共済生活協同組合連合会であり、消費生活協同組合法(生協法)に基づき、厚生労働省の認可を受けて設立された“保障”の生協となっている。

全労済など協同組合によって行われる保障に関わる事業は、「保険」ではなく「共済」と呼ばれている。

御茶ノ水から新宿まで乗った車両は、中央快速線の201系のT118(旧H19)編成(クハ201−118F)。これによって、4月15日に切り替えられたばかりの新12番線での発着を体験しました。

新宿からは山手線で帰りました。

ここでT.Hさんのハワイレポートです。

こんにちは。樋口です。「モーニング娘。のハワイツアー」から帰国して早一ヶ月が経ちました。遅くなりましたがレポをします。よしちゃんの日記にも簡単で良いから取り上げてくれると嬉しいです。一日目はドキドキイベント、メンバーとツーショット撮影です。僕の名古屋組はハワイに到着後、一番最初のイベントなので衝撃を受けました。トイレで髭を剃って、髪の毛をセットして身嗜みを整えました。そして、自分達の番が来ました。荷物をスタッフに預けて部屋に入ると、メンバーの声が。一番前の愛ちゃん、えりりんに「お願いします」と言われたときは、自分は緊張しすぎて固まってしまって、うなずくことしか出来なかったです。写真撮影が終わるとウェルカムランチとハワイ観光巡りだけど、どうでも良いので省略します。そして、夕方のイベントは<ハラハライベントbyソロコーナー&古今東西ゲーム&抽選会>です。プレゼント抽選会は個人的に2番違いがあったけど、やはり簡単に当たるほど甘くはなく全て外れ。今回のイベントは全体として考えればそれほど面白いといった物はなかったけど、愛ちゃんが間近で見れてめっちゃくちゃ可愛かったと言うことと、ミキティーのトークが抜群に面白かったから、これはこれで一応アリじゃないでしょうか。二日目の朝は追加イベントです。会場前でかなり待たされてイライラしました。そして、クジを引いて入場しました。ようやくメンバーが登場して来て、自分はイベント内容はてっきり集合写真かなぁと思っていたのですが、よっすぃが「今から体操したいと思います」って聞いて、ふざけるなよ。と思いました。メンバーの周回は良かったけど。体操が終わるとメンバーが作った「モーニング新聞」を配布して、一旦ホテルに帰ります。自分はえりりんからの手渡しです。その時、愛ちゃんに手を振ってもらったのでめっちゃ嬉しかったです。最後のスペシャルライブイベントも良いことがありそうなやぁと思い、ホテルに帰りました。

最終日のイベントは「スペシャルライブ&握手会」です。ホテルのロビーで気合いを入れて座席抽選券を引くと何と250番台。まぁ前の方やから良いじゃんと思い、野外会場へバスで移動。入口では厳重な持ち物チェックが行われていて、みんな携帯電話を預けていたので自分も素直に預けることに。入場してカナーリ待たされてライブスタート。今回のライブは、前回の香港ツアーの用にソロライブがあったので、セットリストからすればかなりのボリュームでした。新垣、愛ちゃんによる「黄色いお空でBOOM BOOM BOOB」など懐かしいメドレーが聞けて良かったです。後、出だしの「青空がいつも続くような未来であれ!」は場面に合っていて良かったですね。「青空〜」のような定番曲をもう二、三曲歌って欲しかったかな。そしてMCと休憩が終わると、ラストイベント握手会です。

最後のイベントは握手会です。列ごとの順になります。握手は光→久→田→道→亀→藤→新→高→吉の順です。メンバーが登場して、握手会が始まった瞬間、自分はいきなり涙が出て来ました。メンバーとお別れするのは寂しいのと、今まで一年間、名古屋で一人暮しをしていて辛いことが山ほどあったけど、モーニング娘。のファンをやってるから全部乗り越えられたのです。辛いときはDVDを見て、メンバーが歌って踊って楽しいそうにしている姿を見ているだけでワクワク、ドキドキして、癒されていました。今までどれだけメンバーに慰めてもらって、そしてパワー、勇気をもらった事か。僕は七年間モーニング娘。のファンを続けて本当に良かったです。その事を思い出すと泣けてきました。握手会は「香港ツアー」よりもややスローだったのでメンバーに一言二言話せたと思います。僕は愛ちゃんに「副リーダー頑張って下さい」と伝えることが出来たし。そして握手会が終わり、バスを待っていたのですが、その場にいる参加者が皆すっごい笑顔なんです。だいたいどのライブでも終わった後は満足した表情が出てくるものだけど、今回は別格でしたね。もう、幸せな空気が充満していました。翌日は自由行動なので特筆することはなく、ワイキキビーチを散歩したりお土産を買いました。帰りの機内では色々なシーンを思い出すと幸福感がどんどん高まって来て、またプチ泣きをしちゃいました。中部国際空港に無事到着して、名鉄、JR(313系2次車などに)乗り継いで大阪の実家に帰ってきました。その日の夜より約365日ぶりに実家の生活を再会する事になります。一年間名古屋で一人暮しをして、今回のツアーに参加したということで自分にとって「モーニング娘。」の思いが一段と熱くなり、愛ちゃんの事がさらに好きになりました。よしちゃんへ:新曲のイベントお互い絶対当選させようね。 最後になりますが雑文読んでくれてありがとう。涙腺の緩いT.Hでした。それぐらい満足できたFCツアーでした。おしまい

という内容のレポートとなっていました。

では、バイバーイピンク、キャハ、キャハ、キャハ