ほくそう春まつり

月14日は、北総鉄道千葉ニュータウン鉄道)の千葉ニュータウン中央駅前で行われたほくそう春祭りに行って来ました。

ルート 目白〜日暮里〜京成高砂千葉ニュータウン中央〜印西牧の原〜印旛日本医大〜印西牧の原〜千葉ニュータウン中央〜白井〜西白井〜新鎌ヶ谷〜東松戸〜新八柱…八柱〜新鎌ヶ谷〜矢切〜京成高砂〜青砥〜日暮里〜目白

まずは山手線で日暮里へ。 日暮里から高砂までは、3300形の8両編成による特急成田空港行きに乗りました。 この3300形の8両編成は、3500形の車両故障に伴う代走によるもので、4月12日に結成されていた。こちらは、上野方より、3320+3319+3318+3317+3336+3335+3334+3333

これに伴って3341+3342,3343、3344号車が抜かれていた。

3300形の8連組成は、2002(H14)年12月以来4年4ヶ月ぶりだった。 こちらは、3353、3354号車の重要部検査入場によるものだった。

これにより、3300形による8連特急が復活し、3300形初の京成線内快特運用に入っていた。

3200形のほうは、3261〜3264号車の4連が残り、金町線を中心に最後の活躍をしているけど、今年度中に全廃となることが予想されている。

このように3300形の8連を見ることが出来てよかったです。

京成高砂では、北総鉄道の1日乗車券(1000円)を買ってからホームにある立ち食いそば屋で昼食を取りました。

京成高砂から千葉ニュータウン中央までは、都営5300形の5323Fに乗りました。 この5300形は、1991(H3)年3月31日の北総開発鉄道(現北総鉄道)の京成高砂〜新鎌ヶ谷間の開業と同時に登場。 この時からは5000形の置き換えが開始されていた。

秋山では、ヘッドマーク付きの7300形を見ることが出来ました。

ほくそう春祭りのヘッドマークは、今年は7300形、9000形に付いていた。

北総鉄道には、元京成3300形の7250形(7261F)が1編成在籍しているけど、C−ATSに更新されているために現時点も引き続き使用されることになる。

北総春まつりは、毎年千葉ニュータウン中央駅前で行われ、鉄道グッズの販売などが行われている。

今回は、北総鉄道のほか、京成、京急、都営、秩父鉄道などが出店していた。

ここでは、さよなら7000形の記念乗車券を買ったけど、未だに売れ残っていました。 

駅構内では、鉄道模型のパノラマや、鉄道模型のキッズ版であるプラレールがあった。

千葉ニュータウン中央駅付近には、イオン千葉ニュータウンショッピングセンターがあり、昨年4月21日に増築されていた。

今回は増築されて以来初めて立ち寄った。

千葉ニュータウン中央駅は、1984(S59)年3月19日に、住宅都市整備公団(のちの、都市基盤整備公団)の駅として開業。当時は何も無かったけど、現在は大きく変化している。

ここでは、ちばレインボーバス京成グループ)や消防車などの展示もありました。

展示されていたちばレインボーバスは、白井車庫所属の日野のワンステップバスで、ナンバーは、習志野200か・319。 管轄エリアである白井市習志野ナンバーとなっている。

こちらは、白井駅と六実駅西船橋駅木下駅を結ぶ路線を中心に活躍している。

その車庫は、白井と船尾。ちばレインボーバスは、1998(H10)年6月1日に京成電鉄のバス部門(現在の京成バス)から独立して誕生した千葉ニュータウンのバス会社である。

船尾車庫は、船橋営業所の分車庫から、白井車庫は、松戸営業所の分車庫から独立されている。

習志野22の場合は、をナンバーとなっているけど、習志野200の場合は、ほとんどのエリアと同様に、かナンバーとなっている。

あとは、成田ゆめ牧場のソフトクリームも食べたのである。

駅横のスペースには、2010年の成田高速鉄道の開業祈願の為に、2010本のバラが植えられている。

千葉ニュータウン中央から印西牧の原までは、9000形の9011Fによる印西牧の原行きに乗車。 この時には、ほくそう春まつりのHMが付いていました。 

北総(千葉ニュータウン鉄道)9000形は、1984(S59)年の小室〜千葉ニュータウン中央間の開業に備えて、2編成が導入されていたけど、当時は2000形だった。

やはり、相互直通先の京急2000形と形式が重複するために、1994(H6)年に9000形に改番されていたのである。 2000形の時代は、2101から始まっていたために、京急2100形とも被ることになる。

印西牧の原駅では、3月25日に立ち寄っていたので、久しぶりでは無かったです。

3月25日のさよなら7000形の乗車会・撮影会に参加していた人たちは、印旛の車両基地から印西牧の原まで、北総7500形の7503Fによるお見送りサービスがあったので、まさに新旧交代のシーンだった。

北総線では、かつて7050形(元京成3100形)の4両編成による矢切〜新鎌ヶ谷間の区間運転列車も運転されていたこともあった。

7300形のうち、初期型の7301Fと7311Fは、新京成線の松戸まで乗り入れていたこともあったけど、1年で廃止されてしまったことになる。

新京成線と北総・公団線(現北総線)との直通運転が行われていた頃は、北初富駅から分岐し、新鎌ヶ谷へと向かっていた。 北総線から松戸への直通運転は、1991(H3)年3月31日の京成高砂〜新鎌ヶ谷間の開業後も継続されていたけど、翌年の1992(H4)年7月8日に、新京成線新鎌ヶ谷駅が新設されたことにより、新京成線と北総・公団線との直通運転が廃止されていた。

当時は、新京成線の車両も千葉ニュータウン中央まで乗り入れていた。

1990(H2)年に全廃となった京成電鉄からの払い下げ車両だった200形や2000形という吊り掛けモーター車も、晩年は千葉ニュータウン中央へも乗り入れていたことがあった。


印西牧の原から印旛日本医大までは、都営5300形の5304Fに乗車。 こちらは、1991(H3)年度に導入された初期型で、車椅子スペースが中間の4、5号車にある。

1991(H3)年3月31日の営業運転開始時点は、5301、5302Fの2編成しかなかった。

翌年の1992(H4)年に導入された5307Fからは、車椅子スペースが先頭車(1、号車)に移設されていた。

5300形の初期型は、C修繕工事により、座席が交換されている。 ドアチャイムのほうも、2003(H15)年頃から使用開始されていた。

都営5200形は、昨年11月3日のさよなら運転の時は、西馬込千葉ニュータウン中央間で特別運転が行われていたけど、折り返しの間合いで印西牧の原へも入っていた。

5200形は、晩年は5201Fの1編成のみ存在で、西馬込泉岳寺間の区間運用が中心となっていた。 京成への乗り入れ範囲は青砥まで。

5300形は、運用限定されることもなく、オールマイティーに使用されている。

5200形のほうは、昨年12月20日に京急ファインテック久里浜事業所まで回送され、その場で解体されてしまったのである。

京急ファインテック久里浜事業所と言えば、今年5月27日に恒例のイベントが行われることになるけど、奥野さんは行くことに決めている。

筆者が印旛日本医大駅に行ったのは、2004(H16)年9月19日以来だった。 この区間の初乗り運賃は300円と高い。

印旛日本医大駅は、2000(H12)年7月22日に開業した駅で、駅舎だとは思えないほどのデザインが評価されて、関東の駅百選に認定されている。副名称は松虫姫。松虫姫とは、不破内親王の別名である。所在地は千葉県印旛郡印旛村

現在は一般公開されていないけど、展望台があることが特徴である。

筆者は2001(H13)年の関東の駅百選スタンプラリーの最終回に立ち寄った駅を印旛日本医大駅にしたのである。

当初は、都営新宿線本八幡駅から、新鎌ヶ谷を経由して、印旛松虫(印旛日本医大)まで、千葉県営鉄道北千葉線が計画されていたけど、2002(H14)年に県営鉄道としての事業が廃止されたので、成田新幹線みたく、幻の路線となっている。

2010年4月を目処に、成田高速鉄道の路線が成田空港まで延長される予定であり、その建設工事が行われることになる。 現在は行き止まり部分が盛り土によってせき止められているけど、それが崩されることになる。

周辺では、いには野ニュータウンの整備が行われている。 印西牧の原駅と同様に、前回訪問した時よりも開けてきていると思います。

この辺りの住民は、都心まですぐ行けるのが魅力だけど、北総線の運賃が高いということが泣きどころである。

印旛日本医大から印西牧の原までは、京急600形の605Fで移動。 京急車の北総線への乗り入れは現在も少ない状態である。 乗り入れ編成は、1000形、1500形、600形、新1000形。

京急600形のロングシート化改造は、603,604、606、608Fで行われているけど、そのうちの606Fは、ブルースカイトレインとなっている。 

605Fのほうは、未だに改造されていないため、ツイングルシートに座ることが出来ました。

印旛日本医大から三崎口への直通運転は、平日の2本のみとなっている。 こちらは京急車が使用されている。

3月31日に登場したステンレス製の新1000形である1073Fは、現在京急線内のA快特中心の運用で、現時点では、都営線や京成線、北総線には乗り入れていない。

印西牧の原駅では、都営5300形への車両交換により入場する前の北総7300形の7801F(ヘッドマーク付き)を見ることが出来ました。 こちらは、7300形で唯一、京成からのリース車で、京成時代は、3700形の3801Fだった。 

既存の7300形との違いは、車椅子スペースや前面のスカートの有無である。

北総鉄道への京成車の乗り入れは、2000(H12)年以来途絶えていたけど、昨年12月10日のダイヤ改正で、平日夕方の1往復に限り復活していた。 こちらは、羽田空港 16時31分発、印旛日本医大 18時20分発となっており、3400形、3700形、3500形更新車、3000形(3001F)が使用されている。

印西牧の原から千葉ニュータウン中央までは、都営5300形5310Fに乗車。

千葉ニュータウン中央から白井までは、北総7500形7503Fに乗ったけど、新車の匂いが漂っていました。

白井駅前も賑やかとなっていました。

白井市のほうは、2001(H13)年4月1日に市制が施行されるまでの間、印旛郡白井町と呼ばれていた。

千葉ニュータウン中央駅印西牧の原駅のある印西市は、印西牧の原駅の開業から1年後の1996(H8)年4月1日に市制が施行されていた。 以前は印旛郡印西町。

小室駅は、北総線で唯一船橋市にある駅で、北習志野駅や船橋駅から船橋新京成バスが出ている。

白井から西白井までは、9121Fで移動。 西白井駅構内には、2000(H12)年に印旛車両基地が出来るまでの間、車両基地として使用されていたけど、現在は建物が残されている。

西白井から新鎌ヶ谷までは、5323Fで移動。 新鎌ヶ谷では、イオン鎌ヶ谷ショッピングセンターとアクロスモール新鎌ヶ谷に立ち寄りました。

鎌ヶ谷のイオンのほうは、2004(H16)年9月19日に立ち寄ったことがある

鎌ヶ谷から東松戸までは、北総7500形の7501Fで移動。 この編成は、昨年2月20日に登場した時から使われている編成で、7500形で唯一の東急車輌製となっている。 7502、7503Fは日本車輌製。

これにより、北総7500形で3編成共に制覇したことになりました。

東松戸駅は、1991(H3)年の開業当時は、北総線の駅があるだけとなっていたけど、1998(H10)年3月14日に武蔵野線の駅が新設されているけど、相互の乗り換え客が少ない状態となっている。

こちらは、北総線の本数が少ないこと、北総線の特急や急行が東松戸駅に停車しないこと、都心直通で割高になることなどの影響である。

東松戸から新八柱までは、武蔵野線の205系(クハ205−44F)に乗車。こちらは元山手線のVVVF改造編成である。

新八柱駅は、地下駅となっている。

この周辺には、八柱霊園があるけど、こちらは都外(千葉県松戸市)にある東京都立の霊園となっている。

八柱霊園へは、八柱、新八柱東松戸駅から松戸新京成バスで行くことになるけど、お彼岸の時期は混雑する。 あとは松飛台の駅から徒歩で行くことも出来る。

新八柱駅からは徒歩で、21世紀の森の広場にある森のホール21まで歩いていきました。 こちらは、なっちこと安倍なつみ氏のコンサートが行われていたけど、今回は入らなかった。

この前には、大学堂というホットドッグやアイスクリームの移動販売が来ていました。 大学堂は、千葉県市川市に本社があり、ここを拠点に東京都東部や千葉エリアを回っている。

この大学堂の移動販売車は、今年4月8日に放送されたテレビ東京系のハロモニ@で、錦糸町に来ていたことでモーニング娘。のメンバーが目撃していたのである。

さゆは、アイスドッグを頼んでいたので、筆者もアイスドッグを頼んだのである。

なっちファンの友人は、この日の公演に参戦していた。

八柱駅からは、新京成線の8000形の8505Fで新鎌ヶ谷まで戻りました。 この編成は、1981(S56)年に導入された界磁チョッパ制御方式の第一号である。

鎌ヶ谷から矢切までは、5310Fに乗車。

矢切駅は、市川と松戸の中間にある地下駅で、地下1階がコンコース、地下2階がプラットホームとなっている。

駅前には、市川松戸線という道路が出ており、その市川側の手前では、国府台駅を通ることになる。

矢切駅前には、4月19日に笑がおの湯という京成グループスーパー銭湯がオープンしていたけど、この時はオープン前だった。

笑がおの湯のほうは、他に、千葉県千葉市中央区寒川町に千葉寒川店がある。 こちらは、本千葉駅千葉寺駅が最寄り駅となっている。

矢切駅前では、野田22か・・・1番の京成バス(松戸営業所所属、3348号車)を見ることが出来ました。 

こちらは、野田自動車検査登録事務所(野田ナンバー)が、習志野自動車検査登録事務所習志野ナンバー)から独立した上で設立された後、初めて登録された路線バスの証である。

因みに野田ナンバーの管轄地域は、松戸市野田市柏市流山市我孫子市となっている。

矢切から京成高砂までは、5314Fに乗車。ここで、Suica(PASMO)にバトンタッチした後、青砥まで、5327Fで移動。こちらは、3月19日の北海道からの帰りに羽田空港から品川まで乗った時と同じ編成だった。

青砥では、京急ブルースカイトレインの605Fによる、2010年の中国・北京万博のPR列車を見ることが出来ました。 外観のほか、車内広告にも北京万博がアピールされていた。

青砥から日暮里までは、3700形の3751Fによる特急に乗車。日暮里から目白まで山手線で帰りました。

では、バイバーイピンク、キャハ、キャハ、キャハ