ゆうかりん推しになってから1年経ち、東急世田谷線

練馬区の光が丘IMAホールで行われたスマイレージメガバンクゆうかりんこと前田憂佳氏に指名されて推しメンバに昇格してから今日(1月31日)で1年経ちました。

ゆうかりんのところで自分の座席番号が呼ばれて、前田ボードを掲げていたけど、後ろに当たった場合は優勝ということでゆうかりんが優勝していたのである。このことで大爆笑されていたし。あの時は例のしゃもじを刺した格好で参戦していたし。

まさにゆうかりんが推しメンに昇格していた時でした。

この1年の間、ゆうかりんとの友好度がアップし、スマヲタの仲間も増えてきたなどで成長していました。

今年1月4日以降さゆに対する運勢が回復してきています。

前田ボードを掲げたしゃもじが懐かしいです。

以下は当時の文章を一部手直しした文章です。

練馬区の光が丘IMAホールで行われたS/mileageの応援企画イベントでは、S/mileageの曲を聴くことはもちろんのこと、ゲームで自分がゆうかりんこと前田憂佳氏のサポーターに指名されて、前田ボードを掲げることが出来たので最高な気分だったよ!その甲斐あってゆうかりんが優勝し、握手会の時にゆうかりんに優勝おめでとう!と声を掛けた時に注目されていたし!まさに悪臭会通過サイン音状態返上で、High-kingの時からゆうかりんを応援した甲斐があったよ!

これによりしゃもじはピンク色や赤色のメンバーとの相性が良いことを実感したし!やはりゆうかりんはさゆと同じピンク色のメンバーだし。

このように自分が握手会に参戦出来、ゆうかりんこと前田憂佳氏のサポーターに任命されたことで、気持ちいい!超々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々気持ちいい!何も言えねえ!状態だよ!

まさに、世界超々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々最高級豪華絢爛ウルトラエクストラロイヤルネオハイパーロイヤルリムジンブロアムVIPスーパーモロスッペシャル万々歳――!!\(^ー^)/

是非また参加したいと思ったよ!

このことは2ちゃんのスレにも出てきていたし。

これからもS/mileageを応援していきたいと思います。

当時は自分(しゃもじ)が2回目で、モコモコさんは3回目に当たっていました。モコモコさんも自分(しゃもじ)と同様にメガバンクとは無縁の状態が続いているし。

昨年はスマイレージが話題になった年で、レコ大での最優秀新人賞で締めくくられていました。ゆうかりんからの爆レスは忘れられないし。

京王9000系が登場してから1月24日で10年経ちました。

10年前のデビュー当時に導入された編成は、9701Fと9702Fの2編成であります。9000系が導入されてからは6000系の置き換えが本格的に行われるようになったけど。

初期型の0番台は、8両編成で8本在籍し、6000系7000系との連結運転が可能となっています。貫通幌が完備されている為に貫通ドアの部分が凹んでいます。

2006(H18)年3月から導入された9000系の30番台は、10両固定編成20本在籍し、都営新宿線乗り入れ運用や、京王線内の準特急などの優等列車相模原線の各駅停車に使われています。これにより都営新宿線乗り入れ対応の6000系の全てが置き換えられていたし。

一昨年導入された最終増備車の9730Fは、前面のKEIOのロゴマークが右側のヘッドライトの下にあるということで異彩を放っています。その他の編成は赤帯部分にあるけど。

この日は新宿から下高井戸まで、9701Fによる各駅停車に乗ったけど、行先表示が全てフルカラーLEDとなっていました。

帰りは下高井戸から新線新宿まで9736Fによる快速本八幡行きに乗ったけど。

30番台の前面貫通ドアには幌が無いのですっきりとした感じがします。

1991(H3)年9月に本八幡本駅が開業するまでの間は、京王車(当時は6000系が使われていた)が大島(直通運転開始当時は岩本町)折り返しで、大島(岩本町)以東は全て都営車(10-000形)となっていました。

1991(H3)年9月1日に本八幡本駅が開業した時に京王車も大島以東にも進出し、千葉県にも京王車が入るようになったのである。

1989(H元)年3月19日に都営新宿線の篠崎〜本八幡間が開業した当時は本八幡駅が仮駅となっていたけど。

本八幡本駅の開業により京成八幡駅とも結ばれるようになったのである。

京成八幡駅は、改良工事が行われています。こちらには以前京成百貨店がありました。改築後京成電鉄の本社が押上から移転してくることになります。 押上(東京スカイツリー前)には、東武鉄道の本社もあることで有名だし。業平橋駅は、とうきょうスカイツリー駅に改称されることで話題となっています。

京王9000系のデビュー当時は、2001(H13)年3月27日の改正(準特急、都営新宿線直通急行の登場)で廃止された新宿〜橋本間の特急(8両編成)も運転されていたけど、明大前〜調布間で急行の後を走っていたのでノンストップ区間なのに追い抜きを行わずにノロノロ運転ということで評判が悪かったです。その相模原特急にも9000系が使われていたこともありました。

この日は久しぶりに東急世田谷線に乗りました。

最初に乗った車両は、オレンジ色の309Fで、都電8800形の8808号車と8809号車の2両と同じ色となっています。

東急世田谷線300系は、ステップレスの連接車(ライトレール(LRT)で、富山ライトレールと同様に各編成毎に塗装が異なっています。

都電の8800形と同じ色の編成を見た時にテンションが上がったし

今から10年前までは、かつての玉電の面影があった緑色の旧型電車(70,80,150形)も走っていたけど、2両連結で前後の通り抜けが出来ず、冷房が付いていなかったです。

東急世田谷線は、三軒茶屋と下高井戸を結ぶ路線で、1969(S44)年5月に東急玉川線(玉電、渋谷〜二子玉川園(現、二子玉川)間)及び砧支線(二子玉川園〜砧本村間)が廃止される前は、玉電の支線で、渋谷〜下高井戸間の直通運用が行われていました。

玉電が廃止されてからは支線が世田谷線として独立していたけど、全て専用軌道(西太子堂〜若林間の環七通り横断部は都電荒川線と同じ交通信号に従う方式)となっているので路面電車のイメージが薄れています。

若林の環七通りとの交差部は以前普通の踏切(若林踏切)となっていたけど、交通渋滞緩和により、都電荒川線と同様の交通信号に従う方式)に切り替えられていたけど、
当時の名残として若林踏切の名称が交差点名に残されています。

東急目黒線(旧目蒲線)の洗足駅付近や東急池上線の長原駅付近が環七通りと地下で交差されていることも頷けます。こちらは40年以上前に地下化されていたけど。

環八通りのほうは、昨年9月26日の京急本線の京急蒲田〜雑色間の下り線の仮高架化により、踏切が無くなっています。今思えば幹線道路に踏切が邪魔な状態だし。

このオレンジの編成は、三軒茶屋から折り返し下高井戸行きとなり、下高井戸から上町行きとして入庫していました。

その車両基地は上町にあり、この日は明るい紫色の編成他3本が寝ていました。

世田谷線三軒茶屋駅は、キャロットタワーの1階にあり、ドーム状の屋根が特徴となっています。東急田園都市線(旧、新玉川線)の三軒茶屋駅とは地下通路を介して結ばれているし。

山下電停は、小田急線の豪徳寺駅への乗り換え駅となっています。

東急世田谷線の運賃は大人140円均一で、せたまるICカード(世田谷線専用カード)やPASMO(Suica)も使えます。後は一日乗車券(大人320円)も設定されているし。

三軒茶屋から下高井戸までは、東急世田谷線300系306F(ももち番)に乗りました。

こちらは黄色ということで、黄色い都電N形こと都電8800形の8810号車と同じ色となっています。

東急世田谷線では、車内でPASMOSuicaのチャージが出来ないので注意が必要です。

301Fは、かつて玉電を走っていたデハ200形連接車(ペコちゃん)と同じ緑色とクリーム色の塗り分けとなっています。

塗装は、302F=水色、303F=紺色、304F=緑色(晩年の旧型車と同じ色)、305F=ピンク色、306F=黄色、307F=紫色、308F=赤色309=オレンジ色、310F=ターコイズグリーンとなっています。

以前は生茶お〜いお茶などのラッピングがあったけど、現在は東急電鉄(せたまる、東急東京メトロパス)以外のラッピングは無くなっています。

東急世田谷線の旧型電車が無くなり、全てこの東急300系に統一されてからもうすぐ10年経ちます。

玉電最後の新造車だったデハ150形が最後まで残っていたことを覚えています。

デハとは、東急電鉄および戦争中に一時的に東急と合併し、大東急の一員だった民鉄(京王、小田急京急、相鉄)用語でモーター付きの車両(モハ)を意味しています。


東急デハ200形(ペコちゃん)と言えば宮崎台にある電車とバスの博物館に保存されている204Fを思い出します。 現役当時は201F〜206Fの6編成あったけど、保守が困難であることなどの理由により、世田谷線に継承されずに玉電の廃止により全車廃車となったけど、14年という短命の車両となってしまったのである。204Fは、廃止後多摩川園(現在は閉園)で静態保存されるようになったけど、高津駅高架下→電車とバスの博物館(高津)→電車とバスの博物館(宮崎台)へと移転してきています。

現在電車とバスの博物館の別館にある510号車は、高津駅高架下で保存されていたこともありました。 高津駅は、大井町線溝の口延長による複々線化・改良工事により、電車とバスの博物館があった頃の面影が無くなっています。

206Fは千葉県野田市にある清水公園で保存されていたけど、残念ながら荒廃により解体されてしまったのである。

東急世田谷線に行く前に都電を撮影したけど、8806号車のヘッドマーク付きの姿はこの日が最後でした。オレンジの都電1号こと8808号車のヘッドマークも外されていたし。この日の都電はゆうかりん推し1周年を祝う形で8800形が連続して来ていました。こちらは前も言ったけど、ゆうかりんとあやちょの組合せにそっくりだし!

この日から、京王競馬場線の平日運用は、7000系の2両編成(7421Fまたは7422F)となりました。 こちらもワンマン運転となっているけど。京王動物園線も、6000系が引退した後、7000系の4両編成に置き換えられることが決まっています。

もうすぐさゆと握手出来るので楽しみにしています。

では、バイバーイピンク、キャハ、キャハ、キャハ