新京成のしんちゃん電車、都電

この日は、今月18日をもってラストランを迎えた新京成の8000形の8502Fによるしんちゃん電車の乗車・撮影を行いました。

ルート 目白〜日暮里〜北千住〜松戸〜新鎌ヶ谷京成津田沼〜千葉中央〜ちはら台京成高砂〜町屋…町屋駅前荒川車庫前王子駅前〜早稲田

鎌ヶ谷から京成津田沼まで、今月18日をもってラストランを迎える予定の新京成の8502F(しんちゃん電車)に乗りました。

新京成の8000形のうち8502Fと8504Fは初期の抵抗制御車の為に廃車対象となっているので8504Fは昨年廃車となり、8502Fは近いうちに廃車となる予定であります。

この8502Fは1978(S53)年にツートンカラーでデビューしていたけど、2001(H13)年にデビュー当時のツートンカラーに戻され、リバイバルカラーとして活躍していました。

今回はこの8502Fを撮影することが出来て良かったと思います。

松戸でも8502Fを撮影したけど、松戸から新鎌ヶ谷まで先発の8800形の6連改造車である8802Fに乗りました。この番号を見ていると都電の車両を思い出してしまいます。

新京成の8800形のぞろ目編成である8888Fのほうはくぬぎ山の車庫で寝ていました。

新京成線の北初富、新鎌ヶ谷初富駅は高架化工事が行われているけど、その工事が大幅に遅れています。高架化された暁には、新鎌ヶ谷駅北総線成田スカイアクセス)と同じレベルになるし。

新京成線新鎌ヶ谷駅は、1992(H4)年7月8日に開設された駅で、開業当初は相対式ホームとなっていました。高架化工事による仮設ホームは島式となっているけど、高架化後も島式となる予定となっています。

これまでの間は、松戸〜千葉ニュータウン中央間で直通運転が行われ、北初富駅から分岐していました。 当時は新京成線の松戸〜北初富間に北総・公団線(現、北総線)の車両が、北総・公団線の北初富〜新鎌ヶ谷千葉ニュータウン中央間に新京成の車両が乗り入れていたことがありました。1991(H3)年3月31日に京成高砂〜新鎌ヶ谷間が開業し、都心乗り入れが行われるようになった後も新京成線との直通運転が継続されていたし。

その連絡線跡は、北初富〜新鎌ヶ谷間にあったけど、高架化により失われてしまいます。

東武野田線新鎌ヶ谷駅が信号所からの昇格により開業したのは1999(H11)年11月25日のことで、これにより新鎌ヶ谷総合駅が誕生していました。 鎌ヶ谷市は、北海道日本ハムファイターズの二軍の本拠地であり、それにちなんで東武側で「ファイターズ讃歌」の発車メロディーが使われています。隣の鎌ヶ谷駅もだし。

新鎌ヶ谷駅京成津田沼駅で、新京成の狸電車こと8000形8512Fによる新春ヘッドマーク付き電車を撮影しました。こちらは京成千葉線直通の千葉中央行きで、新京成線では種別無しの表示、京成線では、普通千葉中央(普通松戸)の表示となり、運行番号も表示されます。

新京成の千葉中央乗り入れ(新京成電鉄による片乗り入れ)は、8000形、N800形、8800形の6連改造車(いずれも6両編成)に限定されている理由は、京成千葉線のホームが6両分までしかないからであります。

日中の京成千葉線は、新京成直通の千葉中央発着と津田沼ちはら台間の列車が交互に運転されています。

新京成の8000形は、この8512Fを含めて界磁チョッパ制御からVVVFインバータ制御への交換が進められているけど、抵抗制御の8502Fと8504F(昨年廃車済)のほうは対象外で廃車となる運命となっています。

習志野駅付近には、自分(しゃもじ)が1歳の時まで住んでいた場所であり、自分自身(しゃもじ)の生誕の地がこの周辺にありました。

当時の新京成線は全然記憶には無いです。

習志野は、現在東葉高速鉄道も乗り入れているけど、こちらは地下駅となっています。地下駅だとekiShスタンプ集めが困難になるので地上の新京成側でGETしておいてよかったです。

習志野駅周辺には、SLのD51 125号機が保存されており、習志野発祥の地となっている薬円台公園があります。この時に一昨年のフォトラリーで行った時を思い出しました。

京成津田沼では、N800形のN828F、8800形の8連の8840F、8900形の8938Fを撮影しました。

新京成の8800形は全て6連に改造される予定となっているけど、8900形のほうは8連のまま残ることが予想されています。

新京成8900形は全て8両編成なので京成千葉線に乗り入れることが出来ない車両となっています。こちらは自分(しゃもじ)がAKB48のメンバーと握手出来ないことに例えています。

新京成N800形は、2005(H17)年5月に導入された時からはたったの1編成しかない虎の子だったけど、昨年1月に6年間のブランクを経てN828Fが導入されたことにより、2編成となっていました。

京成津田沼から千葉中央まで、新京成の8000形8512F、千葉中央からちはら台まで京成の3004Fで移動しました。

京成千原線は、1992(H4)年4月1日に千葉中央〜大森台間が、その丸3年後の1995(H7)年4月1日に、大森台〜ちはら台間が千葉急行電鉄の路線として開業していたけど、当時は京成からのリース車(初代は青い1000形(元京急旧1000形))が使われていたことがありました。

1998(H10)年10月1日には、千葉急行京成電鉄に買収され、京成千原線となったのである。駅名表示が他の京成の駅と異なることや運賃が高いことはその名残であります。

京成千原線に乗ったのは12年ぶりでした。

ちはら台駅は、京成電鉄の駅で唯一市原市にあります。

1995(H7)年4月1日には、北総・公団線の千葉ニュータウン中央〜印西牧の原間も同時に開業していました。

ちはら台から京成高砂まで折り返しの3004Fによる普通上野行き、京成高砂から町屋までは後続の3301Fに乗りました。普通列車にそのまま乗った理由は、やはりekiShスタンプをGETしやすくするためでありました。


町屋から荒川車庫前まで歩いて行き、荒川車庫を視察したけど、昨年9月に発生した接触事故の為に休止中の8805号車が方向転換されていた(ぶつけられた側がトラバーサー側に来ていた)のを確認しました。こちらは近いうちに修理されることが予想されます。

こちらは昨年に佐藤優樹氏を除いた10期メンバーと握手出来なかったことと同じような出来事となってしまいました。

王子駅前から早稲田まで、都電の8501号車(都電最後の方向幕車、めんめん)に乗りました。

折り返しは、荒川車庫前三ノ輪橋間(三ノ輪橋行き)の終電の1本前の電車で、今から8年前の2004(H16)年(自分(しゃもじ)にとっての大厄年)まで緑色の幕(緑表示)を出していたことがありました。8年前は一時的に都電から離れていたので終電前の緑表示が廃止されていたことは知らなかったです。このことは後になってから秋葉原にあった交通博物館(現在はさいたま市にある鉄道博物館に移転されて閉館)で展示されていた緑幕でこのことを知りました。

この列車は三ノ輪橋到着後に折り返し王子駅前行きの終電となっていたので、王子駅前の赤幕が披露されていました。

他には三ノ輪橋22時29分発大塚駅前行きの終電もあるので、大塚駅前の赤表示や終電大塚駅前の表示も見られます。

この8501号車は8502〜8505号車と同様にLED化されるのか、方向幕のまま残されるのか気になります。

今回も都電のマスコットキャラクターであるとあらんのぬいぐるみキーホルダーと一緒に撮影しました。

8501号車の後に幸せの黄色い都電の8810号車による三ノ輪橋行きの終電が来ていたので撮影しました。

黄色い都電8800形は、この8810号車の1両しかない虎の子なので、もう1両の都電の虎の子である8501号車と同様に終電に入ったことが貴重であります

早稲田発三ノ輪橋行きの終電は、折り返し荒川車庫前行きの終電となるので三ノ輪橋側の終電ということになります。

虎の子ということで中伊豆東海バス伊豆の踊り子号という旧型のボンネットバスいすゞ修善寺駅河津駅、現在は運休中)のことを伊豆の踊り子号ならぬ伊豆の虎の子号と呼んでいたことがありました。こちらはちょうど1台しかないので。

この日も名古屋の中京大学文化市民会館ハロコンが行われていました。次にさゆ、あやちょ、りなぷ〜、真野ちゃんに会えるのはいつになるんだろう?

都電の神田川橋梁(高戸橋)では、3月末までの予定で塗り替え作業が行われており、昨日(14日)から覆いが付くようになりました。桜のシーズンには綺麗になった神田川橋梁を見られることになります。

この日は芝浦ふ頭のStudioCube326でTHE ポッシボーのライブが行われ、その後にグッズ購入者対象による握手会が行われていたのでまたしても握手会を逃してしまいました。 やはりゆうかりんと最後に握手してから恵まれなくなってしまいました。

この日のekiShスタンプは、上本郷、松戸新田、みのり台、八柱、新八柱、常盤平、五香、元山(千葉県)、くぬぎ山、北初富、新鎌ヶ谷、初富、鎌ヶ谷大仏二和向台、三咲、滝不動、高根公団、高根木戸、北習志野習志野、薬園台、前原(新京成電鉄線マスター)、検見川、京成稲毛みどり台、西登戸(京成千葉線マスター)、千葉寺、大森台、学園前(千葉県)、おゆみ野ちはら台京成千原線マスター)、谷津、船橋競馬場、大神宮下、海神、東中山、鬼越、菅野、市川真間、国府台、江戸川の各駅でGETしました。

京成本線の駅に関しては、京成上野京成津田沼間および京成成田駅でGET済となっています。