関西遠征1日目、さゆに触れた日

この日は、関西遠征1日目でした。 ルート 新宿高速バスターミナル〜大阪(梅田)阪急三番街バスターミナル…大阪〜京橋〜淀屋橋〜北浜…天満橋大阪城公園天満橋寝屋川市淀屋橋丹波橋〜藤森〜淀〜七条…イオンモールKYOTO…京都〜東福寺祇園四条出町柳〜三条〜天満橋大阪城公園天満橋中之島…湯元花乃井スーパーホテル大阪天然温泉

まずは大阪駅で、来月15日をもって全廃される予定の183系(485系からの改造車)のB61編成(クハ183-706F)によるこうのとり1号(城崎温泉行き)を撮影しました。

この編成は、1996(H8)年3月に、雷鳥サンダーバード号の681系の導入によって捻出された485系(クハ481-318号車など)から交直両用機器の撤去などの改造を受けて転用されており、当時はオリジナルの塗装となっていました。

2009(H21)年には国鉄色(窓下に赤帯入り)に変更されています。

一昨年(2011(H23)年3月12日の改正では、新型の287系の導入により一部が置き換えられていたけど、昨年3月17日の改正からは、287系の導入が紀勢線のくろしお号への導入に切り替えられた為に、捻出された381系(元祖振り子式特急)に置き換えられることになり、今年3月15日をもってラストランを迎える予定となっています。

こうのとり号の前身である北近畿号は、国鉄最後のダイヤ改正である1986(S61)年11月1日に、福知山線の宝塚〜福知山間及び山陰本線の福知山〜城崎(現、城崎温泉)間の電化により登場した列車で、それ以前は、まつかぜ号(現在のスーパーまつかぜ号(鳥取〜米子、益田間)とは別)が運転されていました。

上部にもある前照灯は、183系(485系からの改造車)の証であります。

今回の関西遠征で、この183系を撮影したことにより幸先の良いスタートとなっていました。

大阪環状線で京橋まで移動し、京阪旧3000系のシールラリーにも挑戦しました。

北浜からは、天満橋まで水辺の公園を歩きました。 この時に大阪天満宮南森町駅のekiShスタンプを集めることが出来ました。

天満橋からは大阪城公園まで行き、天守閣を見学しました。あとは梅も見ることも出来ました。

淀屋橋では、ジバン氏と出会い、京阪の淀屋橋駅で、旧3000系こと8531F(3505F)によるエースJTB主催の団臨を撮影しました。

こちらは淀屋橋→三条→中之島間のルートで運転され、淀屋橋駅では、北浜寄りの1番線から発車していました。1番線部分は、ツアー参加客以外(一般客)の立ち入りが禁止されていたけど、ギリギリから撮影することが出来て良かったです。

やはり旧3000系にはこの赤バージョンの鳩マークが似合っています。

この後、新3000系の特急で丹波橋まで移動し、藤森へと向かいました。この時にひっぐ〜氏とも合流し、京阪旧3000系を撮影しました。

京阪の新3000系は、デビュー当初は出町柳中之島間の快速急行メインとなっていたけど、現在は特急がメインとなっています。

京阪の淀駅では、旧3000系こと8531F(3505F)によるエースJTB主催の団臨を撮影したけど、団体、旧3000系さようならツアーのヘッドマーク(京阪用語で副標)が付いていました。

この時に約20分間停車していたので、狙うことが出来て良かったです。

ツアーの参加者たちはトイレ休憩により車外に出ることが可能だったので、絶好の記念撮影タイムにもなっていました。

京都競馬場の最寄り駅である淀駅は、高架化される前は大阪寄りにありました。

2009(H21)年9月12日に下り線(大阪(淀屋橋中之島)方面)が、一昨年(2011(H23)年)5月28日に上り線(京都(出町柳)方面)が高架化され、京都寄りの京都競馬場に近い位置に移設されていました。

下りホームにおいては、2006(H18)年4月16日に下り線の高架化工事の進捗により、現在の場所に仮移転されていたけど、上り線の高架化まで、上下のホームが離れていた状態となっていました。

今年3月16日には、上り線に待避線(1番線)が新設され、それに伴うダイヤの一部変更が行われることになります。

貸切列車のルート、淀屋橋→三条→淀→樟葉→淀→淀車庫→淀→寝屋川車庫中之島

特別な方法での折り返しや車庫を通るなどでファンにとって嬉しいツアーとなっていました。

エースJTBによる京阪旧3000系さようなら貸切ツアーは、1月19日にも行われていたし。

2月24日には、クラブツーリズムによる旧3000系の貸切列車が中之島〜三条間で1往復運転されていました。

旧3000系は、3月10日に定期運用から撤退し、同月23,24,30,31日に中之島出町柳(三条)間で運転される予定の臨時快速特急をもってファイナルを迎える予定となっているけど、トラブルや事故もなくファイナルを迎えることを願っています。

この後、ジバン氏や名古屋の友人と共に、イオンモールKYOTO(京都駅の南側にあるイオンモール)で行われたさゆこと道重さゆみ氏の最新写真集である「美ルフィーユ」の発売記念握手会に参戦しました。その整理券(チケット)を大垣書店で手に入れたけど、自分が買ったすぐ後に完売御礼となっていたので、完売完敗状態返上となりました。レジで並んでいた時に整理券が残り僅かとなっているというアナウンスがあったのでちょうど良かったです。

この時には、豊中市の友人とも出会いました。

このイベントは、東京渋谷の文教堂書店(真野ちゃんこと真野恵里菜氏の握手会でもおなじみの場所)でも行われ、さゆが渋谷から京都まで移動していました。

こちらは昨年9月9日に行われたりほりほこと鞘師里保氏の握手会の時と同じような流れで、東京では新宿サブナード福家書店で行われていました。

さゆと握手した時には、普通に頑張って下さいと言いたくなるけど、「京都まで来た甲斐あったよ!」と声を掛けた結果、な・ん・と、「ありがとう、またね!」という良い反応がありました。ジバン氏は、オリジナルのピンクしゃもじの格好でさゆから良い反応を貰っていました。そんな自分もいつものしゃもじの格好で参戦していました。

握手会は低速だったので、ちょうど良かったです。渋谷のほうは、77T氏も参戦していたけど、移動時間の関係により、高速だったと思われます。

大垣書店は、京都府が拠点で北大路駅前に本店があり、京都府に22店舗、大阪府に3店舗、滋賀県に2店舗あります。

まさに京都に行った甲斐のあるイベントとなりました。

そのイベントの後、友人3人でオムライスの店に立ち寄り、京都駅で別れた後、JR奈良線103系(クハ103-223F、NS413編成)を撮影し、京都から京阪電車の乗り換え駅である東福寺までそれに乗りました。

この103系200番台は、低運転台車でシールドビーム型ヘッドライトが採用されたタイプとなっており、かつて首都圏(京浜東北線中央・総武緩行線など)や仙石線でも見られていました。

JR奈良線は、1984(S59)年10月1日に、和歌山線の五条〜和歌山間、紀勢線の和歌山〜和歌山市間と共に電化された当時は、105系が使われていました。

このようなウグイス色の103系で、今から25年前の1988(S63)年まで活躍していた山手線の103系を思い出しました。

JR奈良線では、快速系が221系普通列車が一部を除いて103系が使われています。

東福寺駅はJR側で全ての列車が停車であるのに対し、京阪側で準急、通勤準急、普通列車しか停車しないので注意が必要であります。

京都に立ち寄ったことのネタとして奈良線103系を撮影することが出来て良かったです。

この後、京都側のシールラリーのポイントを回り、三条から天満橋まで、8000系の特急で移動し、大阪城のライトアップを見ました。

中之島線中之島まで行き、いつもの温泉付きのホテル(湯元花乃井スーパーホテル大阪天然温泉)で1泊しました。

この日のekiShスタンプは、中崎町天神橋筋六丁目大阪天満宮南森町大阪市営地下鉄堺筋線マスター)、谷町四丁目、東寺の各駅でGETしたけど、京阪旧3000系関連のバッジも、淀屋橋、北浜、天満橋、京橋、七条、祇園四条、三条、出町柳の各駅でGETしました。

この日もさゆと握手出来て良かったです。この日は高崎で℃-uteのイベントが行われていました。群馬県はあやちょとめいめいの地元であり、群馬県在住の81号(にゃんたむ)氏も2日連続で参戦していました。