ななちゃの誕生日、関西遠征2日目、続・さゆに触れた日

この日(2月11日)は、ステーション♪のななちゃこと千葉奈々希氏の16回目の誕生日でした。おめでとうございます

東京ではイベントが行われていました。

この日は元モーニング娘。のジュンジュンの25回目の誕生日でもありました。

ルート 湯元花乃井スーパーホテル大阪天然温泉…中之島〜京橋〜枚方市淀屋橋…北浜〜堺筋本町〜弁天町…交通科学博物館コスモスクエア住之江公園北加賀屋〜なんば…なんばHatch…道頓堀…心斎橋…大阪上本町大阪難波阪神尼崎〜阪神梅田…阪急梅田〜十三〜阪急梅田…大阪(梅田)阪急三番街バスターミナル〜新宿高速バスターミナル…西武新宿〜下落合

いつもの湯元花乃井スーパーホテル大阪天然温泉で宿泊した部屋番号は211番ということで、ななちゃの誕生日当日であるということで運命を感じました。

中之島から京橋乗り継ぎで枚方市まで移動し、淀屋橋駅まで、京阪旧3000系こと8531F(旧3505F)に乗りました。

京橋からはダブルデッカー車の2階席に乗ることが出来ました。

天満橋駅の地下化及び淀屋橋までの延長開業から今年4月で50周年を迎えるけど、当時は1900系(5年前の2008(H20)年に全廃となった)が登場した時でもありました。

京阪旧3000系は、1971(S46)年7月1日に登場した特急用車両で、冷房車ということで夏場は重宝し、当時非冷房車だった1900系を見送る風景も見られていました。

1900系は、旧3000系の導入により、同時期に導入された阪急の2800系と同様に3ドアロングシート化(格下げ改造)され、1986(S61)年から1988(S63)年に冷房化されていたけど、2001(H13)年に廃車が開始され、2008(H20)年12月20日に最後まで残っていた1919Fと1929Fを最後に全廃となっていました。そのうちの1929Fは、晩年特急色で活躍し、さよなら運転では鳩マークが取り付けられていました。

1989(H元)年10月5日の鴨東線の開業(出町柳までの延長)による増備車として8000系の8001Fと、旧3000系への増結用の8000系の中間車が登場していたけど、8000系に人気が集中し、翌年の1990(H2)年から1993(H5)年に掛けて、1編成を残して8000系に順次置き換えられていました。

残された3505Fの1編成は、1995(H7)年にリニューアル化され、1両がダブルデッカー車(2階建て車両)に改造された上で注目となっていました。

やはりこのダブルデッカー車も好評により、1997(H9)年から1998(H10)年に掛けて8000系にも完全新造の上で組み込まれて8両編成化されていました。

2008(H20)年には新3000系(デビュー当初は出町柳中之島間の快速急行を中心に使われていた)の導入により8000系に編入されて8531Fとなり、8000系と混じって活躍していました。

2009(H21)年から始められている8000系のリニューアル化(車端部のロングシート化、テレビの撤去など、一部は新塗装化と同時に施工されていた)が行われていたけど、8531Fはその対象から外されたことや、8000系の運用本数の見直しにより、8000系のリニューアル化の完了を期に、今年3月をもって京阪特急のオリジナル塗装のままで引退することになります。同時に、京阪特急の伝統となっていたテレビカーの歴史にも終止符が打たれることになるし。

昨年9月には、引退を前にして、前面スタイルをリニューアル前に近い姿に戻され、クラシックスタイルとして最後の花道を飾っています。

前面の鳩マークも、オリジナルの赤表示となり、京阪旧3000系らしい姿となっていました。

このクラシックスタイルを見て、京阪特急と言えばやはりこれ、旧3000系らしいなと思いました。

富山地方鉄道大井川鐵道に譲渡された京阪旧3000系の各1編成(京阪特急色)も、鳩マークが取り付けられたことで嬉しく思っています。

この後、大阪市営地下鉄中央線に乗ったけど、近鉄7000系近鉄けいはんな線と中央線直通専用車)に当たっていました。

弁天町では、交通科学博物館を見学しました。

保存車両のキハ80形DCのキハ81 3号車は、1960(S35)年12月10日に、日本初のディーゼル特急として、上野〜青森間(常磐線経由)のはつかり号でデビューしていました。

このデザインは、その2年前の1958(S33)年にデビューした151系(こだま型車両)と同じボンネットタイプで、ブルドッグのような顔付きから、ブルドッグとも呼ばれていました。

翌年の1961(S36)年(量産型のキハ82が登場した年)にブルーリボン賞に輝いていたけど、デビュー当時は故障が頻発していたという問題がありました。

1968(S43)年10月1日(ヨンサントオの白紙ダイヤ改正)で、東北本線が全線電化されたことにより東北本線経由への変更並びに583系(元祖寝台電車、月光型車両)に置き換えられ、上野と秋田を奥羽本線経由で結んでいた旧つばさ号に転用され、翌年の1969(S44)年10月には、羽越線いなほ号(当時は上野と秋田を上越線羽越線経由で結んでいた)や、その間合い運用である常磐線のひたち号に転用されていました。

1972(S47)年10月には、いなほ号とひたち号の電車化により、活躍の場が北から西に移された上、くろしお号(当時は名古屋と天王寺の間を紀勢線経由で結んでいた)で余生を過ごしていました。

くろしお号で活躍していた頃は、キハ82系と連結されるシーンも見られていました。

1978(S53)年10月2日の紀勢線の新宮〜和歌山〜和歌山市間の電化、新宮で系統分割、名古屋〜紀伊勝浦間は南紀号として独立により、くろしお号が381系に置き換えられ、18年間の活躍に終止符が打たれていました。

キハ82形は、JR東海に継承された後も引き続き南紀号(最後の定期運用)で活躍していたけど、1992(H4)年3月にキハ85系ワイドビュー車両に置き換えられていたし。

ボンネット型のキハ81形は、6両製造され、運転台後部に機器室とトイレ・洗面所が、出入口横に物置と売店が配置されていました。

そのうちのキハ81 3号車は、1979(S54)年の廃車後、翌年の1980(S55)年から交通科学博物館で展示され、1986(S61)年には、かつての湘南電車である80系電車と共に準鉄道記念物に認定されていました。

くろしおの表示は、実際に使われていたヘッドマークではなく、ヘッドマークを模した照明板となっています。

ここには欠陥ディーゼル機関車として有名だったDD54型ディーゼル機関車も保存されているけど、自分がかつて使っていた携帯機種のA5404Sの蔑称であるDD5404Sを思い出しました。この機種を使っていた当時はDDだったのでDDが使う欠陥機種となってしまいました。自分は今でもDDだけど。

この後、近鉄7020系コスモスクエアまで行きました。大阪港〜コスモスクエア間は、開業当時大阪港トランスポートシステムOTS)の路線だったけど、2005(H17)年7月1日に大阪市交通局に移管され、大阪市営地下鉄中央線編入されていました。大阪港を出た後、大阪港咲洲トンネルに入り、地下ホームに発着していました。

コスモスクエアと言えば、昨年4月までZepp Osakaがあった場所で、4年前のハロテン2に参戦していたことを思い出しました。あの時もさゆと握手出来て良かったと思っています。 Zepp Osakaは、現在難波に移転されています。

この後、南港ポートタウン線ニュートラム)で住之江公園まで行き、ekiShスタンプを集めました。 中ふ頭〜コスモスクエア間も大阪港トランスポートシステムの路線となっていました。

コスモスクエア駅は、ニュートラムのホームの下に地下鉄のホームがあります。こちらは横浜市営地下鉄ブルーライン相鉄いずみ野線湘南台駅みたいな構造となっています。こちらは東京で言うゆりかもめりんかい線の関係にも似ているし。

住之江公園駅は、ニュートラムが地上、地下鉄四つ橋線が地下にあるけど、改札を出ずに乗り換えることが可能となっています。

四つ橋線でなんばまで移動した時に、北加賀屋駅で途中下車し、ekiShスタンプを集めました。

この後、なんばHatchで行われたモーニング娘。のFCイベントであるモーニングラボに参戦しました。この時に田中れいな氏が復帰していたので、久しぶりに握手することも出来ました。もちろんさゆとも握手することも出来て良かったし。

道頓堀ではたこ焼きを食べることやくいだおれ人形を撮影することも出来ました。後はおなじみのグリコネオンも見れたし。

心斎橋では、移転されたハロショにも立ち寄りました。

この後、大阪上本町まで歩き、近鉄難波線で難波まで行きました。大阪上本町駅は、2層式の駅で、地上部分が大阪線(始発列車)のホーム、地下部分が近鉄奈良線難波線のホームとなっています。大阪難波では、21000系アーバンライナープラスも撮影しました。

このイベントの3回目には、ジバン氏も参戦していたけど、オリジナルのピンクしゃもじの格好は、大阪のなんばHatchで行われていたモーニング娘。のFCイベントであるモーニングラボで、さゆだけでなくフクちゃんこと譜久村聖氏からも良い反応を貰っていたことを聞きました。

大阪難波から阪神尼崎乗り継ぎで阪神梅田まで移動し、阪神なんば線阪神本線の一部のekiShスタンプを集めました。阪神なんば線で乗った車両は近鉄の5800系(L/Cカー)でした。

阪急バスに乗る前に、親会社の阪急電車で十三まで1往復しました。この時に551蓬莱の肉まんも食べました。

新梅田食道街の吉野家では、さゆ丼として親しまれている焼鳥つくね丼を食べたけど、同業者のヲタも居ました。前日の京都やこの日の大阪の吉野家はヲタで賑わっていました。

大阪(梅田)の阪急三番街バスターミナルから新宿高速バスターミナルまで、阪急バス(阪急阪神ホールディングスの傘下、豊中営業所所属)の三菱ふそうエアロクィーンスーパーハイデッカー(2904、大阪200か22-23号車、PJ-MS86JP)に乗って帰りました。

この車両は、2007(H19)年に導入された三菱ふそうエアロクィーン(先代エアロバス)の末期モデルで、大阪〜新宿、渋谷線のほか、神戸、大阪〜横浜、東京、千葉線、大阪〜新潟線(おけさ号)にも使われているけど、昨年5月31日までは、池袋へも横浜、品川経由で乗り入れていました。

車内は京王バスと同様の3列独立シート(毛布とスリッパの貸出サービス有り)で右側の中央部の階段下にトイレが付いている標準タイプとなっているけど、阪急バスでは、京王バスとは異なり、座席の暖房装置(シートヒーター)、トイレ階段上のお茶のセルフサービスが付いていました。

阪急の高速バスの塗装は、アイボリーに小豆色とマルーンの帯、ライトグレーで、マルーン帯は親会社の阪急電鉄の電車の塗装に共通しています。

大阪を出た後、新大阪、千里ニュータウン千里中央に停車し、吹田ICから名神高速に入り、名神茨木、名神高槻、名神大山崎、中央道八王子、中央道日野、中央道府中、中央道深大寺、中央道三鷹に停車し、新宿、渋谷へと向かっていました。

この路線の東京方面は、昨年9月23日から24日に京王バスのK50369(品川200か・992号車、KL-MS86MP)で大阪(梅田)から池袋まで乗ったけど、京王バスとは異なる点は、渋谷駅のマークシティ終着であること、乗務員交代での運転停車名神高速尾張一宮PA、中央道の諏訪湖SAとなっていました。前回の関西遠征では、あやちょとかななん目的での遠征となっていました。

京王便の場合は、事前のアナウンス通りに中央道の双葉SAと恵那峡SAで乗務員交代による運転停車が行われているし。

池袋、新宿、渋谷〜大阪線は、三鷹深大寺、府中、日野、八王子の中央道の各バス停にも止まるので、多摩エリアからの利用にも便利となっています。

特に中央道日野バス停は、多摩モノレール甲州街道駅の近くにあるので、利便性が良いと思います。

途中休憩は、名神高速桂川PAと中央道の石川PAの2箇所で行われていました。

新宿到着は、6時19分頃と予定よりも早く到着していました。

京王バスみたく池袋まで乗り入れていたら歩いて帰ることが可能だったけど、新宿だったので西武新宿まで歩き、ここから西武新宿線で帰っていました。

京王バスの車両は2003(H15)年の運転開始から使われているけど、当時阪急バスでは、西鉄バスと同様に西工車体に三菱ふそうのエンジンが搭載された車両が使われていました。

今回は阪急バスに初めて乗ることが出来て良かったです。

この日のekiShスタンプは、九条(大阪市営)、九条(阪神)、朝潮橋、大阪港、コスモスクエア、トレードセンター前、中ふ頭、ポートタウン西、ポートタウン東、フェリーターミナル、南港東、南港口、平林(大阪府)、住之江公園大阪市南港ポートタウン線マスター)、北加賀屋大阪市営地下鉄四つ橋線マスター)、谷町九丁目大阪上本町近鉄難波線マスター)、千鳥橋、伝法、福、出来島、大物、尼崎(阪神阪神なんば線マスター)、杭瀬、千船、姫島、淀川、野田(阪神)、野田阪神海老江の各駅でGETしました。

今回の関西遠征では、京阪旧3000系を撮影出来たこと、さゆと握手することが出来たこと、現地の友人と会えたことが良かったです。