諏訪湖、松本、ミニエコー

この日は、山梨の別荘から上諏訪、松本方面に行きました。

ルート 石和温泉甲府上諏訪上諏訪温泉片倉館…諏訪湖上諏訪〜松本〜新島々〜松本…松本城…松本〜塩尻〜辰野〜上諏訪甲府〜大月〜東中野

まずは山梨の別荘を後にして、石和温泉から甲府乗り継ぎで上諏訪まで行きました。

上諏訪方面に移動しようとした時に、信濃境〜富士見間の橋梁で強風凶風狂風状態で、小淵沢で約20分間足止めを食らい、再開した挙げ句には徐行運転となってしまったので、諏訪湖の間欠泉の吹き出しのシーンを見れなかったよ!その後に123系ミニエコーの名残乗車が出来たから不幸中の幸いだったけど、帰れなくなったというトラブルに遭わなくて良かったよ!

甲府から上諏訪上諏訪から松本、松本から塩尻塩尻から上諏訪上諏訪から甲府まで乗った長野総合車両センター所属の115系の3両編成は、211系に順次置き換えられる予定となっています。房総地区(元をただせば宇都宮線高崎線)で活躍していた211系の5両編成から中間車2両(サハ)を抜いた3両編成で転用されることになるし。

この時にJR東海飯田線の213系を見ることが出来ました。こちらは関西本線(名古屋〜亀山間)で活躍していた車両で、飯田線への転用に当たって幅広トイレが新設されています。

片倉館は、1928(S3)年に建築された日帰り温泉施設で、レトロな感じの千人風呂となっており、一昨年に国の重要文化財に指定されたています。

この後、諏訪湖を散策し、湖畔と上諏訪駅の足湯にも入りました。

上諏訪駅には、国鉄(JNR)時代末期の1986(S61)年に露天風呂が設置され、名物となっていたけど、2002(H14)年には足湯に改装されていました。露天風呂だった頃は、場所が狭く、入れる人数に限りがあったけど、足湯になってからは収容人数が増えたほか、誰でも列車を待つ間に気軽に入れるようになっています。

こちらには、一駅一名物:露天風呂の石があるけど、露天風呂だった頃の名残であります。

ここにはすわってのんびりという表示があるので、諏訪に掛けられていると思います。

毎年8月15日の諏訪湖祭湖上花火大会や、9月第一週の全国新作花火競技大会開催日には上諏訪駅が大賑わいとなり、E233系の応援列車も運転されます。201系も応援運用に入っていたこともあったし。

一昨年2月までの間は、上諏訪駅前にまるみつ百貨店があったけど、ここには温泉浴場もありました。

上諏訪駅に戻る時には、駅前で、さゆ、みぽりん番の京王バス(K50264、品川200か・713号車、三菱ふそうの先代エアロクィーンによる新宿行きの高速バス)を見ることが出来ました。後続の2号車は、K50361、品川200か11-05号車)となっていたし。

みぽりんとは、Tokyo Cheer2 Party(チアチア)のリーダーである澤美帆氏のことであります。さゆみんこと道重さゆみ氏はモーニング娘。のリーダーであるし。

中央本線(東線)のうち、普門寺信号場(茅野〜上諏訪間にある信号場)〜岡谷間は、単線区間となっているので、今回のダイヤ乱れで遅れが生じていました。上諏訪〜下諏訪間は、諏訪湖を眺めることの出来る区間となっています。

竜王駅と南松本駅では、八王子の友人が填っているタンク車を見ることが出来ました。

松本駅で立ち食いそば(本場の信州そば)を食べ、ここから新島々までアルピコ交通松本電鉄上高地線で1往復しました。

上高地線で乗った車両は、元京王井の頭線の3000系の中間車から改造された3003Fで、前面の窓が本家の京王井の頭線で活躍していた3000系リニューアル車(現在その一部は愛媛県伊予鉄道郊外線に譲渡されている)に準じたパノラミックウィンドウとなっています。

3003Fは、元京王3108+3058号車で、3001Fと共に1999(H11)年に導入された編成となっています。

新村の車庫には、廃車となった元東急旧5000系の5005F(元東急5055+5048号車、東急5050系とは無関係)が保存されていることが有名で、現在は沿線ボランティアの手によって東急時代の緑色の塗装に変更されています。

東急旧5000系は、1986(S61)年12月に1500Vに昇圧化されてから2000(H12)年まで活躍していました。

岳南鉄道にも、元東急旧5000系の廃車体があったけど、残念ながら全て解体されています。こちらも現在は元京王3000系の中間車から改造された車両が使われているし。

上高地線北新・松本大学前駅付近の松本寄り(北新踏切)と、波田駅付近の新島々寄り(波田踏切)の2箇所に、名物となった昔ながらの鐘の音の踏切(電鈴式踏切)が残されています。前回(一昨年3月27日)に乗りに行った時には4箇所あったけど、そのうちの2箇所は通常の電子音に改良されていました。

新島々駅は、上高地白骨温泉乗鞍高原方面へのバスの乗り継ぎ駅であり、そのバスターミナルの奥には、復元された旧島々駅舎が復元されています。

新島々〜島々間は、1983(S58)年9月28日に発生した台風10号による土砂災害により休止となり、復旧されることもなく、1985(S60)年1月1日に廃止されています。

復路では、一般道を走る京王電鉄バスの飛騨高山行きの高速バスを見ることが出来ました。こちらは松本インターチェンジを降りた後に一般道を通るけど、途中、有料道路である安房峠道路安房トンネル、長野県と岐阜県の境)を通り抜けて行くことになります。

安房峠道路は、1997(H9)年12月6日に、松本・上高地方面と平湯温泉・飛騨高山方面を結ぶ道路として開通したけど、あれから丸15年経った昨年12月6日には、一旦停止型のETCレーンも設置されています。

新宿〜飛騨高山間の高速バスは、京王電鉄バス濃飛乗合自動車濃飛バス名鉄グループのバス会社)による運行となっています。

松本バスターミナル〜飛騨高山、新穂高温泉間のバス(アルピコ交通松本電鉄バス)、濃飛バスによる運行)も、新島々、平湯温泉を経由しています。

松本駅からは徒歩で松本城まで行きました。松本城に行ったのは今回が初めてでした。この時に、先月に大阪城に行った時を思い出しました。前回は松本城を素通りしていたけど、今回行くことが出来て良かったです。

松本バスターミナル前では、707番(えりぽん番)と801番(あやちょ番)のアルピコ交通松本電鉄バスを見ることが出来ました。前者は三菱ふそうエアロスター、後者はいすゞキュービック(エルガの前身)でした。

1964(S39)年までは、松本駅前から浅間温泉まで松本電鉄浅間線という路面電車も出ていたこともありました。現在はバスによるアクセスとなっています。

松本駅では、HB-E300系ハイブリッドリゾートDC(HB-E301-2F)の2両編成によるリゾートビューふるさと号を撮影しました。

こちらは長野〜南小谷間を松本駅(篠ノ井線大糸線)経由で結ぶ臨時快速で、土日中心で1往復運転されています。

停車駅は、長野、姨捨、松本、穂高信濃松川信濃大町海ノ口(下りのみ新規に停車)、白馬、南小谷で、下りの穂高駅では27分間停車するので、穂高神社での参拝や、記念撮影が可能となっています。

篠ノ井線姨捨駅は、現在珍しくなったスイッチバック駅で、日本三大車窓の一つである善光寺平の眺めを楽しむことが出来ます。

リゾートビューふるさと号は、2010(H22)年10月2日の信州デスティネーションキャンペーンに合わせてデビューし、その前の9月18,19日に上野駅で車両展示会が行われていました。

昨年4月20日からは、リゾートビューふるさと号の運用の後にナイトビュー姨捨号(善光寺平の夜景を楽しみ為の列車)が期間限定で運転されるようになったけど、今年は4月26,27日、5月2,3,10,11,24,25,31日、6月1日に運転される予定となっています。

リゾートビューふるさと号は、普通車全車指定席だけど、大糸線の松本〜南小谷間はワンマン運転となっています。

一昨年3月27日に行った時には、地震発生による燃料(軽油)の供給が困難となっていた為に485系の彩(いろどり)編成による代行運転となっていたけど、今回本場の長野県で初めて撮影することが出来て良かったです。

中央本線塩尻駅で、今月15日に改正でラストランを迎えた123系(クモハ123-1号車)のミニエコーを撮影し、辰野までそれに乗りました。

ミニエコーが活躍していた路線は、中央本線の旧線(辰野線)の辰野〜塩尻間で、今月16日からE127系の2両編成(既に大糸線で活躍している車両)に置き換えられることになっていて、それに伴うラストランとなりました。

ミニエコーが登場したのは、旧国鉄(JNR)時代最後のダイヤ改正である1986(S61)年11月1日のことで、支線に格下げされた辰野〜塩尻間の輸送力適正化により、荷物電車の廃止によって余剰となった1978(S53)年製の荷物専用車両(クモニ143-1号車)から旅客化改造されていました。

登場当時は、非冷房で、白地に緑帯の塗装、車掌乗務のツーマン運転となっていたけど、1990(H2)年3月10日のワンマン運転開始の時に現在の白と赤の塗装に変更されていました。

座席はオールロングシート塩尻(松本)寄りに優先席があります。

冷房化されたのは1993(H5)年7月のことで、現在少数派となったAU712型クーラーが搭載されるようになりました。

あの時以来26年4ヶ月間、善知鳥(うとう)峠を行き来していました。

前回(一昨年3月27日)に乗った時には閑散としていたけど、この日は最後の日曜日ということで名残乗車を楽しむ同業者たちで賑わっていました。

前日の3月9日は、イベント列車としてありがとう123系 ぐるっと善知鳥号(塩尻→辰野→岡谷間)と、ありがとう123系 ぐるっと塩嶺号(塩尻→岡谷→辰野→塩尻間)が運転され、どちらも当日に配布されていた乗車整理券が必要となっていました。

この臨時列車は、昨年12月15日と16日にも運転され、普段通ることのない塩嶺ルート(岡谷〜みどり湖〜塩尻間)を通っていたので、みどり湖駅では撮影する人たちで賑わっていました。

塩尻から辰野までミニエコーに乗ることが出来て良かったです。

辰野駅は、JR東海飯田線の終着駅で、辰野支線のうちの岡谷〜辰野間は、ほとんどが飯田線との直通運転で占められています。

1983(S58)年7月5日に、現在のメインルートである塩嶺ルート(岡谷〜(塩嶺トンネル)〜みどり湖〜塩尻間)が開業する前は、辰野駅が特急や急行の停車駅として賑わっていました。

今から36年前の1977(S52)年3月にデビューし、大ヒットしていた狩人(兄弟デュオ)のデビュー曲(名曲)である「あずさ2号」は、サビの部分で、♪8時ちょうどの〜あずさ2号で〜と歌われているけど、当時は下り、上りとは関係なく決められていたので、新宿駅を2番目に(8時ちょうどに)発車していた(当時のあずさ1号が臨時電車でということで始発のこともあったということ)で、この曲が作られていました。

当時のあずさ2号は、183系1000番台が使われ、新宿を出た後、八王子、甲府、茅野、上諏訪、辰野、塩尻松本駅(臨時で信濃大町、白馬へも運転されていたこともあった)に停まっていたので、あずさ2号辰野駅に停車していたことを物語っています。

2002(H14)年2月2日に、あずさ2号が定期運用離脱寸前の国鉄色の183系によってリバイバル運転されていた時は、絵なしのあずさAZUSAの文字表示で、新宿8時2分発の辰野経由で運転されていました。

2002(H14)年11月30日に、183,189系の定期運用と共に廃止された夜行急行アルプス号(臨時夜行快速ムーンライト信州号の前身)は、辰野経由となっていました。

因みに現在新宿8時発の特急は、E351系12両編成によるスーパーあずさ5号(松本行き)、現在のあずさ2号は、E257系の11両編成で、松本6時8分発の東京行きとなっています。

123系は、今から6年前の2007(H19)年3月まで、JR東海身延線(富士〜西富士宮〜身延、鰍沢口甲府間の区間運用)でも活躍していたこともあったけど、クモヤ145系やクモユニ147系(元をただせば101系)が種車となっていました。

JR西日本にも、クモニ143系から改造された123系(全て貫通ドア付きに改造された)があり、山口県宇部線小野田線山陽本線で活躍しているけど、3月16日以降も残ることになっています。

これらの車両はかつて可部線宇野線阪和線羽衣支線で活躍していました。

宇部線常磐駅(山口県宇部市)は、モーニング娘。さゆみんこと道重さゆみ氏の地元であり、周辺に山口宇部空港があります。

上諏訪で再び足湯に入りました。

甲府から大月まで乗ったスカ色の115系(山スカ)は、M9編成(クモハ115-312F)で、かにょん、小田ちゃん番となっていました。

大月から接続していたE233系は、各駅停車の東京行きで、改正前は唯一の大月始発の各駅停車となっていました。

これで東中野まで行き、歩いて帰りました。

この日に集めたekiShスタンプは、竜王、塩崎、韮崎、日野春、長坂、小淵沢信濃境、富士見、すずらんの里、青柳、茅野、上諏訪、下諏訪、岡谷、みどり湖、塩尻、広岡、村井、平田(長野県)、南松本、西松本、松本、渚(長野県)、信濃荒井、大庭、下新、北新・松本大学前、新村、三溝、森口、下島(松本電鉄)、波田、渕東、新島々(松本電鉄上高地線マスター)、小野(長野県)、信濃川島、辰野、川岸、穴山、新府の各駅でした。

この日は諦めて小淵沢から小海線経由で小諸、軽井沢、横川、高崎経由で帰ることを考えていたけど、諦めなくて良かったです。

東急東横線の渋谷駅地上ホームでは、最後の日曜日ということで終日賑わっていました。

次にさゆやあやちょと握手出来るのはいつになるんだろう?