半蔵門線と東武線の直通開始から10年

営団地下鉄(現、東京メトロ)半蔵門線の水天宮前〜押上(スカイツリー前)間が開業し、東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)との直通運転が開始されてから、今日(3月19日)で10年経ちました。

当時は、直通運転が20分間隔(東武動物公園または南栗橋行き)で、東武側で30000系が使われていました。

半蔵門線は、1978(S53)年8月1日に渋谷〜青山一丁目間が開業したのが始まりで、当時は全て東急電鉄8500系が借り入れられた上で乗り入れていました。
当時の直通運転区間は、二子玉川園(現、二子玉川)までで、快速は長津田まで運転されていました。

翌年の1979(S54)年8月12日には、終日に渡って東急の田園都市線長津田またはつきみ野まで延長され、同年9月21日には、半蔵門線が永田町まで暫定的な単線区間で延長されていました。

1981(S56)年4月1日には、鷺沼検車区(東急電鉄から譲り受けられた車両基地)の完成により営団地下鉄東京メトロ8000系(日本初のボルスタレス台車採用車)の営業運転が開始され、2形式での運用となったけど、東急8500系ばかりの状態となっていました。

1982(S57)年12月9日には永田町〜半蔵門間が開業し、青山一丁目〜永田町間が複線化されていました。

1989(H元)年1月26日には、半蔵門三越前間の開業により、銀座線の混雑緩和が計られ、短くて銀座線と重複している路線から変化していました。

翌年の1990(H2)年11月28日には、三越前〜水天宮前間が開業し、箱崎東京シティエアターミナル(TCAT)と直結結ばれたことで話題になっていました。当時は搭乗手続き(チェックイン)、出国審査し、成田空港までのリムジンバスに乗って、成田空港の特設ゲートを通って飛行機に乗り、海外へ行くことも出来たけど、2002(H14)年にTCATでのそれらの業務が廃止され、横浜駅東口にあるYCAT大阪難波にあるOCATと同様に単なるリムジンバスの発着ターミナルと化しています。

2003(H15)年3月19日には、水天宮前〜押上間の全線が開業し、東武線との直通運転が開始されたことで、現在に至っています。

この区間は、2000(H12)年度中の開業予定となっていたけど、建設工事が大幅に遅れた為に、三越前〜水天宮前間の開業から12年4ヶ月間のブランクがありました。

2006(H18)年3月18日には、東武線との直通運転が増発され、種別の変更、久喜発着の新設、10両固定編成の50050系の導入も行われていました。

今年3月16日には、九段下駅で、4番線(半蔵門線の押上方面)と5番線(都営新宿線の新宿方面)の間にあった壁(バカの壁)が撤去されて、改札を通らなくても乗り換えが可能となったことで話題となっています。

都営新宿線半蔵門線九段下駅が、同じ深さであり、相対式ホームであるという縁でバカの壁が撤去されたと思われます。

都営新宿線九段下駅が、1980(S55)年3月16日の新宿〜岩本町間と共に開業していたので、あの時から丸33年で撤去されたことになりました。

当時半蔵門線直通で活躍していた30000系は、50050系の導入により、31606+31406Fと31609+31409Fを残して、分割の上で地上線に転用されているけど、31601+31401Fを皮切りに一部の編成が東上線に回されています。

東武野田線では、新型の60000系が2編成導入され、下松駅から2編成連結の上で甲種輸送されていました。こちらは50000系列の野田線バージョンで、水色の帯が採用されています。

10030系では一部が水色の帯となって野田線に転属されているので、8000系王国が崩壊してしまうことになります。

これまで野田線の変電所が抵抗制御車しか対応していなかったので、回生ブレーキ付車両対応化の改良により、10030系や新型の60000系の導入が解禁となったのであります。

小田急ロマンスカーの50000形VSE車がデビュー8周年を迎えていたけど、未だに人気が衰えていないです。こちらはモーニング娘。の人気が衰えていないことと同じことであります。

3月18日と言えば、真野ちゃんがメジャーデビューした記念日であり、あれから4年経ちました。

次にさゆやあやちょと握手出来るのでいつになるんだろう?