Best of Japan

今日は、一昨年10月3日に横浜アリーナで行なわれたThe Best of JapanのDVDを見ました。

一昨年の夏・秋ツアーは、福井、横アリ、松本に行ったけど、満足した内容でした。

2004(H16)年10月3日、雨の中行なわれていたことを覚えている。 2日・3日ともに、昼の部の開演前に、美勇伝みーよ唯やんの握手会が行われていたのである。自分は2日に参戦していたけど。

チャーミーズエンジェルのコーナーでアクダマン扮するこんこんが出てきていました。

福井では、今年1月に退団したケンケンさんとの連番だったし。 ケンケンさんとの連番は、これまで長野・福井・群馬であるけど、すべて地方となっていた。

このツアーでは、自分がさゆみん2推しであるということが発覚した公演でもある。 特に11月7日の松本での公演で発覚していたので。

2004年といえば、自分の厄年でもあったのである。1999年問題の再来。 ここでは言えないけど、嫌な出来事が多数あったし。この年の1月25日のなっちの卒紺で、こんこんが居なかったわ、携帯を破壊されるわなどでとにかく嫌なことが一杯あった年でした。モーヲタの原点であるなっちが活動休止に追い込まれていたこともあったし。

その厄年を乗り越え、2005(H17)年1月に、ASAMIXの会長に就任していたのである。

涙が止まらない放課後では、こんこんがメインでさゆみんが準メインとなっていたので、2004年としては珍しい良い出来事だった。 あとは、1999(H11)年もトラブルが続出した厄年であったし。1999年は、SPEED1推し(スピヲタ)を放棄し、本格的なモーヲタとして脱皮した時であった。

1999年8月24日、悲惨な出来事があった。 これは、某hiroファンネットで、管理人が、入会について?の質問をされた時、自分が余計なメールをよこしたり、カキコをしたりして、しつこい!と言われてしまい、いい加減に返事をよこしなさい!と言われたことがありました。 「入会について?」という意味が分からない質問をよこしていた管理人に問題があったのである。この管理人を怒らせてしまった当時の自分の愚かさを思い出してしまいとても悔しくなってしまいました。

何が「入会について?」だ!!と言いたくなるし。

当時は、日本武道館でSPEEDのメンバーが、憧れであったTLCを見ていたので本当に悔しいです。TLCを見たいという訳ではないけど。自分はTLCは愚か洋楽には全然興味が無いので無視していた。 この時からスピヲタ失格だった。

当初2000(H12)年3月末のSPEED解散の時にモーヲタに乗り換える予定だったけど、前述の不祥事を起こしてしまったことにより、1999(H11)年9月に前倒しでモーヲタに乗り換えていたのである。 「LOVEマシーン」の大ヒットを期に乗り換えたことになった。ハロプロのFCの入会も前倒しとなっていたし。

とにかくSPEEDファンをやっていた頃はトラブルが多かったです。某掲示板で、hiroの「AS TIME GOES BY」がリリースされた頃、自分が「寛ちゃんファンなら買うべきだ」と発言したことにより、某hiroファン(別人物)も怒らせてしまったのである。あいつからは、「お前に言われなくても買うよ!うざいよお前! 横アリで声を掛けるんじゃねぇよ、近づくんじゃねぇ!」と言われてしまったし。 当時は、横アリでSPEEDのライブが行われていた。あの時は、アリーナ席の溝にうちわを落としてしまったという悲惨な思い出があった。先ほどの掲示板事件と共に、このようなことを言ったということで罰が当たったのである。

横アリで声を掛けるんじゃねぇ!ということは、横槍で声を掛けるんじゃねぇ!という言葉に似ている。

横アリで、アリーナ席に当たった時は、その教訓を生かすようにしている。

買うべきだという意味を知らなかったので、当時の自分は馬鹿だったんだな!ということを実感しました。

こんこんのアロハロシリーズが出たけど、こんこんファンにはこのようなことを言ったりはしません。

スピヲタをやっていた頃は、当然のことながら、よしちゃん条例が無かったのである。

あの時のババ管理人からの質問のことで、未だに怒ってします。あいつのHPはとっくに閉鎖されているので、疎遠状態だけど。

モーヲタ活動のほか、ドリヲタ活動の時も、あの時の教訓を生かすようにしています。

あの時のババ管理人に物申す「訳の分からない質問をするな!」

自分が本格的にモーヲタになったきっかけは、このことである。

1999(H11)年7月に、「ふるさと」がリリースされた時は、なっちやまりっぺのことが気になっていたので、自分はモーヲタに乗り換えるだろう、スピヲタは黄信号という状態となっていたけど、本当にこうなりました。真夏の光線を聴いた時もこう思っていたけど。

8月10日がなっちの誕生日であるということは、本格的にモーヲタを始める前から知っていたのである。

自分から見たなっちは、言うまでも無く、ハロプロファン(モーヲタ)の原点(入口)となったのである。
こうして、なちまり推し(なっち1推し、まりっぺ2推し)として再出発したのである。これまでのhiro1推し、上原多香子2推しということの後継ぎとなった。

このことは、現在でいう、こんさゆ推しということになるけど。

このようなスピヲタからモーヲタへの緊急乗り換えは、2003(H15)年10月に家族が保有しているマイカーが、トヨタのカリーナサーフ(かつて存在していたカリーナのワゴンバージョン、ハイラックス・サーフとは無関係)からカルディナ(プレミオ(旧コロナ)ベースのワゴン車)に乗り換えたことになぞられている。

列車でいえば、中央・総武緩行線で走っていた103系で、床下の抵抗器から煙が出たというトラブルがきっかけで、この時点では開発中であったE231系の導入を待たずに、209系500番台によって103系が前倒しで置き換えられたことになぞられている。
つまり、209系500番台は、E231系導入までのつなぎで導入された車両である。

自分がスピヲタとなったきっかけは、1997(H9)年11月30日にこのカリーナサーフに乗っていた時に、車内のラジオからWhite Loveが流れてきた時にいいなと思ってファンを始めていたのである。 この日は、奇しくもナゴヤ球場で、娘。のメジャーデビューが決定した日となっていた。当時は車の免許を持っていなかったので、父親による運転だった。

その翌年の車の免許取得した時、車の運転の練習がてらに立ち寄った埼玉県某所の某自動車用品店で、娘。の「サマーナイトタウン」が流れてきた時に、同様の理由で娘。ファンを暫定的に始めていたのである。

カリーナサーフは、1985(S60)年式で、1989(H1)年10月に中古で購入して以来、14年間乗り続けてきたのである。製造されてから廃車されるまで18年走り続けていた。 この車は白いワゴン車で、FR方式(フロントエンジンリアドライブ)、キャブレター式のエンジン(1800cc)となっていた。燃費は1リッター当たり約10Km/&だった。

こちらのモデルは、1981(S56)年に登場した3代目のカリーナセダン(A60系)がベースのワゴンで、翌年の1982(S57)年に登場していた。 エンジンは、1S-U型で、20年前以上の設計だった。

千奈美に、カリーナのほうは、2001(H13)年のモデルチェンジで、アリオン(プレミオの姉妹車)に車名変更されている。 

その前は、日産スカイラインのワゴン(1979(S54)年式、1982(S57)年に中古で購入)に乗っていたけど、色は白だった。こちらは、1977(S52)年登場の5代目(スカイライン・ジャパン、C210型)ベースで、1979年に追加されたワゴンモデルWPC211型となっていた。こちらは、製造されてから約10年で廃車となったので、短命となった。

スカイラインのワゴンは、現在製造されておらず、その代わりに、スカイラインベースのワゴン車であるステージアが登場している。2001(H13)年に登場した2代目モデルは、スカイラインと同様のプラットフォームが使用されているので、かつて存在していたスカイラインワゴンの再来状態となっている。

日産ステージアは、FR方式のスポーツワゴンで、もんどさんが乗っている車である。

現在のスカイラインは、V63500ccエンジン搭載のV35型で、スポーツセダン、スポーツクーペがラインナップされている。

高級スポーツカーであるスカイラインGT-Rは、2002年に一旦製造が打ち切られていたけど、来年に新しいモデルとして復活する予定となっている。昨年の東京モーターショーで、新型GT-Rのプロトタイプが展示されていた。

現在乗っているカルディナは、2代目モデル(T21系)。1998(H10)年式で、2003(H15)年10月にやはり中古で購入。 エンジンは、EFI方式のリーンバーン(7A-FE型、希薄燃焼方式)、1800ccで、先代の車よりも燃費が良くなっている。約15Km/走るけど。 

父親説では、まだ走れる状態なので先代のマイカーをもっと長持ちさせたいと言っていたけど、母親の一言で、車を買い換えていたのである。自分としても、車体に錆があり老朽化していたので買い替えを望んでいた状態だった。世の中には、20年以上経っても未だに現役という車も走っている状態なので。

残念ながら、家族の所有であるので、娘。関連の遠征等では使用出来ないという状態である。 他の団員の車に乗せてもらう時を除き、電車等で行くのが基本となっているので。

この車が納車された時は、「15人でNON STOP!」が横アリで行われていた。

先代のカリーナサーフに自分が最後に乗った(運転した)のは、2003(H15)年4月で、「AS FOR ONE DAY」がリリースされていた。

うちで乗っている車は、先々代のスカイラインワゴンの時から、白いステーションワゴン車、1800ccエンジン搭載車ということで伝統を守っている。

カルディナは、1992(H4)年、コロナベースのワゴン、カリーナサーフの後継ぎモデルとして登場。 現在のモデル(3代目)は、2002(H14)年に登場している。

ワゴン車の場合は、後ろに高い荷物等を載せることが出来、トランクを開けずに荷物が取り出せるので便利である。

ハッセーさんが乗っている車もステーションワゴン車で、スバルのレガシィである。

スポーツワゴンといえば、前述のカルディナ、ステージア、レガシィインプレッサマツダアテンザワゴンなどがその分類に入っている。 

NON STOPということで、料金所をノンストップで通過することが出来るETCを思い出します。 握手会に参加する時は、ETC装置を想像している。握手する瞬間は、バーが開く瞬間に似ているので。

当時の買い替え候補として、カローラフィールダー(カローラのワゴンバージョン)、カルディナ等が挙がっていたけど、白いカルディナに白羽の矢が立ったのである。

娘。(ハロプロ)には嫌いなメンバーが居ない状態である。

(●´ー`)、(〜^◇^)推しからスタートし、現在は、川o・-・)、从*・ 。・从推しとなっている。

自分のスピヲタ発祥の地である先代のカリーナサーフは、既に廃車となっていて存在していない。

自分の暫定的なモーヲタ発祥の地は、よっすぃーの出身地@埼玉県である。 実際に初めて娘。を見たのは都内だったけど。

愛知県(岡崎)在住の叔父さんは、プリウスというトヨタが誇るハイブリッドカー保有しているけど、これを見ていいな!と思っていました。色はブルー。土地柄上トヨタ一筋の状態。

こちらは音が静かで燃費が良いと言われている。

このプリウスは、お台場にあるトヨタのテーマパークであるメガウェブのライドワンで試乗したことがある。 こちらは専用コースを走るけど、運転するには運転免許証が必要となる。

ここで、トヨタのコンパクトカーであるヴィッツラクティス、ファンカーゴ、パッソ、イストなどにも試乗したことがある。

そのうちのラクティス(昨年10月に発売された車で、ファンカーゴの後継ぎモデル)はいいなと思っています。ファンカーゴと同様に、荷物が楽に詰めるし運転も楽なので、楽ティスの状態だし。

ヴィッツは、先代のモデルと昨年2月に発売された現行モデルの両方に試乗したことがある。 ヴィッツカローラと並んでトヨタで最も売れている車である。

なかやんさんのほうは以前ファンカーゴに乗っていたことがあったけど、2002(H14)年6月の福島でのオフ会と翌年の11月のケンケン邸でのオフ会の時に乗せてもらったことがある。当時なかやんさんは加護ちゃんあいぼん)1推しだったので、ファンカーゴ加護ちゃんのファンが乗る車というイメージが強かった。

トヨタのミュージックプレーヤーであるbBもいいなと思っています。bBといえば、昨年3月の名古屋遠征の時に元宣言!!のにっしーさんに乗せてもらったことがあります。こちらは先代のモデルだったけど。

トヨタでは、スポーツカーであるセリカの生産が打ち切られたという残念なニュースが入っている。かつてはGT-FOURというターボモデルもあった。