出会えたことに感謝する
自分のモーヲタの原点はなっちで、1999(H11)年9月、なっちに出会ったとともに娘。ファンを始めたのである。本格活動開始は、翌年の1月からだったので、なっち1推し時代としての現場での活躍は約4ヶ月と短かった。
翌年の2000(H12)年、4期メンバーの加入により、よっすぃー1推しとなる。なっちは2推しへ。
2001(H13)年8月の24時間テレビでの握手リレーで娘。と握手することに失敗し、当時唯一握手したことのある梨華ちゃんを推すか、モーヲタを卒業するかどうか悩んでいました。 5期メンバーの加入により、娘。ファンを続投させることにし、高橋愛ちゃん推しとして再スタートさせました。 その後、こんこん推しに乗り換え、来年1月6日の中野サンプラザ公演よりこんこん推しを本格的にスタートさせたのである。
梨華ちゃんを推してても、24時間テレビの握手リレーのショックが残っていたので、5期メンバーへの乗り換えは妥当の状態でした。
自分のよっすぃー1推し時代は、2001年8月の24時間テレビの時をもって終わっていたのである。清里の時は、暫定的に梨華ちゃんを推していたのである。
本当は高橋愛ちゃんを推していくはずだったけど、こんこんの魅力に魅了されたこと、村田さんに憧れてこんこん推しとなったのである。当時愛ちゃんのほうは2推しとなったけど。
宣言!!時代は、チーラブの前身のチームに入っていたこともあった。
村田さん(青い彗星)は、2001(H13)年12月16日の三重(村田さんの出身地)での某イベントの時にこんこんからレスをもらっていたという影響もある。あの時が懐かしいです。自分も村田さんに憧れてこうなったのである。このことで村田さんに感謝しています。
そんな自分も、こんこんと出会えたからこそ変わっていけたと思います。こんこんの成長とともに変わっていけたし。こんこんのお陰で宣言神に成長したのである。 TEAM☆ASAMIXの会長になれたということも誇りに思っているし。
やはりこんこんのほうは、宣言神にピッタリなメンバーであるので、本当に出会えてよかったなと思っています。なのでこんこんの卒業をマイナスに考えずにプラスに考えることにします。学業でも頑張ってもらいたいです。このことは、まこっちゃんにも言えることである。推しではないけどまこっちゃんにもお世話になっているので。
卒業は終わりではなく新たなステージへの始まりである。
7月24日以降も、こんこんの応援、ハロプロファンならびに宣言!!を辞めたりはしません。娘。としての1推しは後継者?に譲ることになるけど、こんこん1推しで培ったことは忘れたりはしません。
娘。メンバーの1推し経歴 初代はなっち 1999.9月〜2000.5月
2代目はよっすぃー 2000.5月〜2001.8月
3代目は愛ちゃん 2001.8月〜10月
4代目はこんこん 2001.10月(2002.1月)〜2006.7月(予定)
5代目は、?であり 2006.7月〜となる。
これにより、こんこん1推し時代が長いということになった。
加入当時は愛ちゃんがいいなということでこんこんにはあまり興味が無かったけど、今はうって変わってこんこん1推しとなったのである。
かつての1推しであるなっちの卒業の時はこんこんが居なかったけど、1日限定でなっち1推しに戻って参戦していたのである。
今後の娘。の1推し候補は、レインボーピンクで話題となったさゆみんまたは小春ちゃんである。
自分のこんこん推しはこれで終わりではなく、これからも続くのである。
つまり、5期メンバー(こんこん)と出会ってなければ、今の自分が居なかったところでした。 この時点でモーヲタならびに宣言!!を辞めていたかもしれなかったので。
こんこんを見た時、頭が良くて運動神経も抜群なんだな!ということに魅了されたのである。 これによって、癒されてきた。 こんこんに出会えて本当によかった!
梨華ちゃんの卒業の時、ピンク色の好きなメンバーはこんこんに受け継がれたけど、今回はさゆみんや小春ちゃんに受け継がれることになる。
鉄道の世界で言えば、4月20日に北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線が廃止されたことみたいな感じがします。やはり、鉄道が無くなれば、寂しくなるだけではなく、沿線住民が不便な状態となるので。
昨年3月31日に名鉄の600V線区である岐阜市内線(美濃町線、揖斐線)が廃止されたことにもなぞられるけど。
ここを走っていた車両は、そのまま廃車となったほか、系列の豊橋鉄道東田本線、福井鉄道に譲渡されている車両もあるので、こんこん推しおよびまこっちゃん推しのヲタの去就にもなぞられます。こちらの路線は、別のライトレール(LRT)事業として復活することが予想されている。
昨年3月19日に名古屋遠征の時に乗った電車はそれらの電車だった。
LRT(近代型路面電車)といえば、4月29日にJR富山港線(2月末に廃止)が富山ライトレールとして生まれ変わったのである。こちらは卒業後に復活したことになぞられている
無色透明なままでの「ゴールじゃなく、始まりだった」という歌詞には、卒業の意味も込められている。
この日は、横須賀に行くのを断念しようかと思っていたけど、場外参戦することが出来てよかったです。 この時に、はまさん、ハッセーさん、にくこんさん、AXLさん、CARPさん、タンゴさん、貴仁さん、コバさん、ラブカツさん、北海道から遠征してきたトミ〜さんと出会うことが出来ました。
いろいろなこんこんファンの掲示板やブログを見た時、気持ちの整理に時間が掛かっているのは自分だけではないんだな!ということを実感しました。
そのうち自分はフル場外だったので、1度でいいからハロパーを見てみたいということを考えています。 30日も場外の予定だし。
トミ〜さんとは、今回で初の顔合わせとなった。30日の八王子にも参戦予定だと言ってたし。やはりトミ〜さんは、北海道で行われるハロプロ系の公演に出ており、札幌のみならず、道内のほとんどの会場に顔を出している状態である。苫小牧で行なわれたごっちんの公演で最前列で見ていたと語っていたし。
やはり横須賀ということで、梨華ちゃんの凱旋ライブというイメージが高まっていました。 スカジャン(梨華ジャン)姿のチー梨華の連中(タンゴさん、コバさん、貴仁さん)も凄かったです。 ハッセーさんもその姿で参戦していたし。 タンゴさんのほうは、タンゴさん自身の枠で外れていたので、見ることが出来てよかったですね! やはり神奈川在住の梨華ちゃん推しに参戦してもらえてよかったです。もちろん全国各地の梨華ちゃん推しもだけど。
夜の部の間、自分とはまさん、にくこんさん、AXLさんの4人でガストに行きました。
自分が頼んだまぐろ丼が来たのはいいんだけど、はまさんのところに来るはずのとろろも一緒に来ていました。それを知らずに掛けてしまいました。
だったら店員が先に言ってほしかったです。 なのでスマソの状態となりました。
この後、にくこんさん、AXLさんと別れ、会場前に戻りました。 にくこんさんは、4月30日の大阪フェスティバルホールでの娘。紺に行くと言っていた。
こんこんのほうは、誕生日企画の後、卒業企画も待っているので、そちらにも賛同することになっている。
昼の部を見ていたはまさんから聞いた話によると、ハロパーは面白かったということです。
夜21時ごろ、夜の部が終了した時に雨が上がってくれてよかったです。
4月29日、横須賀に場外参戦することが出来てよかったです。
この日の夜の部に、メロン記念日の柴田あゆみちゃんが私服姿でサプライズで現れていたので、こちらも凱旋状態となった。
メロン記念日のライブが横浜で行われれば凱旋公演になるんだけどね!
にくこんさんは、自分と同様にこんこん推しの前はよっすぃー推しをやっていたと言っていたけど、ハロモニ。のハロプロワイドのおじゃマルシェのコーナーを見てこんこん推しとなったと言っていた。にくこんさんの今後の動向が非常に気になります。最後にASAMIXの傘下に入ると言っていた。
1999(H11)年10月5日のSPEEDの解散発表の時、娘。1推しとなっていたのでそれほど凹みはしませんでした。
2004(H16)年3月28日のdreamの阿井莉沙ちゃんの卒業の時は、モーヲタ(娘。の卒業)で培ってきた前向きな気持ちで送り出していたのである。
阿井莉沙ちゃんは、現在女子大生タレントとして女優業または歌手などで活躍している。
本当にさようならは言いたくないので、ありがとうの気持ちで送り出してやりたいです。