市川市文化会館

この日は、本八幡市川市文化会館で行なわれた、なっちの公演に行ってきました。

まずは、予告した通り、唐木田駅構内で行われた小田急9000形のイベントに行ってから現地入りしました。この日は秦野から唐木田まで臨時列車が運転されるけど、残念ながら落選したので乗ることが出来なかった。3月17日の定期運用の最終日に乗ったからまあいいやと思っている。

唐木田で、小田急9000形の最後の勇姿を撮影したけど、紺会場ではカメラ等を預けました。 この小田急9000形は、かつて地下鉄千代田線に乗入れていたこともあったので、乗り入れ当時と同じ準急綾瀬行きの表示が出ていました。 このイベントはあいにくの雨模様の中で行なわれたのである。
ここで、千代田線で顔を合わせていた東京メトロ6000系車両(主力で銀色車体に緑帯の車両)との並びを見ることが出来ました。

この日の小田急では、千代田線内で発生した保安機故障および小田急富水駅構内で発生した人身事故の影響によりダイヤが乱れていました。 

この日は、多摩急行が運休となり、上りの多摩急行が新宿まで乗り入れ、メトロの車両が普段入ることは無い小田急新宿駅まで入っていたという珍しい現象があった。

帰りは唐木田から新百合ヶ丘乗り継ぎで新宿まで行ったけど、人身事故によるダイヤの乱れにより、急行が遅れていたため、新百合ヶ丘から新宿まで各駅停車で行ったのである。

新宿から本八幡まで、都営新宿線の急行で行き、ここから歩いて市川市文化会館まで行きました。

都営新宿線は、江戸川区ごっちんの地元を走る列車となっている。

この日の昼公演には、ラブカツさん、もんどさんが見ていたのである。なっち推しのもんどさんにとってはホームグラウンドの状態。 

夜の部は、自分が宣言!!で唯一の参戦となった。 この時のチケットは、かつて宣言!!に在籍していた各務さんに譲ってもらいました。 

まさとさんは、家から近い(千葉県の会場)だったのに仕事で行かれなかったので残念な思いをしていた。

今回は、まさとさんの分までなっちに声援を送ったのである。

今回は仕事休みだったので参戦出来たのである。 自分の土曜日(祝日に当たった時を除く)の参戦は、大幅に減っていたので、土曜日の参戦が珍しいという状態となった。

座席は、9列目の左側でした。 

自分は、娘。時代なっちとの相性が良くなかったけど、娘。卒業後なっちとの相性が良くなっている状態である。

この調子でこんこんとの相性が良ければいいんだけど、残念ながら相性があまり良くないという状態である。娘。では、さゆみんと相性が良いという状態である。

それはさておき、横須賀の時以来に盛り上がることが出来てよかったです。 この時も、オレンジのしゃもじを使用しました。

オレンジのしゃもじは、宣言!!公式なので、娘。以外のハロプロ公演でも通用する状態であります。狭いホール会場で生かしたのは今回が初めてだった。

本当は、娘。の狭いホール会場でも生かせたらなと思っていました。 秋紺の時に期待しています。

市川市文化会館に行ったのは、2003(H15)年10月13日のごっちんの公演以来でした。 自分は行かなかったけど、先月15、16日にハロパーが行われていたのである。
 この次の5月14日は、あややの公演が行われていた。

市川といえば、元宣言!!のみのるさんの地元である。 みのるさんとは、にくこんさんと同様に、CARPさんを通じて知り合ったのである。

帰りは、京成八幡駅から京成上野駅まで京成で行き、上野から山手線で帰りました。

この時は、京成八幡から京成高砂まで快速で行き、ここから京成上野まで、各駅停車で行ったのである。 日暮里と京成上野駅の間には、博物館動物園駅の跡があり、地下に眠るかつての地下廃駅となっている。 クリーム色の壁で分かるけど。 現在は、資材置き場となっている。 この駅が廃止されたのは、1997(H9)年3月末のことで、一部の各駅停車(4両編成)しか停車しない小さな駅で、レトロな感じの地下駅だった。

このような地下の廃駅は、京王線の新宿〜笹塚間の地下トンネルにある、初台駅旧ホーム跡も挙げられます。 こちらも非常用の通路または資材置き場となっている。 こちらは、1978(S53)年10月31日の京王新線の開業により、役目を終えた幻の地下ホームとなっている。こちらに駅があったということは、マニアしか知らないという状態である。

京王新線のほうは、新線新宿(南口の地下)から初台、幡ヶ谷を経由して笹塚へと向かう、都営新宿線京王線を繋ぐ地下線(甲州街道の真下を走る路線)である。

京王新線が出来る前、京王本線に、初台・幡ヶ谷駅があったのである。(当時は各駅停車しか止まらなかった)
現在は京王百貨店の新宿本店の真下にある本線の新宿駅から列車に乗ると、笹塚(特急・準特急は明大前)まで停車しないので、初台・幡ヶ谷まで行くときは、京王新線の駅から乗らなければならない。

京王百貨店の新宿本店といえば、定期的に駅弁大会が行われることで有名である。 

1963(S38)年4月1日に、京王線新宿駅が地下駅になる前は、新宿駅付近で甲州街道の路面を走っていたのである。 このことは、歴史に詳しい人でないと分からないけど。 現在は高速の通勤型電車が往来している京王線のほうは、かつて路面電車だったということを知らない人が多いという状態である。今から93年前の1913(T2)年4月15日に笹塚〜調布間が開業した当時は、甲州街道の路面を走る京王電気軌道と呼ばれていた。 翌年の1914(T3)年5月に新宿まで乗入れてきた時には、現在の西口ではなく、新宿追分(新宿三丁目伊勢丹の近く)に駅(電停)があったのである。1945(S20)年7月24日に、現在地の西口に地上駅として移転。1963(S38)年には地下駅となったのである。

甲州街道の上を走っていた頃は、路面を大型電車が通り抜けるというシーンであったのである。 現在このように路面を大型電車が通り抜けるシーンは、愛ちゃんの地元である福井県を走る福井鉄道福武線熊本電鉄藤崎宮前〜黒髪町間のみとなっている。
熊本電鉄では、かつて都営三田線を走っていた6000形電車(銀色に青帯の電車)が路面を走るというシーンを見ることが出来る。 都営時代に大都市の地下や地上部分で高島平団地をかすめながら高速で走り抜けていた電車が、2両編成でゆっくり路面を走るということで想像出来ないという状態です。
羽生・熊谷と三峰口を結ぶ秩父鉄道でも、都営三田線を走っていた6000形電車から改造された5000形電車も走っているけど、こちらも都営時代にありえなかったのどかな風景の中を走っているのである。

こんこんの最後のGKの姿を見ることが出来なかったけど、この時はにくこんさんに委ねました。 にくこんさんも、自分の分まで応援してくれたに違いないです。
にくこんさんと知り合えたのも、こんこん推しをやっていたことや、こんこんがGKとしても活躍していたからである。

なっち紺の時は、毎回なっち推しだった頃の原点に帰って参戦している。 昨年11月26日のなっちのFCイベントの時でもそうしたけど。 

自分は、こんこんと握手してからは、握手したことのあるメンバーを贔屓するようになったのである。

1999(H11)年4月18日に福田明日香ちゃんが卒業した後、ヲタがどうなったのか気になっていました。 

はまさんとなかやんさんは、福田明日香ちゃんの卒業後、あいぼん推しをやる前誰を推していたのか気になっています。

こんこんやまこっちゃん推しの皆さんの去就が気になっています。

では、バイバーイピンク、キャハ、キャハ、キャハ