川崎大師

この日は京急大師線の新春記念ヘッドマークの撮影に行きました。この時にはレギュラーである旧1000形のほか、1500形(両開き)の4両編成も応援で入っています。一昨年11月に全廃となった700形車両は、晩年は京急大師線で活躍していた。

川崎大師ではもちろん参拝。今日も参拝客らで賑わっていました。川崎大師では正月三が日のピークの時は混雑が激しい状態で、以前正月三が日に友人と初詣に行った時に待たされました。

あの後は等々力(東急大井町線沿線)での鉄道友の会の東急電車研究会に行った後、自由が丘乗り換えで渋谷に行き、鉄ヲタの友人と東急旧5000系(5001号車)の青がえるを見ました。その鉄ヲタの友人は青がえるを見たのは初めてだった。この車内を含め、渋谷の新たな待ち合わせスポットとして定着し、記念撮影する人が多いです。鉄ヲタの友人と別れた後、三軒茶屋に行く前にハロショに立ち寄り、さゆの晴れ着姿の生写真を買ったのである。鉄道友の会の例会に参加していた年輩の会員の1人も鉄ヲタハロヲタである。昨年10月15日に市川市文化会館でのごっちんの公演の時にその人と出会った時にハロヲタでもあることが分かったのである。(いわゆるヲタバレ) その人は、ハロプロ全般の公演に行っていると言っていた。昨年12月23日にメロン記念日の公演、今年1月の中野サンプラザでのハロプロ公演(ワンダとエルダの両方)にも行っていたのである。ワンダのほうは4日の昼の部で中間の列で見ていたのでニアミスしていた。

あの後、東急世田谷線に行き、玉電100周年記念花電車を撮影し、三軒茶屋から下高井戸までそれに乗りました。東急の玉電(路面電車)は、1969(S44)年の5月まで、渋谷〜二子玉川園(現在の二子玉川)間と二子玉川園〜砧本村間の路線があり、前者は玉川通りの路面を走っていた。
世田谷線は、かつての玉電と繋がっていたので、渋谷〜下高井戸間の列車もあったのである。
その花電車の塗装は、玉電(東急玉川線、砧支線)が廃止された時に運転された花電車がイメージされている。
宮崎台駅付近にある電車とバスの博物館には、かつて玉電で走っていた200形204号車(卵形の連接車)が保存されている。
東急世田谷線では、今から6年前の2001(H13)年2月まで、かつての旧玉電で走っていた緑色の旧型電車が走っていた。現在宮の坂駅にはそのうちの1両が保存されている。こちらは1970(S45)年から1990(H2)年まで江ノ電で走っていたことがあった。
下高井戸からは京王線で新宿まで出ました。

渋谷〜二子玉川(旧二子玉川園)間は、1969(S44)年5月10日に玉電の路線が廃止された後、1977(S52)年4月7日に新玉川線(現在は田園都市線の一部)という地下鉄規格の路線が開業するまでの間、8年間のブランクがあった。

では、バイバーイピンク、キャハ、キャハ、キャハ