熱海梅まつり、まりっぺの誕生日

この日(1月20日)は18きっぷの最後の5回目を使って熱海梅まつりに行ってきました。

ルート 東中野〜中野〜高円寺〜御茶ノ水〜浅草橋…馬喰町〜品川〜大森〜川崎〜平塚〜熱海〜来宮熱海梅園来宮網代〜伊東〜熱海〜三島〜小田原〜戸塚〜西大井〜新宿〜目白

まずは東中野まで歩いて行き、ここから中野乗り継ぎで高円寺まで行き、スタンプラリーのスタンプを押してから中央快速線御茶ノ水まで移動。

中央快速線は、土曜休日には高円寺、阿佐ヶ谷、西荻窪は通過となるけど、2006(H18)年12月3日(日)の撮影ツアーの時に中野駅構内の信号機トラブルにより中央・総武緩行線の中野〜三鷹間が運休となり、救済の為に中央快速線が高円寺、阿佐ヶ谷、西荻窪駅に臨時停車していたことを思い出しました。当時は201系が当たり前で、高円寺と阿佐ヶ谷で撮影していた。

御茶ノ水中央・総武緩行線に乗り換えて浅草橋まで行き、総武快速線馬喰町駅まで歩きました。この時に神田川を渡ったけど、下流(隅田川との合流地点の近く)で、屋形船が止まっていました。

馬喰町でスタンプを押した後、品川までE217系で移動しました。

品川で昼食を取った後は京浜東北線で大森まで行き、大森駅のスタンプを押した後、川崎乗り継ぎで平塚まで行きました。平塚からは快速アクティーで熱海まで行き、駅前の足湯に入ったけど、温度がちょうど良くて気持ち良かったです。

熱海からは伊豆急8000系来宮まで行き、ここから歩いて熱海梅園まで行って早咲きの梅(熱海梅まつり)を見ました。

ここには梅まつり期間限定の足湯があったので梅を見ながら足湯に入ることが出来て良かったです。この時に見た梅も綺麗でした。

梅を見た後は来宮駅まで歩いて戻りました。
来宮駅からは、伊東行きのE231系網代まで行き、網代からは土曜休日に特急リゾート踊り子号で使われている伊豆急のアルファリゾート21普通列車で伊東まで行きました。この日は平日だったのでアルファリゾート21がロイヤルボックスを抜いた7両での普通列車に使われていました。
伊東では、3両編成の8000系(伊豆急線内のワンマン列車)を見ることが出来ました。

伊東マリンタウンまで歩いて往復した後、伊東から熱海まで伊豆急8000系で行き、熱海からJR東海の211系+313系による島田行きに乗り継いで三島まで行きました。

三島では、伊豆箱根鉄道駿豆線の1100系(元西武701系)を撮影することが出来て良かったです。

三島からは、沼津から来たE231系で小田原まで行き、ここから始発の211系の快速アクティーに乗り継いで戸塚へ。戸塚からはE217系による千葉行きで西大井まで行ったけど、後ろの4両が機器更新車だったので初めて乗ることに成功しました。

西大井から新宿まで湘南新宿ラインの宇都宮行き、新宿から目白まで山手線を乗り継いで帰りました。

この日(1月20日)は、元モーニング娘。まりっぺこと矢口真里さんの26回目の誕生日でした。
おめでとうございます。エルダークラブの公演では、司会を離れて歌でも活躍しているので嬉しいですね。

この日(1月20日)は、戦後ならびに帝都高速度交通営団(営団地下鉄東京メトロの前身)初の地下鉄である丸ノ内線の池袋〜御茶ノ水間が開業した記念日であり、あれから55年経ちました。

開業したのは1954(S29)年1月20日のこと。

開業当時の区間は池袋〜新大塚茗荷谷〜後楽園〜本郷三丁目御茶ノ水

当時の車両は赤色の車体に白帯でステンレスの波目模様入りの300形が使われていた。

今から20年前までの後楽園駅(改良工事前)は、江ノ電藤沢駅みたいな感じのカマボコ型のドーム状の高架駅で、屋根上にS 地下鉄の表示があったことを覚えている。

このような赤い電車(300形,400形,500形,900形は、1995(H7)年2月に本線系統から、翌年の1996(H8)年7月に方南町支線(中野坂上方南町間)から引退している。こちらは南米アルゼンチン、ブエノスアイレスの地下鉄(メトロビアス)B線でも活躍している。

あとはメトロビアスC線で名古屋市営地下鉄東山線名城線で活躍していた黄色い旧型車両(300形,250形,1200形)が走っている。

丸ノ内線の新宿〜荻窪間ならびに中野坂上方南町間(方南町支線)は、1972(S47)年まで荻窪線と呼ばれていた。

1963(S38)年11月(荻窪線全通の翌年)までは、都電杉並線(14系統、新宿駅前〜荻窪駅前間)も走っていた。こちらは西武の軌道線から買収された路線で、都電で唯一狭軌(1067mm)となっていた。

こちらで活躍していた2000形は、一部が長崎電気軌道に700形として譲渡されている。そのうちの701号車は都電塗装に復元されている。

その杉並車庫の跡地は、都営バスの杉並自動車営業所(現、早稲田自動車営業所杉並支所、業務ははとバスに委託)となっている。

廃止当時、新宿駅前電停は、新宿大ガードの手前、荻窪駅前電停は、北口にあった。

丸ノ内線の第一号車である301号車。こちらは1989(H元)年に廃車となった後、2003(H15)年に地下鉄博物館入りする前は中野工場(方南町支線の中野富士見町駅付近)で保管されていた。

地下鉄博物館では1001号車の横で展示されている。

E217系の足回り品の更新車は、帯の紺色の部分が明るい青色に変更されているほか、前面のE217のロゴが廃止されている。

オリジナル車のE217系(E217のロゴ入り)の撮影はお早めに。

伊豆急8000系(元東急8000系)の帯の色は、かつての伊豆急100系を彷彿とさせるハワイアンブルー塗装となっています。
中間車から改造された編成は、上部の種別表示灯が無いです。

昨年本家の東急電鉄から全廃された今、元東急8000系に出会える場所は日本国内では伊豆急行線(一部JR伊東線に直通)のみとなっている。

東急8000系インドネシアにも輸出されているけど、そのうちの8007Fは伊豆のなつ号塗装のままで輸出されていたので、ジャワの夏号状態である。

伊豆急の8000系は、4両基本編成と2両附属編成に分かれていたけど、現在は全て3両編成となっている。

この日のハロガチャはさゆが出てきました。

では、バイバーイピンク、キャハ、キャハ、キャハ