佐久間レールパーク、豊橋鉄道市内線

この日は、佐久間レールパーク豊橋鉄道市内線の乗車、Zepp Nagoyaでの会場推しに行ってました。

ルート 目白〜品川〜東京〜大垣〜豊橋〜豊川〜本長篠中部天竜佐久間レールパーク中部天竜豊橋…駅前〜赤岩口〜駅前〜競輪場前〜運動公園前…井原〜駅前…豊橋〜名古屋…Zepp Nagoya近鉄名古屋近鉄八田…八田〜名古屋〜米原〜名古屋〜東京〜大船〜新宿〜目白

まずは東京から189系チタH101編成によるムーンライトながら号で大垣まで行きました。この189系ムーンライトながらに乗るのは3回目でした。

この日の名古屋でのモーニング娘。のイベントにあいにく落選してしまったのでテンションが下がってしまったよ!ムーンライトながらの簡易リクライニングシートで更にテンションが下がっています。
こちらはかつての夜行急行アルプス号を彷彿とさせる懐かしい雰囲気がするけど。H101編成は2号車と3号車が簡易リクライニングシートとなっているし。

これだったら車端部のグレードアップ席や485系によるムーンライトえちごの座席のほうが断然いいです。

ムーンライトながら号は、共和駅に32分間運転停車していました。

運転停車ということで外には出られなかったです。

熱田駅でも17分間の運転停車があるし。

本来なら浜松駅で26分間停車するはずだったけど、小田原駅での遅延によりすぐに発車してしまいました。

ということで浜松から定刻での運用となっていました。

大垣駅では、姫路行きの223系2000番台と並ぶシーンも見られていたけど、これを見ているだけで関西に行きたくなりました。

今回はそれに乗らずに313系の新快速で豊橋に戻りました。その前に373系によるホームライナーが運転されていたので、土休日としては珍しいホームライナーとなっていました。

豊橋から豊川まで313系、豊川から本長篠まで119系、本長篠から中部天竜まで117系S11編成(リバイバルカラー)による佐久間レールパーク号で移動しました。

中部天竜から豊橋までは119系で移動。

この日は、豊橋鉄道市内線で、昨年末に登場したLRTであるほっトラムことT1000形に初めて乗ることに大々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々成功したよ!こちらは豊橋駅前〜赤岩口間の系統に限定されており、毎週木曜日に定期点検の為に運休することになるけど、たった1編成しかない為に突発的な運休の不安を乗り越えて乗ることが出来たし。

このようにお目当ての新車に乗れたことで、超々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々気持ちいい!何も言えねえ!状態だよ!

まさに、万々歳――!!\(^ー^)/

佐久間レールパークのクハ111-1号車。この時にその車内が公開されていました。

オリジナルの青色の座席、薄緑色に塗装されたドア、JNRマークの入った灰皿や扇風機が付いているなど、国鉄時代から変わらない車内となっていました。

111系は、1962(S37)年に東海道線に登場した高性能直流近郊型電車の元祖である。足回り品(MT46型主電動機)は初の高性能通勤型電車である101系に準じているし。

晩年は静岡エリアで活躍していた。

灰皿があるということで昔は近郊型電車でも喫煙が可能だったということを物語っています。

111系は、一部が瀬戸大橋線の開業用としてJR四国に譲渡されていたけど、2001(H13)年3月の113系(JR東日本から中古で購入された)の導入をもって全廃となっていた。そのうちのクハ111-3002号車(湘南色復元編成のうちの1両)は多度津工場で静態保存されている。

バチバチさんが7月25日に佐久間レールパークに行った時には111系が特別展示の準備の為に見られなかった。

浜松工場にはモハ111-1号車とモハ110-1号車が保存されているけど、JR東海博物館への移設予定は無い。

この日は青春18きっぷ期間で最後の週末ということで賑わっていました。

名古屋、岐阜、豊橋、三重、米原エリアからだったら土休日乗り放題の青空フリーパスが得である。

佐久間レールパークでのキハ181-1号車。1968(S43)年10月1日(ヨンサントオの大改正)に導入された当初は、中央西線篠ノ井線の特急しなの号で活躍していた。1973(S48)年7月の中央西線の電化の時には381系元祖振り子式電車が導入された後、1975(S50)年までキハ181系が2往復のみ残されていた。

キハ181-1号車は、しなの号を追われた後四国で活躍していたけど、1993(H5)年までに全廃となり、このキハ181-1号車が国鉄色に復元の上で佐久間レールパークに、中間車のキハ180-1号車がJR四国色のまま美濃太田車両区で保存されるようになった。キハ180-1号車に関してはJR東海博物館への移設の予定は無い。

キハ181-1号車は、美濃太田にあるキハ82 73号車(晩年はひだ号や南紀号で活躍していた)と共にJR東海博物館に移設される予定である。

佐久間レールパークでは、しなののHMが付いているけど、先月29,30日には、撮影会が行われ、時間毎につばさ、やくも、しおかぜ、南風などのHMが披露されていた。

キハ82形やキハ181形DC国鉄色塗装の前面の赤帯は翼みたいな形をしています。どちらも以前旧つばさ号(板谷峠を越えたディーゼル特急)に使われていたし。

キハ82形DCと言えば、青森駅近くのメモリアルシップ八甲田丸の中で保存されているキハ82 101号車を思い出します。

中部天竜駅で、119系の青いリバイバルカラー(E4編成、クモハ119-5008F)を撮影することが出来て良かったです。やはり天竜川沿いを走る飯田線にはこの色が似合っています。

こちらは飯田線で運転区間が長く、運用も複雑なので運が良くないと狙えないです。

飯田線は、天竜峡駅を境に系統が分割されているので、全線通しでの運用が非常に少ないです。

北側の伊那エリアでは、119系R編成によるワンマン運転が行われています。

豊橋鉄道市内線のLRTのほっトラムことT1000形。

ほっトラムは、狭軌初の国産全低床LRT(アルナ車両リトルダンサーシリーズ)で、今年のローレル賞を受賞していた。

名鉄のモ800形(801号車)と同様に井原の急カーブを曲がることが出来ないので、井原〜運動公園前間に入ることが出来ず、駅前〜赤岩口間の決められた時刻で限定運用されている。

たったの1編成しかない為、但し、毎週木曜日は整備点検により運休となる。その場合は元名鉄のモ800形(801号車)による代走となる確率が高いと思います。

こちらはほっトラムと共にお目当てである豊橋鉄道のモ3500形の3501号車(元都電荒川線7000形7009号車)。サーラグループ(旧中部ガスグループ)の広告入り。

1992(H4)年に元都電7000形の7009号車と7028号車(どちらも非冷房の黄色い都電)が譲り受けられ、冷房改造、ステップの取り付け、ドアの改造(降車用ドアの移設)、集電装置のZ型パンタグラフ化、電動機の変更、台車の狭軌対応化などが行われていた。これに伴う台車の変更は行われなかった。

前面のワンマンの表示は都電時代のままである。

都電のシンボルであるドアが完全に閉まった後に鳴るベルも豊橋鉄道でも変わらずに使われています。

1992(H4)年に3501号車(元都電7009号車)と3502号車(元都電7028号車)が、1992(H4)年に3501号車(元都電7009号車)と3502号車(元都電7028号車)が、2000(H12)年に3503号車(元都電7017号車)と3504号車(元都電7021号車)がそれぞれ導入されていた。3503号車と3504号車は、冷房化されていた為に冷房装置がそのまま使われている。

3501号車の窓枠の色が黄緑色なので、都電7000形の塗装を明るくしたような感じがします。

都電の7009号車と7028号車は、7006,7011,7012,7014号車と共に冷房化の対象から外され、8502,8503号車の導入により都電を追われ、豊橋入りしていた。

豊橋鉄道市内線は、競輪場前電停の手前から単線となるけど、その手前で下り列車が上り列車が出るまで待機していることになる。

車庫は終点の赤岩口にあるけど、営業所および留置線が競輪場前電停にある。 乗務員交代は競輪場前で行われているのはその為である。

豊橋鉄道のモ3500形の3503号車(元都電荒川線7000形7017号車)。紺色で愛知県豊橋市に本部(本校)のある開拓塾(愛知県のご当地学習塾)の広告が入っている。

こちらは2000(H12)年に元都電7000形の7017号車と7021号車(どちらも都電時代に冷房改造されている)が譲り受けられ、3501号車や3502号車と同様に改造されていた。

前面のワンマンの表示は都電時代のままだけど、モ3503号車(元都電7017号車)だけは、都電時代で後期(青幕化後)に冷房改造されたという名残でワンマン表示が青色となっている。

こちらには井原から駅前まで乗ったけど、都電7017号車の時代に良く乗っていたことを思い出したほか、東京に帰りたくなってきました。

豊橋鉄道市内線は都電時代と打って変わって全区間併用区間となっている。

Zepp Nagoyaで行われたモーニング娘。なんちゃって恋愛のイベントには、落選した為に行かれなかったよ!先月にさゆと握手出来たから贅沢言ってられないけど、このように握手会に落選で行かれなかったことで機嫌悪い!超々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々機嫌悪い状態だよ!

まさに、!棒々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々鶏――――――――――――――――――――――――!

次にさゆと握手出来る時が超々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々待ち遠しいよ!

その代わりに近鉄名古屋線で八田まで行けたし、名古屋駅キハ85系南紀号を撮影出来たし。

今後の握手会参加はTHE ポッシボーの独走状態となってしまうよ!
自分は半年前以来気動車に乗っていない(全て電化区間に乗っている)状態が続いているので気動車禁断症の状態だよ!今日は武豊線の試乗を断念したし。
今回の18きっぷでは電化区間しか乗っていないことになってしまうし!

気動車に乗りたい、あー乗りたい!

あとは今月末までのツーデーパスも使ってみたいよ!

今日のZepp NagoyaでのイベントはT.Hさんが3回連続で当選していたことにより入っていたので万々歳!だった。あとは、コスプレイヤーあきさんとも出会うことも出来たし。

バチバチさんとその仲間たちはお別れする時に握手を交わすことになるけど、T.Hさんは握手会を意識していた

この日は、日本ガイシホールでSPEEDの公演が行われていたけど素通りしました。

近鉄名古屋駅は、1938(S13)年に関急名古屋駅として開業した時から地下駅となっており、エンド側の改札口から車両を眺めることも出来る。 京成上野駅阪神梅田駅などと同様に、戦前からある昔懐かしい雰囲気の地下駅となっています。近鉄特急の発車時には、ドナウ川の漣の発車メロディーが流れることになっている。一般車両はベルが鳴るけど。

Zepp Nagoyaでの娘。のイベントを終えて帰阪するT.Hさんを見送る為に名古屋から米原まで新快速で行き、米原から名古屋まで新快速で戻りました。

名古屋から東京まで189系によるムーンライトながら号で移動しました。今回の名古屋遠征は、残念ながら娘。との握手を果たせなかったけど、佐久間レールパーク散策、豊橋鉄道市内線初乗車などで楽しむことが出来ました。夜はT.Hさんと一緒に名古屋名物のきしめんを食べました。名古屋まで来たら何と言ってもきしめんなので。関西はうどん、信州はそばと言うように。

実は名古屋到着後にもきしめんを食べたのである。

麺類もやはり本場の味に拘っています。

現在乗っている車両の座席は普通タイプのリクライニングシート車です。やはりシートの快適性も安眠に左右されます。このことでさゆがしゃもじの肩を枕にしてしまうことを想像してしまいます。まさにおやさゆみんである

真野ちゃんの新曲の発売も楽しみです。

名古屋は、ういろう、きしめんみそかつ(味噌カツ)、ひつまぶし、エビフライ(えびふりゃー)、煮込みうどんなど名物があるけど、きしめんは、うどんやそばと同様に気軽に食べられます。

味噌カツとえびふりゃーのほうは、4年半前に名古屋に行った時に食べたことがあります。味噌カツと言えば、矢場とんが有名である。

豊橋鉄道では、元名鉄市内線、揖斐線で走っていたモ780形787号車や、モ3200形3201号車にも乗りました。後者は貴重な旧型車両だったし。

では、バイバーイピンク、キャハ、キャハ、キャハ