江戸東京たてもの園

この日は、小金井公園の中にある江戸東京たてもの園で静態保存されている7500形の7514号車を見てきました。

こちらは、都電の荒川車庫前にある都電おもいで広場に保存されている7504号車と同じく、原形のまま廃車となった7500形だけど、この7514号車は、赤帯でステップあり、降車扉横の車掌さんのお立ち台ありで、都心を網の目のように走っていた全盛期を彷彿とさせる状態となっていました。全盛期は車掌さんも乗務していて、鐘をチン,チンと手で鳴らしていました。現在の都電は前後のドアが完全に閉まってから自動的にチン,チンと鐘が鳴るけど。

7514号車は、晩年荒川線で活躍していたけど、今から32年前の1978(S53)年に荒川線が全てワンマン運転になったことに伴い、ワンマン改造の対象から外された7509号車とこの7514号車が廃車となっていました。

7514号車は、ボロボロの姿で荒川電車営業所(荒川車庫)で保管されていたけど、解体されずに小金井で保存されるようになったことで嬉しく思いました。

行き先表示は、新橋、澁谷駅(渋谷駅)で、1962(S37)年に導入された当時20両全てが青山電車営業所所属で、6系統(新橋〜溜池、六本木、西麻布経由〜渋谷駅間)を中心に活躍していました。

かつての都電6系統のルートは、現在の都営バスの橋89系統→都01系統(グリーンシャトル)に引き継がれています。

青山劇場や青山円形劇場などがある場所は、以前都電の車庫であったということは、歴史に詳しい人でないと分からないと思います。

京王線が昔路面電車で、1963(S38)年に新宿駅付近が地下化される前に甲州街道の路面を走っていたことも知らない人が多いです。

もしもこの路線が今でも走っていたら、渋谷と六本木のお洒落な街同士を結ぶ環境に優しいLRT(ライトレール)として活用されていたところでした。やはりモータリゼーションの波によって現在の荒川線部分を除いた都電が全廃となってしまったことが惜しまれます。

この7500形は、都電最後の新造車となるはずだったけど、荒川線部分が残されたことにより、8500形,9000形(新レトロ電車),8800形(ピンクの都電)と言った次世代の車両が生まれたのである。どちらも都電のシンボルであるチン,チンとなる鐘があるし。

8500形は、8501号車(めんめん)が営業運転入りしてから今日(5月2日)で20年経っていました。

江戸東京たてもの園の7514号車には、都電おもいで広場の7504号車と同様に中に入ることが出来るけど、荒らされそうで不安です。やはり復元建造物と同様に保存車両を大切に扱ってもらいたいです。

江戸東京たてもの園に移築された万世橋交番。

秋葉原万世橋のたもとにあったものがトレーラーでそっくり運ばれていました。

こちらは中に入って雰囲気を味わうことが出来ます。横にはダルマ型の郵便ポストがあるのでムードが高まっています。

万世橋もかつて都電が走っていました。

この後は中野サンプラザでのベリコン(Berryz工房のツアー)の会場推しに行きました。この日は、スマイレージオープニングアクトで出てきていました。

この日のさゆは、神戸国際会館こくさいホールでの公演に出ていたけど、関西のしゃもじも参戦していました。

お台場グルメパークでのイベントの2日目は、℃-uteスマイレージ、エッグの選抜メンバーが出演。スマイレージのメンバーはお台場でのイベントの後に中野まで移動していました。

では、バイバーイピンク、キャハ、キャハ、キャハ