イブニングライナー体験乗車

この日は京成上野から八千代台まで、新型スカイライナーの車両(新AE形)によるイブニングライナー61号で移動しました。こちらは、400円均一の座席定員制の通勤ライナーだけど、本線系統の成田空港行きなので、通勤帰りの輸送と成田空港への海外旅行客の輸送を兼ねています。

こちらは青砥で降りることも可能(かにょん)だけど、本線経由なので八千代台まで乗って行くことにしまていました。

この新AE形には、今月末までグッドデザイン賞の受賞記念ステッカーが付いているのでこちらも撮影出来て良かったです。

イブニングライナーモーニングライナーは、土曜・休日にも運転されています。

スカイライナーだと強制的に成田空港まで行かされてしまうし、セキュリティーチェックも通らなければならないのが厄介だと思います。 空港第二ビル駅を降りて、東成田駅への連絡通路を通れば、セキュリティーチェックを通らずに済みます。

青砥から京成上野まで、バチバチさんの地元を走る京成3300形3356Fの懐かしの青電塗装に乗ることが出来ました。この編成に乗ったのは昨年6月30日以来でした。

昨年6月30日は、京成上野から京成金町まで臨時特急として御披露目運転されていたし。

八千代台から青砥まで、3700形の3818Fによる特急西馬込行きに乗ったけど、京成小岩で青電を追い抜いていたので青砥での乗り継ぎのタイミングが良かったです。

本当は町屋から都電に乗って帰りたかったけど、夜遅いし、明日の為に楽しみを取っておきたかったので断念し、そのまま京成上野まで乗りました。

第一次都電熱狂期だったら都電最優先だったので町屋で都電に乗り換えていたところでした。現在の第二次都電熱狂期の時は基本的に都電沿線に用がある時(荒川車庫の視察等)以外は都電に乗らない(頻繁に乗らない)ことにしているし。

スマイレージのメンバーが生まれた年は、第一次都電熱狂期のさなかでした。

それはさておき、京成の青電を撮影することが出来て良かったです。折り返しは千葉中央行き。

青電塗装は、今から22年前の1988(S63)年に全廃となった200系列(晩年は2100形)以前の車両に使われていたけど、3000系列に採用されたのはこの3300形のリバイバル編成だけとなっています。

青電の200形のうち、今から20年前の1990(H2)年7月まで新京成電鉄で活躍していた車両(京成電鉄からの払い下げ車)の204号車は、青電塗装に復元されて、宗吾参道車両基地で旧3000形(赤電塗装)や旧AE形と共に静態保存されています。

さいたま市にある鉄道博物館で、0系新幹線の21-2号車が一般公開されてから今日(10月21日)で1年経ちました。

鉄道博物館0系新幹線は、前身の交通博物館のエントランスにあった21-25号車のカットボディも展示されているので、東武博物館で展示されている5700系と同じような保存形式となっています

0系新幹線がフルで保存されていることは嬉しいことだと思います。

鉄道博物館で保存されていた国鉄バス第一号車は、来年3月14日開館予定のリニア・鉄道館への展示準備により、9月6日をもって展示が終了していました。

この日は羽田空港国際線ターミナルビルの開業で話題となっていたけど、今月31日には、羽田発着の国際線定期便が復活するということで、関西国際空港中部国際空港などのようなハブ空港として原点回帰ということになります。

これまでは国内線は羽田、国際線は成田という内際分離の状態が続いていました。

台湾の中華航空(チャイナエアライン)のほうは、日中国交回復の影響により、1978(S53)年5月の成田空港の開港後も2002(H14)年まで羽田発着が継続されていたこともあったけど。

羽田空港の場合は、成田空港とは異なり、24時間運航可能なので、深夜便も設定されます。

自分は当分の間羽田空港には見物に行かないことにしています。

ゆうかりんとあやちょのブログによるお揃いのブーツのことは、都電8800形(さゆ電)の色違いにそっくりです。

イブニングライナーということで、160Km/h運転が行われていないということで物足りなさがあるけど、京成本線経由ということで新鮮な感じがしてきます。

都電のバイオレットカラーのほうはヘッドマークが付きます。

さゆに会いたい、でも年内には会えない。ゆうかりんとはもうすぐ会えるけど。

では、バイバーイピンク、キャハ、キャハ、キャハ