東武ファンフェスタ、都電

この日は、南栗橋での車両基地南栗橋車両管区)で行なわれた東武ファンフェスタに行って来ました。

ルート 目白〜日暮里〜北千住〜草加東武動物公園南栗橋東武ファンフェスタ会場…南栗橋〜北千住〜町屋…町屋駅前荒川車庫前王子駅前〜早稲田

まずは日暮里乗り継ぎで北千住まで行き、北千住から西新井まで東武50050系による急行、西新井から東武動物公園まで東京メトロ03系の03-108Fによる普通列車東武動物公園から南栗橋まで、6050系による区間快速で移動しました。

南栗橋では、赤い団臨用の1800系1819Fによる野田線開通100周年記念号を撮影したから、東武ファンフェスタ会場まで東武バスによる無料シャトルバスに乗りました。

会場でバチバチ氏やTJ氏と合流し、撮影会会場へと向かいました。

撮影会では、野田線開通100周年記念号で使われていた赤い1819F、東武東上線で活躍していた8000系で最後の東武顔である8111F、100系スペーシア、200系りょうもう50050系51065Fのうちの7両、東急新5000系5101F、東京メトロ08系08-106Fが展示されていたけど、やはり赤い1800系や最後の東武顔となった8111Fに人気が集中していました。

8111Fは、快速急行小川町の表示となっていたけど、TJ氏が行っていた午前の部は、特急池袋となっていました。前回も同様に展示されていたけど、森林公園から秩父鉄道経由で回送されていました。

飲食のコーナーでは、荒川区西日暮里にある水泳の北島康介選手の実家である北島商店(肉のきたじま)のメンチカツが出張販売されていたました。揚げたてを食べたけど、チョー美味しかったです。

今から7年前の自分(しゃもじ)に対する大厄年だった2004(H16)年に行なわれたアテネオリンピックで、北島康介選手が金メダルを獲得していた時にチョー気持ちいい(超気持ちいい)という流行語が誕生していました。

3年前の北京オリンピックでも北島康介選手が金メダルを獲得していたことでも話題となっています。

今から7年前は漢字一文字で現せば「災」で自分(しゃもじ)にとっても災難でした。あの時は、都電の8503号車(めろ電)による北島康介選手の金メダル獲得記念ヘッドマークが付いていたけど、都電から一時的に離れていた為に撮影出来なかったのが惜しまれます。この年には、都電の終電前の緑表示が廃止されていたということも知らなかったです。

都電から一時的に距離を置いていた理由は、都電を追っ掛けていたことによる生SPEEDの延期、6152号車の引退等、都電のマンネリ化等によるものでありました。

2005(H17)年に7022号車が旧塗装に復元されたことによって都電の追っかけを再開させた時には、7000形がLED化されていたということで驚いていました。 

話は南栗橋でのイベントに戻すけど、宇都宮餃子も食べました。

その宇都宮餃子は自分が買った後に完売していたので完売完敗状態返上となりました。

ステージでは、東武博物館の花上名誉館長さんと史絵.さんによるトークショーが行なわれていました。

先月23日に森林公園で行われていた東武東上線のイベントでは、51072Fの車内で花上名誉館長さんのトークショーが行なわれていたけど、よみうりランドでのハロプロのイベントに行っていた為に参戦出来なかったことで残念に思いました。当時はモチーム以外との握手会のチケットで撃沈していたし。

あの後は、花上名誉館長さんと史絵.さんによる握手会が行なわれていたけど、自分(しゃもじ)にとって、同じ都電イチオシである史絵.さんと初めて握手することが出来て良かったと思っています。 

TJ氏も史絵.さんや花上名誉館長さんと初めて握手することが出来て良かったと言ってました。

昨年は花上名誉館長さんと木村裕子さんによる合同トークショーや握手会が行なわれていたけど、TJ氏が行かれなかったことで残念に思っていました。

史絵.さんとは都電や江ノ電のイベントで交流したことがあるけど、握手は初めてということで大盛況大収穫でした。握手した時には、先々週以来だと言われました。江ノ電のイベントで交流した時には、花電車以来だと言われていたし。

自分(しゃもじ)は江ノ電が鉄道趣味の原点であります。

このように史絵.さんとの握手会をまたやってほしいと思いました。

南栗橋工場では、50050系51065Fのうちの片割れの3両、8000系8398F、検査入場中の350系(特急しもつけ用)の353F、10030系11264Fが展示され、350系による車体吊り上げ実演が行なわれていました。 

10030系12264号車には、準急東武日光東武宇都宮の表示が出ていました。こちらはかつて存在していた列車で、新栃木で分割・併合作業が行なわれていました。

南栗橋工場は、2004(H16)年に、西新井工場と杉戸工場の移転・統合により開設された工場で、最新の設備が完備されています。

休憩用車両は、30000系(31408Fと31414F)が使われていました。東武30000系と言えば、31601Fと31611Fの2本が10両固定編成扱いで東上線に転属していたことで話題となっており、そのうちの31611Fが森林公園でのイベントで展示されていました。

入口付近には東武100系スペーシアの105Fが置かれていたので、これからリニューアルされると思われます。

東武ファンフェスタは、2005(H17)年10月2日の東武の日を皮切りに毎年11月から12月までの間の日曜日に開催されているけど、今年も参戦したことによって、小田急の海老名でのイベント(小田急ファミリー鉄道展)と同様に皆勤賞の状態となっています。

都電のイベントのほうは、2007(H19)年の荒川線の日イベント以来欠かさずに参戦しているし。

今から5年前の2006(H18)年11月19日に開催された第2回目の東武ファンフェスタでは、東武鉄道並びに首都圏の大手私鉄で最後の吊り掛けモーター車だった東武5050系が展示され、回送の時に吊り掛けモーター音を唸らせていたことを覚えています。同年の暮れには、5050系が全廃となっていたので記念すべき展示となっていました。あの後に品川ステラボールで行なわれていた美勇伝の公演に行っていたことを覚えています。当時はさゆ1推しになったばかりの頃だったし。

あの時は握手会無しの有料ライブやイベントに何度も参戦していたけど、3年前の参戦法改正により、握手会無しの有料ライブやイベントの参戦を推しが居る時を除いて大幅に削減するようになっています。

都電の7000形は都内で最後となった吊り掛けモーター車として注目されています。

東武300系列は、今から20年前に200系の導入により急行りょうもう号(当時)から追われた1800系から改造された車両で、6連のまま改造された300系(現在はきりふり283号と臨時列車用)、4連化された350系はしもつけ号で使われています。 2005(H17)年までは南会津号として会津田島まで乗り入れていたこともありました。

吊り上げ実演で使われていた353Fは、1813Fから改造されていました。

南栗橋からは友人と東京メトロ08系の08-103Fによる急行で北千住まで移動したけど、こちらは東武動物公園6050系による区間快速に乗る為に見送っていた編成だったのでこの時に乗れて良かったです。

東京メトロ08系は、2003(H15)年3月の押上延長及び東武線との直通運転による輸送力増強用並びに営団地下鉄で最後の新形式車として6編成導入されたけど、車体は東西線用の05系がベースとなっています。

今から3年前の4回目の東武ファンフェスタが開催されていた2008(H20)年11月30日には、自分(しゃもじ)がスピヲタ(SPEEDファン)から完全に撤退していた時でもありました。当時は撮影会で展示されていなかったけど、1819Fによるリバイバルりょうもう号が運転されていました。

SPEEDの現場参戦は、2006(H18)年2月をもって打ち切っていたし。

明石海峡大橋の開通日でもあった1998(H10)年4月5日に原宿でSPEEDが出てきた交通安全出勤パレードが行なわれていたけど、当時は都電沿線に行っていた為にいかれなかったということで悔しい思いをしていた為に都電の追っ掛けから一時的に離れることになってしまいました。当時は情報不足だったし。

あの時はスマイレージのりなぷ〜こと勝田里奈氏の生誕前日でもありました。

このようにSPEEDファンから完全撤退したことを受けて、9002号車及び8800形のデビューを期に都電の追っ掛けが再燃していたのである。

スピヲタから完全撤退した理由は、何度も言っているようにスピヲタと軋轢が生じるなどのトラブルが多発したことはもちろんのこと、AKB48への参入の妨げとなったこと、ボーカル体制に不満があったこと、原宿でのパレードを見逃したことによる生スピの延期による後遺症などもあります。

SPEEDには握手会が似合わないです。

当時は握手会無しのSPEEDのパレードをサボって都電に行っていたけど、現在も握手会無しのライブやイベントをサボって都電に行っていることが多い状態なので何を考えているんだということになってしまいます。

北千住から町屋まで、東京メトロ千代田線の初期型16000系(貫通ドアが中央にあるタイプ)の16102Fに乗りました。

その車内には、ローレル賞の受賞記念ステッカーやローレル賞のプレートが付いていました。

東京メトロでは、5年前に登場した10000系(有楽町線副都心線用)を皮切りに、15000系東西線用のワイドドア車)、16000系(千代田線用)と言った派生のオリジナル車両が生み出されているけど、来年には銀座線用の新1000系が導入される予定となっています。

町屋では、写真コンテストの作品を見た後、7031号車で荒川車庫前まで移動しました。

この時に、西側の留置線に幸せの黄色い電車キャンペーンで使われていた8810号車(あや電)が8501号車(めんめん)の横に置かれていました。

8810号車はキャンペーン中に格納庫に入れられていたけど、キャンペーン終了後にヘッドマークが外されてからは屋外留置が復活していました。

これを見ているだけで、しゃもじ欠席状態に例えたくなりました。

都電の8800号車の最初の導入車両である8801号車と8802号車(ピンクのあや電)が並んだ状態で置かれていたのでデビュー当時を思い出しました。

この2両の並びを見てスマイレージゆうかりんとあやちょの組合せ(ゆうかとあやちょ)に似ていると思っているけど、ゆうかりんが今年末をもって卒業してしまうのでこのことに例えることが出来なくなってしまいます。 ゆうかりんとかななん(中西香菜氏)の組合せにも例えているけど。

デビュー当時は当時の推しメンに因んでまのさゆと呼んでいたこともありました。 ゆうかりん卒業後はまのさゆ推しの時に戻ってしまうけど、スマイレージの応援は継続する予定でいます。

都電の早稲田電停で、都電と阪堺線の開業100周年(とあらんとちん電くん)のヘッドマーク付きの9001号車を撮影しました。

都電9000形ヘッドマークが片方のみこのタイプに交換されていたのでまた都電撮影ネタが増えていました。

この日は幕張メッセごっちんこと後藤真希氏の活動休止前のラストライブが行なわれていたけど、ドリームモーニング娘。のメンバーがサプライズで出演し、LOVEマシーンが披露されていました。自分は某スピヲタとの軋轢があった為にモーヲタに緊急乗換えしていた時にはLOVEマシーンが大ヒットしていました。

ごっちんの最後の握手会が11月3日にラゾーナ川崎で行なわれていたけど、行くことが出来なかったので、同年1月16日に同じラゾーナ川崎での握手会が最後となってしまいました。

握手会無しの有料ライブやイベントをサボって都電に行ったことはこの日もそうでした。

鬼子母神前都電雑司ヶ谷間にある都電荒川線で唯一の高架橋が、通れなくなり、都電を真下から覗くことの出来る有名なスポットが無くなってしまったことで、今月末をもってスマイレージからゆうかりんこと前田憂佳氏が卒業してしまうことと同様に衝撃を受けています!

来年以降もスマイレージの応援や都電の追っ掛けを継続するけど、ゆうかりんの抜けたスマイレージが、雑司ヶ谷のガード下の通り抜けの出来なくなった後の都電と同じように見えてしまうよ!

ゆうかりん卒業後のスマイレージは想像出来ないです。

この日集めたekiShスタンプは、竹ノ塚、谷塚草加、松原団地、新田、蒲生、越谷、北越谷、大袋、せんげん台、武里、一ノ割、春日部、北春日部、姫宮、東武動物公園杉戸高野台幸手南栗橋の各駅でした。