小田急のイベント、宣言!!オフ会

この日は、海老名の車両基地で行われた小田急5000形,10000形,20000形の惜別イベントである(THE LAST GREETING,想いは、引き継がれる。)に行ってきました。

ルート 目白〜新宿〜相模大野〜海老名…イベント会場…海老名〜相模大野〜経堂〜梅ヶ丘…羽根木公園…梅ヶ丘〜代々木上原〜新宿〜御茶ノ水秋葉原…オフ会会場…秋葉原〜目白

まずは、新宿から相模大野まで快速急行、相模大野から海老名まで、始発の急行で移動しました。

小田急快速急行のほうは、新宿〜藤沢間のほか、新宿〜小田原間もあるけど、今回の改正で土休日の日中にも設定され、穴埋めとして新宿発相模大野行き、町田発新宿行きの急行も新設されていました。

相模大野〜小田原間の急行は、6両編成で、6両分しか停車出来ない開成〜足柄間の各駅にも停車しています。

展示されていた5063Fは、急行箱根湯本/片瀬江ノ島とかつての分割・併合急行を彷彿とさせる表示となっていました。

このことで、昨年10月15,16日に行われた海老名でのイベント(毎年恒例のファミリー鉄道展)の時には5065F(イベント直後に廃車・解体された)が箱根湯本/片瀬江ノ島の表示で展示されていたことを覚えているけど、今回の5063Fでは、前面のODAKYUのロゴマーク(ODマーク)が付いていないオリジナルの姿で展示されたことで嬉しく思いました。

この日は生憎の雨模様だったけど、雨が終了間際で止んだし、空いていたので得した気分でした。

土日の2日間共に3形式の車内も公開されていたけど、比較的空いている5000形のほうは、休憩用車両にもなりました。

5000形は、1969(S44)年に、アイボリーにロイヤルブルーの車両としてデビューしていました。こちらは青いロゴの小田急の原点となった車両と言えます。 青い小田急と言えば、60000形MSE車も挙げられるけど、小田急ロマンスカー伝統の赤色の帯も入っています。50000形VSEにもちゃんと赤帯が入っているし。

HiSE10000形は、1987(S62)年12月23日にこの10001Fが小田急線開業60周年記念として、新宿〜小田原間ノンストップのはこね号(現、スーパーはこね号)でデビューし、はこね号での限定運用となっていました。

斬新な塗装、スタイル、前面展望にハイデッカー方式を組み合わせたことなどが評価され、翌年の1988(S63)年度のブルーリボン賞に輝いていました。

10000形は1988(S63)年1月に10021Fが、1989(H元)年に10041Fと10061Fが追加導入されて4編成となり、今から10年前にイメージリーダーとして小田急ロマンスカーの広告、CMに返り咲いていたけど、バリアフリー法に適合しないということがネックで車体更新が出来ないこと、抵抗制御であること、定員が7000形LSE車よりも少ないことの理由で、今から7年前の2005(H17)年に4編成のうちの2編成(10021Fと10061F)が50000形VSEに置き換えられ、11両のうちの4両が長野電鉄に譲渡されて特急ゆけむり号として活躍しています。

残った2編成のうちの10041Fが昨年6月に廃車となり、全車解体され、最後まで残った10001Fが3月16日のはこね36号をもって24年3ヶ月間の歴史に終止符が打たれていました。

10000形は10001Fのみでデビューし、10001Fのみでラストランを迎えたことで、この10001Fが最初から最後まで活躍した編成になっています。
デビュー当時はハイデッカーブームとなっていたけど、現在はバリアフリー法により時代遅れとなっています。

この時は、通電されておらず、シートカバーが外されていたので、とても貴重な状態でした。

このHiSE車の座席は、リクライニング機構が無いので、1992(H4)年1月に小田原から新宿まで初めてHiSE車に乗った時に幻滅を感じていたことを覚えています。

車掌室には、愛称表示のダイヤルがあり、あしがらの表示も残されていました。

展望席の右側には、7000形LSE車と同様に、2階の運転室(屋根裏部屋のような空間)の入口であるハッチがあり、運転士さんは梯子を使って登り降りしていました。

10000形の車内見学ルートは、1→2号車、10→11号車の2箇所となっていました。

20000形は、1991(H3)年3月16日に、旧3000形SSE車が使われていたあさぎり号の特急への格上げ及び沼津延長により、同じコンセプトであるJR東海371系と共にデビューし、ていました。

20000形は10000形ベースのハイデッカー車であり、小田急初の2階建て車両(スーパーシートの連結)、西伊豆の青い海がイメージされた塗装などが話題となっていました。このようなことが評価され、翌年の1992(H4)年度のブルーリボン賞に輝いていました。

20000形は1991(H3)年に20001Fと20002Fの2編成が導入され、あさぎり運用のほか、箱根特急の運用やたった1編成しかなかったJR東海371系の代走でも活躍していました。

2002(H14)年3月からは、唐木田行きのホームウェイでも活躍するようになったけど、10000形HiSE車と同様に、バリアフリー法に適合しないということがネックで車体更新が出来ないことにより、60000形MSEへの置き換え、新宿〜御殿場間に区間短縮、小田急電鉄の片乗り入れ化を期に、今年3月16日のあさぎり8号をもって、371系のあさぎり号と共に丸21年間の歴史に終止符が打たれていました。

晩年は、平日の新宿発藤沢行きのホームウェイ91号でも盛んに活躍し、江ノ島線への乗り入れも果たしていました。初乗り入れは、2008(H20)年7月24日に60000形MSEに替わって運転された湘南マリン号(唐木田片瀬江ノ島間)、えのしま24号(藤沢→新宿間)で、RSE車の片瀬江ノ島乗り入れ及びえのしま号への充当が最初で最後となっていました。

1990(H2)年7月から8月までの間に、旧3000形SSE車による臨時特急湘南マリンエクスプレス号が唐木田片瀬江ノ島間で運転されていたので、あさぎり用の車両の歴史に共通していました。

3月16日の最終日は、20001Fによるあさぎり運用のみでラストランを迎えていたので、この20002Fは、前日の3月15日の新宿発唐木田行きのホームウェイ75号が最後の運用となっていました。

今月11日のRSE車の箱根湯本への乗り入れ最終列車にもこの20002Fが使われていたし。

このイベントでは、パンタグラフが下げられ、通電されていない状態で展示されていたので、前面無表示の姿を見れたことが貴重でした。

RSEこと20000形20002F(先代のあさぎり型車両)の車内で、普通車(1,2号車)の公開では、普段入ることの出来ない乗務員室から入場し、運転台を撮影するという貴重な体験をすることが出来ました。

こちらの座席も、シートカバーが外されていたのでまた貴重な姿でした。

1,2号車のカーペットは、海がイメージされたものが採用されていたのが特徴でした。

20000形のワンハンドルマスコンは、7000形LSE車や10000形HiSE車と同様の右手操作式で、JR東海371系や、後に登場した30000形EXEにも採用されています。

50000形VSE車や60000形MSE車は、8000形VVVF更新車、新3000形、新4000形と同様の左手操作式のワンハンドルマスコンとなっているし。

20000形の足回りは、7000形LSE車、10000形HiSE車と共通で、起動する時にウィーンと甲高い音がするのが特徴となっています。この音を聴ける車両は7000形LSE車だけとなっています。

10000形で一旦廃止されていたリクライニング機構がこの20000形で復活していたということは嬉しい出来事でした。

JR東海への乗り入れ協定により非連接のボギー車、展望席無しのスタイルと、ロマンスカーの伝統が受け継がれなかったけど、371系と同様に運転台の後部のガラス越しからの展望を楽しめるスペースが守られていました。

雨だったので、そのお陰ですんなり入ることが出来ました。

このイベントでは、スーパーシート車(グリーン車、3,4号車)の公開も行われていました。この座席も座り放題で椅子取りゲーム状態だったけど、何とか座ることや撮影することや、3月11日に新宿から唐木田までスーパーシートに乗った時の余韻に浸ることが出来て良かったです。

今回は人が集まっていた為に思うように撮影出来る環境で無かったので、3月11日に乗って撮影しておいて正解だったと思っています。

2004(H16)年10月23,24日に行われた海老名でのイベント(小田急ファミリー鉄道展)で、20000形RSE車が展示されていたけど、この時にスーパーシートも公開されていたことを覚えています。

3,4号車には、カード式の列車電話(NTTdocomo)があったけど、携帯電話の普及によりビジネス客を含めて利用客がほとんどいない状態となっていました。小田急ロマンスカーで、50000形VSEや60000形MSEで列車電話が廃止されていたのはその為であります。

3月17日に登場した常磐線の新型特急であるE657系も列車電話が当初から無しとなっています。

NTTdocomo(ドコモ)のほうは、携帯電話やスマホの会社というイメージが強いです。

4号車のセミコンパートメント席は、4人用座席(カルテットシート)が3区画あり、50000形VSEサルーン席(4人用セミコンパートメント)と同様に予約の時に指定することが可能となっていました。

今回のセミコンパートメントの見学では、何と、普段使用されることの無い非常口からの降車を体験することが出来たので、セミコンパートメント席よりも非常口を体験することが目的の人が多かったです。

この非常口は、3号車と4号車の1階席の海側に1箇所ずつあるけど、4号車のセミコンパートメント席の見学と共に非常口の体験をやってくれたことは素晴らしいと思います。

この非常口はJR東海371系の3号車と4号車の1階にもありました。

イベントの途中で友人と出会い、最後まで一緒に行動していたけど、このような非常口体験を案内した時に、ご満悦の状態となっていました。

このように、貴重な体験の出来るイベントをやってくれた小田急電鉄に感謝しています。

イベントの後、相模大野で、60000形MSEによるあさぎり・えのしま12号の連結シーンを見たけど、この日の編成は60251+60051Fとなっていました。

梅ヶ丘では、梅ヶ丘の名の由来となった羽根木公園の梅を見ました。羽根木公園は、京王井の頭線東松原駅からも行けます。

代々木上原では、60254+60052Fによるメトロはこね24号を見ました。

秋葉原でのオフ会では、久しぶりに友人たちと出会うことが出来ました。 こちらはリバイバル特急やリバイバル塗装の列車みたいな雰囲気となっていたし。

この日の都電見物はお休みでした。 

次にさゆ、あやちょ、りなぷ〜と握手出来るのはいつになるんだろう?