東京スカイツリー、北綾瀬、都電

この日は、友人たちと押上駅付近にある五十番(王貞治名誉監督のゆかりの中華料理店)に行きました。ここでは、ラーメン、カレーチャーハン、餃子を食べました。

まずは落合駅から九段下乗換えで押上駅まで行き、東京スカイツリータウンにある東京ソラマチを見物しました。

九段下から押上までは、渋谷ヒカリエ(今年4月26日にオープンした渋谷駅東口のニュースポット)のヘッドマーク付きの東急新5000系5104Fによる急行久喜行きに乗りました。

このヘッドマークは、5101Fと5104Fに取り付けられているけど、5104Fは、6ドア車連結第一号となっています。

東急新5000系は、JR東日本E231系ベースの車両として、2002(H14)年5月2日に5101Fの1編成が田園都市線に導入されていました。あれから10年経ったけど、当時は長く続いていた水天宮前折り返しの時代となっていました。翌年の2003(H15)年3月19日の営団地下鉄(現、東京メトロ)半蔵門線の水天宮前〜押上間の延長開業及び東武伊勢崎線(現在の東武スカイツリーライン)との直通運転開始の時に量産化されていました。この5104Fも6ドア車を除いてあの時に導入されていたし。

新5000系及びその派生車である目黒線5080系の初期型、みなとみらい線のY500系の初期型の前面及び側面の表示は、種別が幕で、行先はLEDとなっているのが特徴となっています。

東武グループで、5月22日にスカイツリータウンが開業したのに対し、東急グループでは、4月26日に渋谷ヒカリエが開業したことで話題となっています。

渋谷ヒカリエは、東急文化会館の跡に建設されており、副都心線のコンコースにも直結しています。

同行していた友人たちと一緒に東京スカイツリーの展望台に行くのが夢であります。

五十番(王貞治名誉監督のゆかりの店)では、ラーメン、カレーチャーハン、餃子を食べたけど、さすがに美味しかったです。安くて美味しいのが自慢だと言われているし。

この時に東京スカイツリーを撮影しました。この日は雨の予報が出ていたけど、雨が降らなくて良かったです。

夜になれば東京スカイツリーがライトアップされるので楽しみが増えています。

押上からは、東武スカイツリーラインで北千住まで移動し、千代田線のホームでメトロはこね22号を撮影しました。この時に使われていた編成は、60254+60052Fの組み合わせで、前面のステッカーが付いていなかったです。この日は、60251+60051Fが分割・併合運用(あさぎり号の運用もあり)に使われていたことが分かります。 メトロはこね号のほうは、平日にも運転されるようになったことで話題となっています。こちらは北綾瀬でも回送で撮影することが出来たし。

綾瀬から北綾瀬まで、東京メトロ千代田線の北綾瀬支線の5000系5952Fに乗りました。

北綾瀬支線の車両は、6000系第一次試作車(6000ハイフン、6000-1F)と元東西線の5000系アルミ試作車(5951,5952F)の3編成となっており、日中は1編成のみの運用となっているので、どの編成に当たるか運次第となっています。

特に6000ハイフンは1編成しかないので激レアだと思います。導入当時はサイリスタチョッパ装置が試験的に導入されていたけど、1979(S54)年12月20日に開業した北綾瀬支線に転用された時に5000系と同じ足回り品(抵抗制御)に改造されていました。

営団地下鉄東京メトロ5000系は、1964(S39)年12月23日の高田馬場〜九段下間の開業(当時は北綾瀬支線と同様の3両編成だった)から、今から5年前の2007(H19)年3月まで東西線で活躍し、営団地下鉄東京メトロ東西線の顔として活躍していました。

5000系は、日比谷線で活躍していた3000系と同様のスキンステンレス車が基本で、アルミ試作車は、1966(S41)年に5950F、1967(S42)年に5951Fと5952Fの7両3編成21両が東西線に導入されていました。

1969(S44)年12月20日に千代田線の北千住〜大手町間が開業した時に、6000系の量産化までの繋ぎとして、5000系(全てスキンステンレス製)が導入され、1981(S56)年まで本線で活躍していました。編成は開業当時は3両、翌年の1970(S45)年12月には5両、1971(S46)年3月20日の大手町〜霞ヶ関間の開業で全て10両化され、5000系は5+5(後に3+7)の10両編成となっていました。 6000系の量産車も同時期に登場していたし。

千代田線を走っていた頃の5000系は、国鉄(現、JR東日本)常磐緩行線我孫子への乗り入れが行われていたけど、6000系の第二次試作車である6101Fと同様に小田急線への乗り入れが行われていなかったです。

1981(S56)年には、6000系の4次車の導入により、北綾瀬支線の3連2本以外の編成が東西線に転用されていました。

1989(H元)年から1994(H6)年に掛けて冷房改造されたと同時に抵抗制御から界磁添加励磁制御に変更されたけど、北綾瀬支線の5000系は、地上線のみでの運用であることから抵抗制御のままで冷房改造されていました。

東西線で7両編成から10両編成への組み換えが行われていた時、5950F(1966年に導入されたアルミ車)は、10両固定編成、5951Fと5952F(1967年に導入されたアルミ車)は5+5の10両編成とされ、余剰となった1両の中間車(5453号車、晩年はステンレス製の5000系に組み込まれていた)が解体された時発生したアルミニウムが、1994(H6)年に導入された05系の05-124F(アルミリサイクルカー)にリサイクルされていました。

5000系のアルミ試作車は、東西線乗り入れで活躍していた国鉄→JRの301系(103系ベースで製造されたアルミ車)と同期となっていました。

56両製造されていたJRの301系のうち、クモハ300-4号車が保存前提により、大宮総合車両センターで保管されています。

JR東日本で廃車となった在来線車両の解体は、以前大宮総合車両センター(旧大宮工場)や高崎総合訓練センター(群馬県桐生市、下新田信号場に隣接)でも行われていたけど、現在は長野総合車両センターがメインとなっています。 JR301系の残りの車両は、大宮で解体されていました。

5950Fは、2007(H19)年2月まで東西線で活躍し、5951Fと5952Fは、1999(H11)年12月の千代田線全線のCS-ATC装置の更新及び北綾瀬支線のワンマン運転対応化により、3両2編成に分割、余剰となった中間車4両が廃車の上で北綾瀬支線に転用されていました。

北綾瀬支線で活躍していたスキンステンレス製の2本のうちの1本は2005(H17)年まで新木場の車両基地で入れ換え車で活躍していました。

東西線の5809Fは、2007(H19)年3月17日のCS-ATC化の前日にラストランを迎えた時まで活躍していた編成で、ラストランの時にヘッドマークが付いていました。同年1月27日に深川検車区で行われたイベントでは、スキンステンレス車とアルミ車の並びも披露されていたことを覚えています。

5000系の非冷房車の一部は、東葉高速鉄道に譲渡され、冷房化、前面スタイル改造、界磁添加励磁制御への変更などの改造により1000系として活躍していました。1000系は、東京メトロ元年である2004(H16)年に導入された05系の最終増備車に準じた2000系に置き換えられ、2006(H18)年12月に東京メトロ5000系より先にラストランを迎えていました。

最後まで東西線に残った5000系は、05系の新造ではなく、副都心線(現在は有楽町線にも導入されている)のホームドアに対応出来ないという理由で有楽町線を追われた07系によって置き換えられていました。

5000系のスキンステンレス車のうち、後期に運用離脱された編成は、元東葉高速鉄道の1000系と同様にインドネシアに輸出されています。

北綾瀬支線の5000系に乗れば、営団地下鉄東京メトロ東西線で良く乗っていた頃を思い出します。

かつて千代田線に5000系が走っていたということは知らない人が多いです。

北綾瀬支線の車両は今後の動向が注目されています。

町屋からは三ノ輪橋まで歩いたけど、ここでお祭りを見ることが出来ました。三ノ輪橋では、バラをバックに都電を撮影したけど、9001号車(臙脂色のにょん電)と都電バラ号との組み合わせで撮影することは無かったです。

三ノ輪橋から荒川車庫前までは、9001号車(臙脂色のにょん電)に乗り、荒川車庫前では視察をしました。この日は9002号車(紺色のにょん電)の後に9001号車が来ていたのでにょん電同士の組み合わせとなっていました。こちらはかにょんこの福田花音氏と℃-uteハギティこと萩原舞氏の組み合わせに例えたくなります。

花100形は、中央の部分にブルーシートが掛かっています。

飛鳥山で撮影した後、王子駅前から早稲田まで、7010号車に乗って帰りました。こちらは大起エンゼルヘルプという介護サービス会社のラッピング車となっています。こちらは7505号車から引き継がれたラッピングとなっています。

この日のスマちゃん(あやちょ、かにょん、かななん、タケちゃん、りなぷ〜、めいめい)は、宮城県仙台市Zepp Sendaiで行われていたGIRLS POP expectation at サヨナラZepp Sendaiに出演していました。

このイベントには、スマイレージのほか、ぱすぽ☆、Dorothy Little Happyも出演していたし。

Zepp Sendaiは、2000(H12)年8月1日に仙台駅東口に開設され、今年7月1日に行われるイベント「LAST ZEPP SENDAI」をもって閉鎖されてしまうので12年間の幕を閉じることになります。

大阪の咲洲コスモスクエア地区にあったZepp Osakaのほうは、今年4月8日に閉鎖となり、4月27日に難波地区に移転の上でZepp Namba(OSAKA)として再オープンしていました。

Zepp Osakaのほうは、2009(H21)年3月に行われていたハロテンパーティ2で行ったことがあり、さゆと握手したという思い出がありました。 自分(しゃもじ)の大阪での握手会参戦は非常に珍しかったです。

スマイレージのメンバーは仙台で本場の牛タンを食べていたことが話題となっています。

このライブイベントでしゃもじ欠席となってしまうことで黄色い都電の8810号車(黄色いあや電、りなちょ)、7022号車(元祖黄色い都電)が荒川車庫で、黄色い世田谷線の306F(ももち番)が上町車庫でそれぞれ寝ていることに例えたくなるよ!

最近はTHE ポッシボーのポッシヲタ活動が復活しているので、スマイレージに対する運勢が低下してしまうことが懸念されています。

早くモーニング娘。のメンバー(特にさゆ)と握手したいよ!

次にスマイレージのメンバー(あやちょ、かにょん、かななん、タケちゃん、りなぷ〜、めいめい)と握手出来るのはいつになるんだろう?