関西遠征1日目

この日は関西遠征2日目で、京阪の追っ掛けがメインとなっていました。

ルート 新宿駅新南口〜大阪駅バスターミナル…大阪〜京橋〜枚方市淀屋橋…阪急梅田〜河原町祇園四条出町柳丹波橋八幡市〜男山山上〜八幡市中書島〜京阪宇治〜中書島出町柳枚方市〜私市〜枚方市〜京橋〜中之島天満橋〜北浜〜淀屋橋〜京橋〜中之島

まずは大阪から京橋まで大阪環状線で移動したけど、この時に225系に初めて乗ることが出来ました。

京橋から枚方市までは、新3000系による特急で移動し、ここで友人のひっぐ〜、ハタボー、せんきゅう各氏と出会い、枚方市のマックで雑談しました。現地の友人のうち、ハタボー氏は1年ぶりの再会、高槻市在住のせんきゅう氏とは、初対面でした。ちょうど高槻市枚方市が淀川を隔てて隣合っているという縁もあります。

京阪の枚方市駅で、旧3000系こと8531Fを撮影しました。こちらは今月29日から更新前と同等のスタイル(赤地の鳩マーク)に変更される為に現行の姿が24日で見納めとなったので撮影出来て良かったです。

京阪の枚方市駅で、新塗装と旧塗装の混結編成である2600系2605Fによる普通中之島行きを撮影しました。

こちらは7両編成のうち、京都(出町柳)寄りの3両が旧塗装、大阪(淀屋橋中之島)寄りの5両が新塗装の混結編成で、今回は連結面も撮影することが出来て良かったです。

京阪2600系は、1981(S56)年に新造された30番台を除いて、2000系(スーパーカー)の車体が流用されているので、製造されてから50年以上経っています。

今年7月までは、宇治線でも活躍していたけど、13000系に置き換えられたことで定期運用から離脱され、本線及び交野線直通のおりひめ、ひこぼし号で最後の活躍をしています。

こちらは今後新塗装化されるのか、そのまま廃車となるのか気になります。他には旧塗装の1000系や2400系も撮影しました。

この後ハタボー、ひっぐ〜両氏と3人で新3000系による特急で淀屋橋まで行き、淀屋橋から阪急の梅田駅まで歩きました。

京阪新3000系のほうは、昨年5月の改正まで、中之島線直通の快速急行メインで使われていたけど、特急への格上げにより、淀屋橋へも頻繁に乗り入れるようになっています。

阪急梅田から河原町まで、阪急6300系6354Fによる特別電車、京とれいんに乗りました。

京とれいんは、昨年6354Fを種車に改造された6両編成で、土曜・休日に梅田〜河原町間の快速特急(途中、十三、淡路、桂、烏丸に停車)の4往復に使われ、乗った時から京都に行った雰囲気を味わうことが出来ます。

3,4号車には、京風のボックスシートがあり、ムード満点であります。

こちらも今回の関西遠征の目的でもありました。

河原町に到着した後、四条大橋を渡り、駅前の天下一品で昼食を取った後、祇園四条から出町柳まで移動しました。

京阪の男山ケーブルに乗ったのは、今回が初めてでした。

中書島から出町柳まで、京阪の旧3000系こと8531Fに乗り、出町柳駅で撮影しました。

こちらはご存知の通り、更新前に準じたスタイルに復元される為に、昨日(9月24日)をもって運用から離脱されていました。

この現行スタイルの8531Fを出町柳駅で撮影したのがこの日で最初で最後となりました。

京阪の三条〜出町柳間(京阪鴨東線)は、今から23年前の1989(H元)年10月5日に開業した地下線で、開業当時の特急用車は8000系が1編成のみで他は全て旧3000系となっていました。

旧3000系は、1987(S62)年5月24日に東福寺〜三条間が地下化される前の鴨川のほとりを走っていた頃の京阪特急の面影の残る車両となっています。

京阪特急でこの8531Fに当たれば幸運だと思います。

旧3000系が全盛期だった頃は、京橋〜七条間ノンストップが当たり前で、枚方市駅にも止まるようになったのは、1997(H9)年3月24日の平日朝の淀屋橋方向(下り)のことで、2003(H15)年9月6日の改正で、樟葉駅と共に特急が終日停車するようになっています。

中書島丹波橋の両駅の特急の終日停車化は、2000(H12)年7月1日のことで、中書島駅に関しては、1993(H5)年2月1日から平日朝の淀屋橋方向(下り)のみ特急が停車するようになっていました。

9月29日に中之島から出町柳まで運転される旧3000系クラシックタイプ竣工記念列車は、全盛期と同様の京橋→七条間ノンストップ運転となっています。

旧3000系は、今から41年前の1971(S46)年7月1日に3両編成4本が導入されていたけど、夏場を中心に当時非冷房車だった1900系を見送り、冷房車の旧3000系に人気が集中していたこともありました。

1900系は3000系の導入により、3ドアロングシート化され、2008(H20)年10月まで使われていたし。

平成に入ってからは、出町柳への延長(鴨東線の開通)と共に8000系がデビューし、既存の3000系に8000系の中間車(後に8000系に連結)が導入されてからはやはり8000系に人気が集中し、3505F(現、8531F)の1編成を残して8000系に置き換えられていました。

廃車となった旧3000系の先頭車のうち8編成は10030形として富山地方鉄道(富山地鉄)に、1編成は3000系として大井川鐵道に京阪時代の塗装のまま譲渡され、後に富山地方鉄道でオリジナル塗装(黄色と緑色のカボチャ塗装)に変更されていたけど、今年4月にはそのうちの10033F(旧京阪3518F)が京阪特急色に変更されていました。

京阪では3505F→8531Fが残されていたことで本当に良かったと思っています。

京阪の淀屋橋から京橋までも8531Fに乗りました。

京阪の淀屋橋駅は、1963(S38)年4月16日に、天満橋駅の地下化及び淀屋橋への延長により開業した駅で、1面3線で4番ホームまであるという特殊な構造となっています。

北浜寄りの1,2番線(ラッシュ時しか使用されていない)のうち、1番線は、線路が4番線と共用となっているので、4番線への出入の時に通過サイン音が鳴るのはその為であります。

1971(S46)年7月1日に旧3000系がデビューした当時は、3連2編成併結での6両編成、早朝・深夜は3両編成で使われ、テレビは三条寄りの先頭車にありました。当時は地上駅時代の三条駅で分割・併合作業が行われていたこともあったし。

富山地方鉄道に譲渡された旧3000系(富山地鉄10030形)の10033Fは、京阪特急塗装だけでなく、前面の鳩マーク(特急の文字が入っていない)や連結面の貫通扉上への液晶テレビの設置によってリバイバルされています。

中之島に到着した後、前回と同じホテル(湯元花乃井スーパーホテル大阪天然温泉)で1泊しました。

この日は、山口県周南市文化会館でさゆの凱旋公演が行われていました。

今年は秋分の日が23日ではなく、22日にずれ込んでいたので、土曜日と祝日が被り、休み明けの給料日となってしまったよ!

そのせいで叡山電車嵐電に足を伸ばせなかったんだよ!

自分の参戦しない握手会が行われている時や、握手会のない公演の終了後にヲタが一斉に出てくるシーンを見ていると、京阪電車の通過サイン音(通称ソラソラ音)が頭の中をよぎってしまうよ)!そんな時には淀屋橋駅4番線の入線または発車シーンの動画を再生したくなるよ!

本当に凶方位は邪魔なんだよ!TJ氏にとっても凶方位には100%勝ち目が無いと言っていたし!凶方位でお目当ての列車などに干されてばかりだしその見えない壁にぶち当たってばかりだよ!
凶方位はキングモンスターなどのHPが莫大な敵みたいに強すぎるよ!
この時に人に怒られやすくなることや呉越同舟になりやすくなること、干されてばかりいることが続いているよ!

本当に凶方位には逆らえない状態だよ!

来年になって方位が変わり、○○楽しい吉方位、おわり→次回、○○苦しい凶方位、お楽しみにということで凶方位が明けるまでの最長1年間の辛抱となってしまうのは嫌だよ!

この枚方市のクボタの事業所と尼崎市の某所でTHE ポッシボーのイベント(尼崎では握手会あり)が行われていたけどどちらも京阪や阪急の追っ掛け重視により行かれなかったよ!本当に関西遠征をするしゃもじの匂いを嗅ぎ付けていたに違いないよ!

この日に晴海埠頭で行われた都バスのイベントに行かれなくなってしまったのがショックだよ!このイベントにはみんくるのほか都電のマスコットキャラクターであるとあらんも出てきたし、みんくるととあらんのラッピングバスも展示されていたというのにゅ!あー!

この日は、万博記念公園大阪府)、山田(大阪府)、千里中央桃山台、緑地公園、江坂(北大阪急行電鉄マスター)、中津(大阪市営)、天満、扇町大阪府)、桜ノ宮、都島、中津(阪急)、十三、南方(大阪府)、西中島南方崇禅寺柴島、淡路、上新庄、相川、正雀、岸辺、沢良宜、茨木市総持寺、上牧(大阪府)、水無瀬、大山崎、山崎(京都府)、長岡天神、西向日、向日町、東向日、桂、西京極、西院(阪急)、烏丸、四条(京都市営)の各駅のekiShスタンプを集めました。

次にさゆと握手出来るのはいつになるんだろう?