横瀬から横浜へ

この日(9月30日)は、池袋から横瀬まで、西武301系(N101系の8両固定バージョン)の303Fによる臨時電車で移動しました。

こちらは横瀬車両基地で行われた西武トレインフェスティバルに合わせて運転された列車で、池袋を出た後、通常の快速急行と同様に、石神井公園ひばりヶ丘、所沢、小手指入間市、飯能と飯能より先の各駅に停車していました。

横瀬の表示が入っていないので、快速急行、臨時の表示で運転されていました。

ヘッドマークは、100周年記念で、30000系がイメージされていました。

横瀬に到着後、ツートンカラーの271Fと共に撮影会に使われていました。

西武N101系や301系は、多摩湖線西武多摩川線用のワンマン改造車を除いて今年度中(遅くとも来年3月15日の東横線との直通運転開始前日まで)に全廃される予定なので撮影・乗車することが出来て良かったです。

この303Fは、295Fと共に、今年6月30日の改正まで、新宿線系統に配置されていました。

前者の303Fについては、昨年11月の38111Fの導入により廃車となった311Fの替わりに新宿線に入っていたし。

西武トレインフェスティバルは、台風接近の影響により、予定よりも早く13時に終了していたけど、303Fによる帰りの飯能行きの臨時電車は予定通りに運転されていたことを聞きました。

西武トレインフェスティバルで展示されていたツートンカラーのN101系である271Fは、南入曽でのイベントの時と同様に、旧幕が披露され、快速急行本川越の表示を撮影することが出来ました。

西武303Fでは、拝島快速小川行きの表示も披露されていました。

拝島快速は、西武新宿線の西武新宿〜本川越間の快速急行と同様に、今年6月29日に廃止された列車で、花小金井、萩山、小川、東大和市駅通過となっていました。

小川駅は通過となっていたので、拝島快速小川の表示は有り得ない表示となっていました。

N101系や301系の表示は、種別と行先が独立した手回し式の表示で自由度が高いので、このような表示が可能となっていました。

横瀬行きの時の快速急行臨時の組み合わせもそうだったし。

今年度中(遅くとも来年3月16日の改正まで)に多摩湖線多摩川線用のワンマン改造車(電動式に改良済)を除いたN101系や301系が全廃となるので、手回し風景も見納めとなってしまいます。

横瀬のイベント(西武トレインフェスティバル)で撮影した5000系初代レッドアロー号の先頭車であるクハ5503号車。

5000系は、1969(S44)年10月14日に西武秩父線(吾野西武秩父間)の開業と共に西武初の有料特急専用車両としてデビューし、1995(H7)年に引退するまで、アイボリーに赤帯の塗装のレッドアロー号として親しまれていました。

1969(S44)年にデビューした当時は、5501,5503,5505Fの3編成で、当時は4両編成、多客期は4+4の8両編成で運転されていました。

これらの3編成は、日立製作所製で、西武鉄道初の外部発注車として話題になっていました。当時は武蔵野線が開業していなかったので、国分寺駅から搬入されていたし。

1993(H5)年12月6日には、5000系の置き換え用である10000系NRAが新宿線の西武新宿〜本川越間に小江戸号として導入され、その前日の12月5日をもって、5000系によるおくちちぶ号(西武新宿〜西武秩父間)及び間合い運用のむさし号(所沢→西武新宿、西武新宿→本川越間)が廃止され、新宿線から撤退していました。

翌年の1994(H6)年10月に10000系が池袋線にも導入されたことに伴い、5509Fと5511Fから廃車となり、1995(H7)年3月に5501Fが運用離脱され、6両のうちの3両が16010形として富山地方鉄道に譲渡されていました。

同年10月31日には、10000系の追加導入により定期運用から離脱され、5505Fは全て解体、5507Fは5501Fと同様に6両のうちの3両が富山地方鉄道に譲渡されていました。

5503Fは、11月に小さな旅号として新宿線で運転されて新宿線への復活を果たした後、12月3日の秩父夜祭輸送の臨時特急の1往復の運用をもって26年間の活躍に終止符が打たれていました。

最後まで活躍していた5503Fのうち、5503号車は、丸ごと1両、5504号車はカットボディで静態保存され、横瀬での西武トレインフェスティバルで一般公開されています。

5503号車は、1999(H11)年にデビュー当時の愛称表示が復元されているけど、残念ながらその状態での撮影会が行われていなかったです。

この赤帯を見ていると、まさにレッドアローと言った感じがしてきます。
5000系初代レッドアロー号の先頭車であるクハ5504号車のカットボディは、今から17年前の1995(H7)年12月まで活躍していた5503Fのうちの1両で、デビュー当時の愛称表示板が復元された5503号車に対し、晩年の姿のままとなっています。

今回は裏の部分も撮影することが出来たので、乗務員室の扉の横のくず物入れも写っていました。

画像でお分かりの通り、乗務員室の扉及びその横に窓がなかったので、前面展望を楽しむことの出来ない車両となっていました。

10000系も残念ながら運転台後部に窓がないので前面展望を楽しむことが出来ないです。
5504号車のカットボディは、今から3年前の2009(H21)年に西武秩父線開業40周年記念イベントの一環として、西武秩父駅にある西武秩父仲見世通りで特別展示されていたこともありました。

このように、西武5000系の丸ごと1両の先頭車と、カットボディが展示されていることは、東武博物館にある5700系や、鉄道博物館にある0系新幹線と同じような関係となっています。

西武旧101系の保存車両であるクハ1224号車です。

旧101系は、1969(S44)年10月14日の西武秩父線の開業の時に、701系や801系ベースの車体に、同時期に登場した5000系レッドアロー号と共通の急勾配対策の強力な足回り品が装備された車両としてデビューし、1976(S51)年まで4連50編成の100両と6連13編成の78両、計278両が製造されていました。

当時は701系列と併結運転が不可能だった為に区別することによって、黄色にベージュ色のツートンカラーが採用され、1979(S54)年に登場したN101系、1983(S58)に登場した3000系にも踏襲されていました。

デビュー当初は非冷房車で、1972(S47)年には分散型クーラーの試作冷房車が導入され、翌年の1973(S48)年からは集中型クーラーによって本格的に冷房改造されていたし。

1988(S63)年からは試作冷房車及び40番台の車両の一部を皮切りに廃車が開始され、初期の廃車分の足回り品が4000系、9000系、10000系に流用されていました。9000系に関しては、全編成がVVVF化されています。

1996(H8)年からは183Fを皮切りに黄色1色に変更され、N101系や3000系も変更されていたけど、2004(H16)年12月19日のワンマン非対応車並びに池袋線新宿線系統からの引退の時に晩年池袋線系統で活躍していた193Fと197Fがツートンカラーに戻され、同年10月3日に雨の中で行われた横瀬での西武トレインフェスティバルでお披露目され、その最終日である12月19日には西武園→東村山→本川越→所沢→西武球場前→所沢→飯能→西武秩父間で団臨が運転され、西武球場前駅では展示会、狭山線での特別運転が行われていました。西武秩父駅到着後には、横瀬車両基地まで回送され、解体されていたし。

ワンマン改造された旧101系は、1976(S51)年に製造された217〜225Fが選ばれ、西武多摩川線ワンマン運転並びに701系や401系の置き換え用として入線していたけど、225Fに関しては、多摩湖線(国分寺〜萩山間)のN101系のワンマン改造車のリニューアル化に伴う予備車として、2008(H20)年2月まで、多摩湖線で活躍し、本線系統を走れる最後の旧101系として話題となり、南入曽でのイベントで展示されていました。

その最終日である2月3日には、ミステリートレインとして運転されるはずだったけど、大雪により中止となり、そのまま横瀬まで回送されたという不運の結末となっていました。

西武多摩川線に残った217,219,221,223Fは、JR中央線と同時に行われた武蔵境駅の高架化工事により、一時的にJRの線路と切り離されていた為に封じ込められていたので、安泰の状態となっていました。

一昨年(2010(H22)年)になってからは、武蔵境駅の高架化工事の進捗により再びJR線と線路が結ばれたことで、白いN101系のワンマン更新車に置き換えられ、最後まで残っていた223Fは、同年11月9日をもってさよなら運転がさよなら黄色い電車のヘッドマーク付きで行われていました。

これらの4編成は、幻となった本線系統でのミステリー列車に使われることもなく横瀬まで回送され、クハ1224号車を除いて全て解体されていました。

221Fは、同年10月3日に横瀬でのトレインフェスティバルで解体前の最後の展示が行われていたし。

さよなら運転に使われていた223Fのうち、クハ1224号車(是政寄りに連結されていた先頭車)のみ解体を免れ、昨年10月2日の横瀬でのトレインフェスティバルでツートンカラーに戻された状態で静態保存されています。

今年は、5000系レッドアロー号のクハ5503号車と並べられた上での展示となったので、開業当時の西武秩父線を彷彿とさせる組み合わせとなっていました。

その他の旧101系の保存車は、東村山市美住町のグリーンタウン美住(旧久米川団地、最寄り駅は多摩湖線八坂駅)にある久米川電車図書館(149Fの池袋寄りの先頭車だったクハ1150号車が丸ごと1両使われた電車図書館)が挙げられています。

351系の先頭車であるモハ505号車(クモハ355号車)です。

351系は、1954(S29)年から1956(S31)年までに17m車体の旧501系として導入され、後に501系の20m車への統一により351系と改番されていました。

導入当時は池袋線系統や新宿線系統でも活躍していたけど、1990(H2)年6月の引退まで、351,353Fとこの355Fの3両3編成9両が、国分寺駅のホームが短く、大型車の入ることが出来なかった多摩湖線国分寺〜萩山間専用車として活躍していました。

西武最後の非冷房、吊り掛けモーター車、17m車の3両編成、赤電塗装という条件で最後の花道を飾った車両として有名で、かつての国鉄80系(湘南型電車)と同様の前面の2枚窓も印象的でした。

1988(S63)年に萩山から国分寺まで355Fに乗ったのが最初で最後だったけど、吊り掛けモーターが魅力的でした。

今から22年前の1990(H2)年6月には、多摩湖線国分寺駅の改良工事(20m4両編成対応化)の完成により引退し、351Fと353Fはすぐに解体され、355Fは保存前提で玉川上水車両基地で保管されていました。

1996(H8)年になってからはクモハ355号車だけが正式な保存の為に横瀬車両基地に移り、残りの2両のサハ1336号車とクモハ356号車が解体されていました。

1998(H10)年10月4日に横瀬で行われた西武トレインフェスティバルからは、デビュー当初の黄色と茶色の旧塗装(カステラ色)、サボ式の行先標への復元、側面の車番表示のモハ505号車(登場登場の車番)への書き換えが行われていました。

このように、大切に保存されることは良いことだと思います。

、昨年11月に廃車となった301系311Fの先頭車である1311号車と1312号車が方向幕や種別幕が抜かれた状態で展示されていました。

311Fは、今から4年前の2008(H20)年に廃車となった313F(1984(S59)年に導入された101系列のラストナンバー)と同様に、晩年新宿線系統で活躍していた編成で、昨年11月に、新宿線に38111Fが導入されたことにより運用離脱され、同年12月3日の秩父夜祭り輸送を最後に廃車となっていました。

中間車は横瀬まで回送された後すぐに解体されたけど、展示された先頭車の動向が気になります。

311Fと313Fは1983(S58)年度に3000系と併行して導入された編成となっていました。

当初の計画では、3000系5編成40両導入される予定だったけど、2編成が301系に変更され、3000系3編成24両、301系2編成16両導入されていました。

これらの301系は、3000系と同じ3ドアだったけど、抵抗制御車で、N101系の置き換えが先に進められているので、3000系より先に廃車の運命を辿った不運の編成となっていました。

特設ステージで行われた史絵.さんのトークショーは、311Fの先頭車がバックで行われていたのでより見応えがありました。

横瀬でのイベントを後にして、横瀬から飯能、池袋、渋谷乗り継ぎで横浜まで行き、横浜BLITZでのスマイレージの公演「ちょいかわ番長」に行きました。

この時に新曲である「寒いね。」をいち早く聴くことが出来て良かったです。

横浜BLITZスマイレージの公演の夜の部に参戦したのは良いけど、台風17号の接近により東急東横線が止まってしまい、倒横線状態となってしまったよ!振替乗車で東海道線も止まってしまったのでまた足止めを食らってしまったよ!横浜で待たされていた東海道線は川崎まで運転され、川崎から京浜東北線、山手線を乗り継いで帰れたから難を逃れたけど、2007(H19)年1月7日の水戸線撮影ツアーの帰りに強風により珍宝僧氏たちがフレッシュひたち号の車内に閉じ込められていたことを思い出してしまったよ!自分は友部駅で解散後に友人と一緒に水戸線で小山まで戻り、小山からの宇都宮線がダメだったところ、東北新幹線による振替で上野まで出ていたので難を逃れていたよ!

このことで上越新幹線E1系元祖Maxの乗車や撮影を蹴って都電の撮影に拘ったことが裏目に出てしまったよ!

そのせいで東横線に貸し出されているメトロ7116Fを撮影出来なかったんだよ!

本当に晴れの魔金や雨の土休日は自分にとって鬼門だよ!

スマイレージのリーダーのあやちょこと和田彩花氏が23日の大阪公演終了後に右足首の痛みを訴え、足の捻挫と靭帯損傷と診断されたことにより、明日、明後日の横浜BLITZでの公演、来月7日の広島、8日の福岡での公演でダンスパフォーマンスが出来ずに座った上での歌やMCでの出演となってしまったので、ゆうかりんこと前田憂佳氏が抜けた後録なことがないよ!これに伴う払い戻しはしないという糞事務所クオリティはもううんざりだよ!

この日に行われたチアチアのバスツアーでスマイレージの公演に行っていた絡みでしゃもじ欠席となってしまったことで、幸せの黄色い都電8810号車(黄色いあや電、りなちょ)が荒川車庫で寝ていたことに例えたくなるよ!

自分の参戦しない握手会が行われている時や、握手会のない公演の終演後にヲタが一斉に出てくるシーンを見ていると、京阪電車の通過サイン音(通称ソラソラ音)が頭の中をよぎってしまうよ)!そんな時には淀屋橋駅4番線での京阪特急の入線または発車シーンの動画を再生したくなるよ!

都電では、先月29日と30日に都電9002号車(青色のにょん電)による都電ハロウィン号と交通安全運動の旗との組み合わせを撮影出来ずにまたしてもにょん電の撮影で失敗し、撮ウェーとなってしまったよ!

本当に、肝心な時の都電の撮影で失敗し、撮ウェーになってばかりだよ!

この日は、仙台市民会館モーニング娘。の公演@あゆみんの凱旋公演が行われていたけど、77T氏は台風接近にも関わらず参戦していました。仙台市民会館は3年前に行ったことがあります。

次にさゆやあやちょと握手出来るのはいつになるんだろう?