上越新幹線開業30周年

この日(11月15日)は、上越新幹線の大宮〜新潟間が開業してから30年経ちました。

東北新幹線が開業20周年を迎えていた2002(H14)年6月23日には、上野→大宮間で、田町区と新前橋区(当時)の185系によって新幹線リレー号があおばリレー号として臨時の表示でリバイバル運転され、大宮で、200系12両編成による想い出のあおば号(大宮→仙台間)に接続していました。

リバイバルされた新幹線リレー号は、グリーン車を含めて全車自由席で、想い出のあおば号の指定券が無くても乗れたので、自分は想い出のあおば号に乗っていた友人のF都市氏と一緒に上野から大宮まで田町区の車両の普通車に乗ったことを覚えています。

グリーン車ホームライナーと同様に普通車扱いで開放されていたことによりグリーン車から座席が埋まっていました。

あの時は残念ながらグリーン車に乗ることが出来なかったので、F都市氏と共に尾久のイベントでリベンジすることが出来て良かったです。

想い出のあおば号は、200系の12両編成(F編成)が使われ、同年5月末をもって営業が停止された9号車のビュッフェの復活営業も行われ、200系が当たり前だった頃の1991(H3)年6月20日の東京延長の時まで使われていたふるさとチャイムもリバイバルされていました。

同時に思い出のやまびこ号が上野〜盛岡間で青森運転所(現、青森車両センター)所属の485系6両編成(現在は新潟車両センター所属でムーンライトえちごに使われている)によって運転されていました。

あれから10年経った今年6月23日には、200系リニューアル車のリバイバル塗装のK47編成による東北新幹線30周年記念号(やまびこ235号)が大宮→盛岡間で運転されていたけど、リレー号は運転されていなかったです。

昨年11月18日をもって200系が東北新幹線での定期運用から撤退していたので、東北新幹線に200系が帰ってきたことになりました。

上越新幹線に残る200系は、K47編成を含めて全てリニューアル化されたK編成(10両編成でかつて山形新幹線秋田新幹線との併結列車に使われていた編成)となっているけど、来年3月のE5系はやぶさ号の増発や秋田新幹線E6系スーパーこまち号の登場によって先は長くない状態となっています。

来年1月には上越新幹線E2系がカムバックし、200系が置き換えられていくことになります。200系新幹線のさよなら運転の時には、是非旧塗装のK47編成が使われて欲しいと思っています。

今から4年前の2008(H20)年11月23日に青森県青森駅前にある青函連絡船メモリアルシップに行った時に見た、船内での保存車であるキハ82 101号車は、今から47年前の1965(S40)年に製造された車両で、函館運転所に配置され、北斗号や北海号(山線経由)などで北の大地を走り抜けていたけど、国鉄の分割・民営化直前の1987(S62)年2月に廃車となり、翌年の1988(S63)年3月の青函連絡船の廃止により、函館にある摩周丸と共に博物館船に改造された八甲田丸の船内で保存されるようになっています。

その船内での展示スペースには、実際に使われていた鉄道車両搭載スペースで、キハ82のほか、DD16 31号機(ディーゼル機関車)や貨車(郵便荷物車、車掌車、控車)が展示されています。

今から4年前は、東北新幹線が八戸までの時代だったので、E751系つがる号(現在は秋田、大館〜青森間の4両編成に変更されている)で青森入りしていました。

キハ82 101号車は、照明が付いた状態で展示され、側面には国鉄時代に活躍していた証であるJNRマークが付いています。

キハ82形やキハ181形の前面の赤帯は、翼のような形をしているので、かつてディーゼル特急つばさ号(上野〜秋田間に使われていたことの縁があると思われます。

昨年3月14日に名古屋の金城ふ頭に開設されたリニア・鉄道館には、キハ82 73号車とキハ181-1号車が保存されているので往年のディーゼル特急を一同に見ることが出来ます。

北海道を走っていたオリジナルのキハ82の中には、JR北海道に継承された車両も含まれ、今から20年前の1992(H4)年まで団臨用として使われていました。JR東海南紀号を最後にキハ82 73号車を含めたキハ82形の定期運用が終了したのもこの1992(H4)年のことでした。

北海道でキハ82形が保存されている場所は、三笠市の三笠鉄道記念館クロフォード公園(旧幌内線三笠駅跡)に6両、小樽市小樽市総合博物館(旧小樽交通記念館)にキハ82 1号車と食堂車2両の計3両がそれぞれ静態保存されています。

幌内線は、岩見沢と幾春別を結んでいた路線で、JR北海道に移管された1987(S62)年7月に廃止され、JR北海道での赤字ローカル線廃止第一号となっていました。

国鉄末期からJR初期に掛けて、北海道で赤字ローカル線が相次いで廃止されていたけど、幌内線の廃止もその一環でありました。

そのうちの帯広と広尾を結んでいた広尾線には、愛国駅と幸福駅があったけど、愛国から幸福までの乗車券が愛の国から幸福へのキャッチフレーズによりブームとなり、廃止後も撤去されずに観光案内所として残されており、幸福駅跡には、かつて北海道各地で活躍していたキハ22形DCが静態保存されています。

江差線木古内江差間も残念ながら北海道新幹線の整備を期に廃止が濃厚となっています。

秋の火災予防運動の最終日である一昨日(11月15日)は、高戸橋の撮影ポイントで、幸せの黄色い都電、黄色いあや電、りなちょこと8810号車の火災予防運動の旗付きの姿を撮影しました。

火災予防運動は、春(3月)と秋(11月)の年に2回行われ、春と秋の交通安全運動の時と同様に、都電に旗が付くことで、都電撮影の楽しみが増えることになります。

この黄色い8800形はたった1両しかなく、これを見かけると幸せになるという都市伝説があると、都営地下鉄の駅などで配布されているTOKYO IKOKAR!(南海電鉄のOSAKA IKOKAR!との共同発行)のパンフレットにも書いてあります。

都営交通と南海電鉄のコラボレーションは、今から5年前から行われています。


高戸橋の撮影ポイント(新目白通りと交差する部分)での信号待ちで、停止位置よりも手前で止めてくれる場合がたまにあるので、シャッターチャンスに応えてくれています。

次にさゆやあやちょと握手出来るのはいつになるんだろう?