秩父鉄道1000系

この日(12月8日)は、熊谷から三峰口まで、秩父鉄道1000系(元国鉄→JR101系)の1007Fのチョコバナナ塗装(黄色と茶色)で1往復しました。こちらはこの日をもってラストランを迎えていたので、乗ることや撮影することが出来て良かったです。

秩父鉄道の1000系は、吊り掛けモーター車だった100形や800形(元小田急1800形)の置き換え用として、1986(S61)年から1989(H元)年に掛けて、旧国鉄→JR101系が譲受・改造されて導入された車両で、12編成導入されていました。この1007Fは、1987(S62)年4月1日(奇しくも国鉄からJRに転換された日)に旧国鉄101系のクモハ100-130,モハ101-112,クハ101-66号車の3両から改造された車両で、デビュー当時はこのチョコバナナ塗装となっていました。

後に現行の白地に水色、赤、青色の帯の塗装に変更されていたけど、2009(H21)年10月3日には、秩父鉄道創立110周年記念として、この1007Fが登場当時のチョコバナナ塗装に戻されていました。

冷房改造されたのは1994(H6)年から1997(H9)年までの間で、埼玉県の補助金により先頭車のみ冷房改造されていたので、中間車は非冷房車で丸型のベンチレーターが並ぶ屋根のままとなり、種車の面影が残っています。

行きに乗った時には記念乗車証を貰うことが出来ました。

自分が秩父鉄道に乗ったのは、一昨年の3月25日の7500系のデビューの時以来でした。

三峰口駅では、1007Fのほか、この後も残るスカイブルーの1001F、オレンジバーミリオンの1003F、現行塗装の1010Fの3編成も展示されていました。

秩父鉄道の1000系は、2008(H20)年から7000系(元東急8500系)や7500系(元東急8090系)への置き換えにより順次廃車となり、これまで廃車となった編成には、100形風の旧塗装の小豆色の1002F、ウグイス色の関西本線色の1009F、初代オレンジバーミリオン色の1011F、カナリアイエロー色の1012Fも含まれていました。

そのうちの1009Fには、2008(H20)年4月5日に珍宝僧氏と一緒に乗りに行った思い出がありました。

現在残る3編成も早ければ来年には無くなることが予想されるので撮影、乗車はお早めにということになります。

1007Fによる臨時急行は、通常の急行と同様に途中武川、寄居、野上、長瀞、皆野、秩父御花畑、影森に停車していたけど、急行料金無しで乗れたのが嬉しかったです。

熊谷までは、池袋から大宮まで埼京線、大宮から熊谷までは高崎線で移動しました。

大宮では、元京葉線205系が置いてあったけど、こちらは来年にJR日光線JR宇都宮線(宇都宮〜黒磯間)用として再デビューする予定となっています。こちらは4両編成で車椅子対応の洋式トイレが設置されることになっています。

日光線(宇都宮〜日光間)は、東武日光線と区別するためにJR日光線と呼んでいます。

国鉄日光線では、かつて上野からの直通列車も運転され、東武との競争が行われていました。

この日は良く晴れていたので秩父の山並みをバックに撮影することが出来て良かったです。

東急8090系は、1980(S55)年12月27日のデビューから1989(H元)年1月まで、東横線の急行で活躍し、その後に大井町線に集中配置されていました。秩父鉄道では7507F(旧8089F)まで導入されているけど、残りの8090系秩父鉄道に譲渡されることが予想されます。

8090系の初期型の8091,8093,8095Fは、ヘッドライトが下にあるタイプだったけど、現在は全て秩父鉄道に譲渡され、7501,7504,7506Fとなっています。初代の赤帯の時は、帯の下にライトがある車両となっていました。

秩父鉄道三峰口駅では、5000系の5001F(元都営三田線6000形6191F)を撮影することが出来ました。

こちらは1999(H11)年12月に、2000系(元東急旧7000系)の置き換え用として、元都営三田線の6191,6241,6251,6261Fの6両のうちの3両が、5000系として譲受されていました。

種車となった6191Fは、1972(S47)年6月30日の都営6号線(現、三田線)の日比谷延長の時に、6241,6251,6261Fは1973(S48)年11月27日の三田延長の時に導入された車両となっていました。

これまで使われていた2000系(元東急旧7000系)は、3ドア18m車の4両編成の4本16両(晩年目蒲線で使われていた編成)となっていたけど、やはり非冷房車であることに加え、4ドア20m車の1000系(元国鉄→JR101系)と異なっていた為に、ワンマン運転開始を期に5000系に置き換えられていました。

5000系は、都営時代に冷房化されているので、急行秩父路号以外の車両で初めてのフル冷房車であり、帯の色は青色のままなので秩父鉄道向けの改造が行われているものの、都営時代の面影の残る車両となっています。

秩父鉄道でのワンマン運転が開始されたのは、1999(H11)年12月のことで、2007(H19)年3月6日には、急行秩父路号もワンマン化されていました。

そのうちの5004Fは、昨年11月1日に、樋口〜野上間の踏切で、ダンプカーと衝突し、デハ5004号車が大破されていた為に運用離脱されているので、現在は3編成のみ活躍しています。

都営時代は、大都市の地下及び高島平団地をかすめた高架線を高速で走り抜けていたのに対し、現在は田園風景や秩父路の山並みをのんびりと走る状態となっています。

熊本電鉄に譲渡された6000形(熊本電鉄6000系)は2両編成で、藤崎線の藤崎宮前〜黒髪町間の併用軌道を走るシーンもあるので、高速で走り抜けていた都営時代と比べて想像出来ないシーンとなっています。

この日は秩父鉄道5000系(元都営三田線6000形)を撮影することが出来て良かったです。

国鉄→JR101系と元都営6000形の組み合わせは、昔新板橋(板橋)、巣鴨、水道橋、田町(三田)駅で見られた組み合わせで、地下で交差していた為に並びは秩父鉄道入りで実現していました。

1003Fは、昨年5月の広瀬川車両基地でのわくわく鉄道フェスタでの人気投票で1位となったことで同年8月25日から1011Fに採用されていたオレンジバーミリオンに変更されていました。

茶色塗装だった1002Fは、今年5月20日をもってラストランを迎えていました。

1007Fは熊谷到着後に羽生行きとなっていたので、本当は仕事休みだったら羽生まで行くことや秩父鉄道全駅のekiShスタンプを制覇出来ていたところだったよ!

この日は新宿のタワレコアップアップガールズ(仮)のイベントが行われていたけど、秩父鉄道の追っ掛けに行った絡みで行かれなかったので、今月6日の池袋サンシャインシティ噴水広場でのイベントに行ったことで難を逃れたけど、ループしなかったのが心残りだよ!

真野ちゃんこと真野恵里菜氏の選民イベントは、今月29日の怒曜日こと土曜日の横浜BLITZのみで仕事ありなので1回目しか申し込めないので勘弁してほしいよ!

最近のハロプロ関連(特に娘。関連)の握手会は月曜日から土曜日までの仕事のある日(自分の出勤日)ばかり行われているので、平日または土曜ダイヤの都電で7000形ばかり来ることや小田急ロマンスカーで50000形VSEで満席続出であることに例えたくなるよ!

日曜日に握手会をやらない日曜飛ばしの状態が多発しているのでもううんざりだよ!

本当にいい加減にしてもらいたいよ!

平日に行われるイベントが多発しているので、77T氏が激怒していた気持ちも良く分かるよ!

最近になってからは自分(しゃもじ)の握手会参戦が減っているので、幸せの黄色い都電の8810号車(黄色いあや電、りなちょ)が荒川車庫で寝ている時が多いことに例えたくなるよ!

この日の都電では、9001号車(臙脂色のにょん電によるクリスマス装飾電車)が大塚駅前〜町屋駅前間の区間運用に入っていたのに撮影出来なかったし!

この日は、大阪のエル・シアターでモーニング娘。の「ワクテカ Take a chance」の発売記念イベントが行われていました。ジバン氏は日曜飛ばしの為に参戦出来なかったです。

スマイレージのほうは、立川のハロショ臨時店でのイベントに出演していました。

この日に集めたekiShスタンプは、秩父鉄道の石原(埼玉県)、ひろせ野鳥の森、大麻生、明戸、武川、永田(埼玉県)、小前田、桜沢(埼玉県)、波久礼、樋口、野上、長瀞上長瀞親鼻、皆野、和銅黒谷大野原、影森、浦山口武州中川武州日野、白久、三峰口の各駅でした。

次にさゆやあやちょと握手出来るのはいつになるんだろう?