鹿島臨海鉄道、ひたちなか海浜鉄道
この日は18きっぷを使って鹿島神宮、水戸方面に行ってきました。
ルート 目白〜秋葉原〜錦糸町〜成田〜鹿島神宮〜水戸〜勝田〜那珂湊〜阿字ヶ浦〜那珂湊〜勝田〜水戸〜日暮里〜目白
錦糸町から成田まではE217系による直通のエアポート成田、成田空港行き、成田から鹿島神宮までは元京浜東北線の209系で移動しました。
鹿島神宮から水戸までは、鹿島臨海鉄道の6000形の6011号車に乗ったけど、鹿島臨海鉄道では運賃別払いでした。
JR鹿島線と鹿島臨海鉄道線に乗ったのは、2005(H17)年7月31日以来でした。
鹿島臨海鉄道大洗鹿島線は、1985(S60)年3月14日に、北鹿島(現、鹿島サッカースタジアム)〜水戸間で開業していたけど、当初は鹿島線の延長部分として国鉄によって建設されていました。
鹿島神宮〜鹿島サッカースタジアム間は、JR鹿島線の一部で、この区間のみ電化されています。
鹿島サッカースタジアム駅は、サッカーの試合のある日のみの営業で、普段は通過となっています。ここからは、奥野谷浜まで、鹿島臨港線という貨物路線が出ています。こちらは1978(S53)年から1983(S58)年まで、鹿島神宮〜北鹿島〜鹿島港南間で旅客営業されていたこともありました。当時は元国鉄キハ10形から改造されたキハ1000形が使われていました。
以前は、キハ20系から改造された2000形もあったけど、茨城交通→ひたちなか海浜鉄道に譲渡され、現在は廃車となり、那珂湊駅構内に留置されています。
国鉄→JR鹿島線は、1970(S45)年8月20日に開業した路線で、当時は非電化路線でした。電化されたのは、総武本線の佐倉〜銚子間、成田線の成田〜松岸間と同様に1974(S49)年10月26日のことです。
勝田から那珂湊までは、キハ37100形の37100-03号車で移動しました。こちらは、茨城交通時代の2002(H14)年に導入された車両で、ブレーキの二重化によって変化されています。こちらは一昨年にひたちなか海浜鉄道開業2周年記念としてアニマルトレインとなっていました。
那珂湊から阿字ヶ浦までは、キハ20形の205号車で移動しました。 こちらは1965(S40)年に国鉄のキハ20 522号車として製造され、岡山県の水島臨海鉄道を経て茨城交通→ひたちなか海浜鉄道入りしていました。茨城入りと同時に旧国鉄色に変更されていたので懐かしさの漂う車両となっています。このように旧型気動車を動態保存してくれたことで嬉しく思っています。普段は3710形や元三木鉄道のミキ300形が使われています。前日に行っていたら旧型車両が運休となっていたのでちょうどよかったです。
阿字ヶ浦では、阿字ヶ浦温泉のぞみに立ち寄りました。こちらは海の見える風水温泉として有名であります。こちらには東京染井温泉SAKURAと同様に食堂もあり、茨城の冬の味覚であるあんこう鍋も食べることが出来ます。
阿字ヶ浦から那珂湊までは、キハ37100形の37100-03号車で移動し、那珂湊駅のイルミネーションを見ました。那珂湊から勝田までは、キハ20形の205号車で移動し、勝田から水戸まで415系1500番台、水戸から日暮里までE531系で帰りました。
来年には、湊線開業100周年、ひたちなか海浜鉄道5周年を迎えます。
E657系のほうは未だに乗ったことがないのでE5系新幹線と同様に早く乗りに行きたいです。あとは来年デビュー予定の秋田新幹線のE6系スーパーこまちにも乗りたいです。
この日は、酒々井、十二橋、潮来、延方、鹿島神宮、鹿島サッカースタジアム(JR鹿島線マスター)、荒野台、長者ケ浜潮騒はまなす公園前、鹿島大野、鹿島灘、大洋、北浦湖畔、新鉾田、徳宿、鹿島旭、涸沼、大洗、常澄、東水戸(鹿島臨海鉄道線マスター)の各駅のekiShスタンプを集めることが出来ました。
本当は浜松町でのチアチアのイベント、トレッサ横浜での真野ちゃんのイベントに行きたかったです。真野ちゃんのイベントではしゃもじ欠席となってしまいました。前日のお台場はしゃもじ出席となったけど。
この日は、8505号車(めろ電)が不具合を起こし、8501号車(めんめん)の牽引によって荒川車庫まで回送されていたことを聞きました。こちらは年内にチアチアのメンバーの新メンバーと握手出来なかったこと、本当の地元の西武N101系や301系のさよならイベントをサボったことに例えたくなります。
次にさゆやあやちょと握手出来るのはいつになるんだろう?