ウォーキングイベント、スマイレージ、北総

この日は、都営・西武ふれあいウォークに参戦し、大江戸線築地市場駅(スタート)→築地本願寺勝鬨橋→春海橋→富岡八幡宮成田山深川不動尊大江戸線月島駅(ゴール)のルートで歩きました。

まずは新宿から都営大江戸線築地市場駅まで行きました。 築地市場は、豊洲に移転される予定となっているけど、場外市場のほうは残る予定となっています。

こちらは約10キロのルートで約13419歩歩きました。

途中では、東京スカイツリーを眺めることの出来るポイントもありました。

勝鬨橋を渡る前には、博多ラーメンの店であるふくちゃんで昼食を取り、橋の資料館に立ち寄りました。ふくちゃんということで、フクちゃんこと譜久村聖氏を思い出しました。

勝鬨橋は、以前開閉式の橋で、都電も通っていました。 現在の開かずの橋になってからは、信号機がその名残として残っています。周辺には、勝鬨の渡しの記念碑もあります。

富岡八幡宮に立ち寄る前には、親水公園を通りました。 富岡八幡宮は、有名な参拝スポットで、もんじゃまんが売られていました。もちろんもんじゃまんも食べました。

その次に立ち寄った成田山深川不動尊もユニークな場所でした。

この後、佃島を通り、もんじゃ焼きで有名な月島へ。 佃島は、佃煮でも有名であります。

月島駅から有明テニスの森まで、都営バスの東16系統で移動したけど、こちらは今年度に導入されたX代車のいすゞエルガ(S-X280 ,
足立200か26-02号車、QPG-LV234L3)となっていました。今回も昨年9月と同様にスマイレージのライブやイベント会場に行く時にいすゞのバスに乗ったことになりました。

都営バスの今年度の導入車であるX番台は、ハイブリッド車エルガハイブリッド)を含めて全ていすゞ自動車に一括発注されています。昨年度のW番台は、2010(H22)年度下期と同様に三菱ふそうに一括発注されていたし。

エルガハイブリッドは、昨年9月に阪急バスを皮切りに導入され、関東では、都営バスのほか、西武バス、西東京バス、京成バスなどにも導入されています。

有明テニスの森からは歩いてディファ有明まで行き、スマイレージの「寒いね。」のリリースイベントの振り替え公演に参戦しました。

2回目のセットリストは

寒いね。
MC(ヲタ抽選による3曲選曲)
学級委員長
有頂天LOVE
好きよ、純情反抗期。
MC(告知)
旅立ちの春が来た
スキちゃん

ヲタ抽選による3曲選曲では、抽選で選ばれた3人によるくじ引きで決められ、今回は、学級委員長、有頂天LOVE、好きよ、純情反抗期。が選ばれていました。 

この時にはな・ん・と、3月20日に発売される予定の新曲である「旅立ちの春が来た」をいち早く聴くことが出来ました。

この後は握手会で、久しぶりにメンバーと握手することが出来ました。

折角お台場に来たということで、ダイバーシティガンダム銅像ライトアップを見てから東京テレポート駅まで行き、大井町乗り継ぎで川崎まで行きました。 

16日の土曜日はダイバーシティ東京でとちおとめ25のイベントが行われていたけど、ウォーキングイベントやディファ有明でのスマイレージの選民イベントの振替公演に参戦していた絡みで参戦出来なかったので、とちおとめ25のメンバーとの初握手がお預けとなってしまったよ!

座席が後ろのほうでスマイレージの握手会の順番が後になっていたことで、その後にラゾーナ川崎ナムコ ワンダーパーク ヒーローズベースで行われたステーション♪のイベントに間に合わなかった(接続しなかった)ので、その代わりに池袋でのイベントに行ったこと(振替乗車)でこうなってしまったからついてなかったよ!

今月2日に新宿の高島屋タイムズスクエアで行われたとちおとめ25のイベントでイチゴカクテルを飲み損ねたし握手も出来なかったということの二の舞となってしまったよ!今月17日も2日と同様にイチゴカラーの都電8802号車(あや電、まのさゆ2号、東京都宅地建物取引業協会のラッピング)が荒川車庫で寝ていた状態に例えたくなるよ!この日は実際にこうなっていたし!

このようにとちおとめ25のメンバーと握手したことがないことをETC装置の付いていない宇都宮ナンバーの車や、東急田園都市線の車両で東武線に乗り入れることの出来ないマルKマークの編成(8500系の一部、2000系、8590系)、地下鉄に乗り入れることの出来ない東武東上線の9101Fに例えたくなるよ!

本当はスマイレージのイベントが延期にならなければ行けたところだったのに残念だよ!

川崎で友人と交流した後、京急800形京急蒲田まで行きました。京急川崎では、西武鉄道関連のラッピング車である603Fも撮影しました。西武鉄道東武鉄道京急羽田空港アクセスのラッピングがあるのはこのことの縁もあります。

京急蒲田から品川まで、北総鉄道(千葉ニュータウン鉄道所有)の9000形(旧住宅・都市整備公団2000形)の9008Fに乗りました。

北総鉄道(千葉ニュータウン鉄道所有)の9000形(旧住宅・都市整備公団2000形)は、1984(S59)年3月19日に住宅・都市整備公団都市基盤整備公団(現、独立行政法人 都市再生機構)保有千葉ニュータウン線として、小室〜千葉ニュータウン中央間が開業した時に、2000形として2001Fと2002Fの6連2編成が導入されていました。

開業当時から北総開発鉄道(現、北総鉄道)による管理が行われ、北初富〜新鎌ヶ谷信号所(現、新鎌ヶ谷駅)間の連絡線を介して、新京成線の松戸まで相互乗り入れしていました。

当時の2000形は、今から6年前の2007(H19)年3月に全廃となった北総7000形(ゲンコツ電車)と同様に4M2Tの6両編成で、前面と側面に住宅・都市整備公団ロゴマークが付いていました。方向幕は、松戸、千葉ニュータウン中央と行先表示だけとなっていたし。

1991(H3)年3月31日には、京成高砂〜新鎌ヶ谷間(同時に駅に昇格)が開業し、京成押上線、都営浅草線京急線との直通運転が開始された時には、北総7000形と共に8連化され、京急乗り入れの条件となる先頭車の電装化及び一部中間車の電装解除(付随車化)Mcも行われていました。

新京成線の松戸への相互乗り入れは、京成高砂延長の後も続けられていたけど、翌年の1992(H4)年7月8日の新京成線新鎌ヶ谷駅新設により廃止されていました。

当時の北総線の車両の京急乗り入れは、京急川崎発着がメインだったけど、新逗子へも乗り入れていました。現在は羽田空港発着が当たり前となっているけど。

京急に乗り入れるようになってからは、当時2ドアクロスシート快特で活躍していた京急2000形と番号が重複していた為に、1994(H6)年に9000形の9008,9018Fに改番されていました。

1995(H7)年4月1日の千葉ニュータウン中央〜印西牧の原間の開業の時に登場したC-Flyerこと9100形が2100形とならなかったのはその為でした。

1999(H11)年10月1日に住宅・都市整備公団都市基盤整備公団に移行され、前面の住宅・都市整備公団ロゴマークが撤去され、9100形と同様に側面のロゴマークがUDCマークに交換されていました。

その翌年の2000(H12)年7月22日に印旛日本医大まで延長された時点も都市基盤整備公団の時代で、ユニークな駅舎にもUDCロゴマークが入っていたことを覚えています。

2004(H16)年7月1日には、都市基盤整備公団独立行政法人 都市再生機構(UR都市機構)に移行され、都市基盤整備公団の鉄道事業が、京成電鉄によって設立された千葉ニュータウン鉄道に移管されていました。

同時に北総開発鉄道北総・公団線から北総鉄道北総線に変更され、UDCのロゴマークが、旧北総開発鉄道の車両と同様に、北総鉄道の表示に変わっていました。

北総9000形は、7000形と同様にセミステンレス(スキンステンレス)車であり、製造されてから29年で老朽化が進んでいる為に千葉ニュータウン鉄道所有の9200形に置き換えられることになり、今回9008Fが9208Fに置き換えられていました。

9018Fは、2010(H22)年3月27日にほくそう春まつり号として、京成上野→青砥→京成高砂千葉ニュータウン中央間で運転されていたことがありました。

ほくそう春まつりは、一昨年は東日本大震災の影響、昨年は強風の影響により2年連続で中止となっていたけど、今年こそは是非行われてほしいと思っています。

昨年3月31日は、ほくそう春まつり自体が中止になったのにも関わらず、ほくそう春まつり号が9100形9128F(都市基盤整備公団時代の印旛日本医大延長の時に導入された最終増備車)によって八千代台京成高砂千葉ニュータウン中央間で運転されていました。

第1回目のほくそう春まつり号は、2009(H21)年3月28日に9100形9108Fによって京成上野千葉ニュータウン中央間で運転されていたし。

9008Fは、2000(H12)年12月4日に西馬込車両基地(都営地下鉄の馬込車両検修場)で行われた都営フェスタで展示されていたこともありました。

次にさゆと握手出来るのはいつになるんだろう?