スマイレージのメジャーデビュー記念日、京急

スマイレージ夢見る 15歳でメジャーデビューしてからこの日(5月26日)で3年経ちました。おめでとうございます。4年目も頑張ってもらいたいですね!

あの時の笑顔企画で通ったのは自分(しゃもじ)も参加した甲斐があったからです。

まずは、代々木上原駅で、小田急60000形MSE車の60252FによるMSE5周年記念の団臨を撮影しました。

こちらは、小田急トラベル主催によるツアーで、5月18,19,25,26日の4日間に、綾瀬→代々木上原→松田→御殿場→松田→新百合ヶ丘唐木田新百合ヶ丘→相模大野→片瀬江ノ島→相模大野→新宿(綾瀬駅集合、新宿駅解散)というルートで運転されていました。

LED表示は、前面、側面共に白文字の「MSE5周年記念団体」で、LEDの自由度が生かされていたし。

60252Fは、60251Fや60051Fと共に5年前のデビューの時から使われている編成なので、5周年記念のムードが高まっていました。

昨年3月17日にJR東海御殿場線(松田〜御殿場間)にも乗り入れるようになったけど、あれから1年経っています。

これらの4日間は、土休日運転のあさぎり11,12号の1往復を含めて、MSEの3編成が御殿場まで乗り入れていました。

このような団臨は、小田急電鉄だけでなく、東京メトロJR東海との協議があったからこそ実現していたと思います。

60000形MSEは、30000形EXEと同様に10両編成で運転される時に6+4となるので、流線型の先頭車が両端に来ることになるけど、6両の単独運転の場合は、新宿(北千住、片瀬江ノ島)寄りにこのような貫通型の先頭車が来ることになります。4両単独運転の場合はその逆となるけど。

箱根登山線(小田原〜箱根湯本間)とJR御殿場線(松田〜御殿場間)は、10両編成が入ることが出来ず、全て6両編成で運転されている為に、先頭車の前面が前後非対称となります。

江ノ島線は、10両編成での運転が可能だけど、MSEの10両フル編成での乗り入れは、1月1日のニューイヤーエクスプレスの時のみとなっています。

代々木上原では、定期のメトロ特急と同様に、乗務員交代による運転停車が行われていたので、両方のスタイルを撮影することが出来て良かったです。

1991(H3)年3月15日までの間に、小田急旧3000形SSE車による連絡急行あさぎり号が運転されていた頃は、松田〜御殿場間(国鉄JR東海御殿場線)を含めて、小田急電鉄の乗務員による乗務(新宿〜御殿場間の通し乗務)となっていました。1968(S43)年7月に御殿場線が電化される前にキハ5000形(系列)が活躍していた時もこうなっていたし。

1991(H3)年3月16日に、あさぎり号の特急への格上げによる沼津延長(小田急20000形RSE車とJR東海371系への置き換え)の時に、松田駅での乗務員交代(松田〜沼津間、JR東海の乗務員担当)が行われるようになっていました。

昨年3月17日の小田急60000形MSE車への置き換え及び御殿場で打ち切られた後も、御殿場線JR東海の乗務員担当(松田駅での乗務員交代)が継承されています。

東京メトロのほうは、このような特急用車両を保有していないので、現在のあさぎり号と同様に小田急電鉄による片乗り入れとなっています。

因みに現在の小田急電鉄のCIロゴマーク(通称ODマーク)は、MSEのデビューと共に採用されていたので、こちらも5周年を迎えていました。

代々木上原からは、明治神宮前、横浜乗り継ぎで京急久里浜まで移動したけど、明治神宮前から横浜まで乗ったのは、東京メトロ7130Fで、渋谷から急行となっていました。

京急久里浜からはシャトルバスで、京急ファインテック久里浜事業所(旧久里浜工場)で行われた京急ファミリー鉄道フェスタ2013に行きました。

この時のお目当ては、デビュー当時の白い窓枠(ツートン)塗装に戻された2011Fで、このツートンカラー部分を撮影出来るように車両の位置がずれていました。

表示は、品川、快特、1Aと、2ドアクロスシート車時代を彷彿とさせる姿となっていました。

この2011Fは、1982(S57)年12月に試作された編成で、浦賀三崎口寄りの2011〜2014号車が東急車輛(現、総合車両製作所)製、品川寄りの2015〜2018号車が川崎重工業製となっています。

1984(S59)年の量産車(旧600形の置き換え用)が登場した時に2011Fが量産化改造され、1998(H10)年3月の2100形導入の時にこの2011Fを皮切りに3ドアロングシート化されていました。

2011Fのワイパーは、デビュー当時は量産車とは逆向きとなっていて異彩を放っていたけど、ロングシート化の時に向きが揃えられていました。

現在は、この2000形による快特運用がラッシュ時のみとなっています。

昨年は4連の2411,2421,2431Fの3編成が800形と併行する形で廃車となっていたので、800形と同様に今後の動向が注目されています。

この時に、京急久里浜駅への送迎電車である600形606F(ブルースカイトレイン)との並びも撮影することが出来ました。

このような配慮とは裏腹に、2000形同士の並びを撮影することが出来なくてガッカリしたという声が聞こえていました。

京急ファミリー鉄道フェスタの撮影コーナーで展示されていた車両は、左半分が京急新1000形の1009Fと1081F、ブルースカイトレインの2157F、右半分が604F,1505F,807Fで、デト15,16号車も展示されていました。

京急新1000形は、旧1000形や700形の置き換え用並びに、2100形の3ドアロングシートバージョンとして、2002(H14)年4月15日に、8両編成の1001Fからデビューし、京急線内のA快特運用で限定運用されていました。

都営浅草線への乗り入れが開始されたのは、同年6月25日のことで、8月30日には京成線の京成高砂まで、9月4日にはその先の北総・公団線(現、北総線)へも進出していました。

座席は、運転台後部と車端部がクロスシートで、他はロングシートとなっており、そのレイアウトが600形更新車にも踏襲されていました。

初期に落成していた編成は、2100形と同じドイツ・シーメンス社製の通称ドレミファインバータが搭載されているけど、2005(H17)年に導入された1041Fと1417Fからは、IGBTとなり、ドレミファインバータではなくなっています。

2007(H19)年に導入された1073Fからは、アルミ車体からステンレス車体に変更され、前面は普通鋼製でワイパーカバーの廃止、車両番号の直接表記化、700形1次車(1967(S42)年導入車、現在は全廃されている)以来となった高運転台方式の採用、側面は、赤と白のカラーフィルム、運転台後部のKEIKYUのロゴの貼り付け、インバータ装置の国産品への変更などで変化していました。

座席は車端部を含めてオールロングシート(1500形以来)となり、運転台後部の座席が廃止された為に、京急にも乗り入れている都営地下鉄5300形と同様の運転台後部に座席のない状態となっています。

翌年の2008(H20)年からはステンレス車体が正式に導入され、4連バージョンも加わっていました。

2010(H22)年7月17日の成田スカイアクセス線の開業の時に導入されていた1121,1129,1137Fでは、案内表示のLCD化、車上情報管理装置の取り付けにより、600形と同様に成田スカイアクセス線への乗り入れに対応しています。これらの編成の導入により、半世紀以上に渡って活躍していた旧1000形が全廃となっていました。

2011(H23)年には800形の置き換え用として、新1000形初の6両編成(1300番台)の1301,1307Fも登場し、バリエーションに加わっています。

6連は、本線での普通列車の運用、エアポート急行の一部に使われているので、新1000形普通列車が盛んに見られるようになっています。

普通列車しか停車しない駅は、6両分しかない為にこのような措置となっています。こちらは乗り入れ先の京成本線普通列車にも準じているし。

ステンレス車体に変更されてからは、8連が東急車輛総合車両製作所製、4連と6連が川崎重工業車両カンパニー製とメーカーが分けられるようになっているけど、昨年4月に導入されていた8連の1153Fは、総合車両製作所に変更されてから初めて鉄道業者(京急)に引き渡されていた車両として話題となっています。

京急新1000形がアルミ車体からステンレス車体に変更された理由は、さらなる軽量化やコストダウンのほか、京急沿線に車両工場があり、ステンレス車の製造が主流となっている東急車輛総合車両製作所との取引の関係だと思われます。

京急ファミリー鉄道フェスタでの車両撮影コーナーは、大好評となっているけど、晴れた日に逆光状態になりやすくなるという欠点があります。

アルミ車の1009Fは、2002(H14)年6月、東急車輛製で、特急三崎口の表示となっていました。京急の特急は、かつて日中の都営線直通で見られていたけど、快特(SH快特)への格上げにより、朝と夕方以降のみの運用となっています。

ステンレス車の1081Fは、2008(H20)年1月、東急車輛製で、ステンレス仕様の2本目として導入されていました。

表示はエアポート急行新逗子で、6連,8連共に実際に見ることの出来る表示となっています。

羽田空港新逗子間のエアポート急行は、600形または新1000形の4+4の8連での運用もあり、平日朝夕ラッシュ時の8+4の12連と同様に、アルミ車とステンレス車の組み合わせが見られることもあります。

京急逗子線新逗子駅は、1985(S60)年3月2日に、京浜逗子駅と逗子海岸駅の統合により開業した駅で、8連対応となった1面1線のプラットホームは、両駅の中間地点、北口は京浜逗子駅、南口は逗子海岸駅跡に位置しています。

新逗子駅南口の周辺に逗子海岸海水浴場があるので、以前海水浴シーズンに逗子海岸行きの臨時列車が運転されていたことを物語っています。

新逗子駅が出来る前、行先表示は、逗子海岸ではなく、逗子の表示となっていました。

京浜の名の付く駅は、1987(S62)年6月1日に、現在県立大学駅となっている京浜安浦→京急安浦駅を含めて京急の付く駅名に変更されていたけど、京浜逗子駅京急逗子駅になることはなかったです。

このような京急での駅の統合は、1976(S51)年に北馬場駅と南馬場駅が統合されて新馬場駅が開業していたことも挙げられます。

2100形は、貫通扉が取り付けられ、エアポート快特に導入される計画があったけど、2ドアクロスシートで乗り降りに時間が掛かることや、東京都交通局京成電鉄から乗り入れが認められなかったので、京成のAE100形(現在はシティライナー用)と共に地下鉄乗り入れが幻となっています。その替わりに、地下鉄規格の路線である泉岳寺〜品川間の乗り入れにより、A快特の一部が泉岳寺にも乗り入れるようになっています。

一昨年11月5日に都営浅草線の馬込車両検修場で行われていた都営フェスタで、京急の2141Fが、京成AE100形のAE168Fと共に展示されていたこともありました。

2141Fは、2133Fと共に原型のドレミファインバータ搭載車両であるけど、交換されるのも時間の問題となっています。

2100形は当初の計画で12編成導入される予定となっていたけど、エアポート快特への導入計画の中止により、10編成で製造が打ち切られて、新1000形に移行されていました。

2157Fは、1999(H11)年5月に川崎重工業車両カンパニーで製造された編成で、導入当初は従来の赤色でした。

2117,2125,2133Fは、1998(H10)年11月18日の京急空港線羽田空港(現、羽田空港国内線ターミナル)への延長に合わせて導入されていました。

今年度中には、600形の4連の残りと共に、2100形が2編成2ドアクロスシートのまま車体更新される予定だけど、どのような姿になるのか気になります。

先月26日の京急ファミリー鉄道フェスタで展示されていた1500形の4連である1505Fで、今年1月1日から2月3日まで京急大師線で使われていた毎年恒例の干支ヘッドマークが取り付けられていました。

どちらも一般公募によるデザインで、赤地に黄色い蛇(巳)のデザインと、緑地にダルマと蛇(巳)となっていたけど、時間によってヘッドマークが入れ替わっていました。

大師線運用時に1505Fに取り付けられていたヘッドマークは、後者のダルマと巳でした。

行先表示はもちろん、京急川崎⇔小島新田で、大師線での姿が再現されていたし。

今年は2月3日の最終日に大師線に撮影に行ったけど、あの時は撮影出来て良かったと思っています。

現在京急大師線では、原則として1500形の4連(120Km/h運転非対応車)が使われているけど、新1000形の4両編成も使われる場合もあります。

2005(H17)年11月に全廃となった700形は、加速性能が旧1000形よりも劣っていたことで、晩年は大師線専用車となっていました。

後に旧1000形の4連→1500形の4連と変化していたけど、干支ヘッドマークの取り付けは、700形の時代から受け継がれています。

京急大師線は、4両編成までしか入ることが出来ないので、京成金町線にも共通しています。

1500形の4両編成は、かつて旧1000形の4両編成や600形の4両編成と共に終夜運転京成金町線にも乗り入れていたこともありました。

この時には、車体修繕入場中の都営5313Fや京急2100形も見ることが出来ました。あとは1701Fの残りの編成も置かれていたし。

この後、友人と共にシャトルバスで京急久里浜から快特に乗って品川まで移動しようとしていた時に八丁畷駅付近で人身事故があり、横浜行きで運転されていました。その途中で運転再開され、本来の青砥行きとなっていました。

品川から木更津行きのアクアラインバスで帰る友人を見送った後、大井町まで行き、8590系の8691Fを撮影してから、自由が丘までそれに乗りました。

この日は111運用に入っていたので111の表示を撮影することが出来て良かったです。

先月26日はラフォーレミュージアム六本木で行われたスマイレージの2ndアルバムである2スマイルセンセーションの発売記念イベントには、給料日前でアルバムをフラゲ出来ずにチケットが完売完敗で参戦出来ずにしゃもじ欠席○○電運休状態となってしまったよ!握手会はなかったけど、京急のイベントの後にスマイレージのメジャーデビュー3周年記念を祝いたかったよ!

そんなことになるんだったら新木場のスタジオコーストで行われていた青SHUN学園などが出てきたのウタ娘スーパーライブ2013に行けば良かったよ!こちらには、りなりなこと山川りな氏も出てきたのに、先月11日に秋葉原のマップ劇場で行われた青SHUN学園のイベントで、怒曜日こと土曜日に終日雨となってしまったせいで行かなかったことの二の舞となってしまったよ!その代わりに東急の8590系や東武51077Fの追っ掛けをしていたけど、行けば良かったと思っているよ!本当に福岡から上京してきたりなりなこと山川りな氏などに対して申し訳ないことをしてしまったし!

TJ氏は京急久里浜でのイベントの後に秋葉原でのゆゆこと木村裕子氏のトークショーに行っていたけど、自分は参戦出来ずにまたしてもゆゆの現場に行かれない状態となってしまうよ!

これにより久里浜でTJ氏に会えなかったけど、前日の大宮で会えたので難を逃れたよ!

次にさゆ、あやちょ、りなりな、佐保ちゃんと握手出来るのはいつになるんだろう?