りほりほの誕生日、保谷、代官山、都電

この日(5月28日)は、モーニング娘。の9期メンバーのりほりほ、ヤッシーこと鞘師里保氏の15回目の誕生日でした。おめでとうございます。

これからも頑張ってもらいたいですね。

西武池袋線練馬駅石神井公園駅で、池袋線系統の2000系の8連で唯一の方向幕車である2063Fの各停保谷行きを撮影しました。

池袋線系統の2000系では、2両付属編成が全て方向幕となっているのに対し、8両固定編成はこの2063Fだけとなっているので、全て8両編成となっている池袋口の各停(豊島園発着を含む)で方向幕を見ることが出来るのもこの編成だけとなっています。

それだけでなく、パンタグラフが2基のままとなっているのが特徴であります。

石神井公園駅は、練馬〜石神井公園間の高架・複々線化事業により高架化された2面4線の高架駅で、大泉学園寄りには、引き込み線が2本あります。

高架化される前は、2面4線で、駅舎が北口と南口に分かれ、跨線橋で結ばれていました。

2008(H20)年11月22日に仮設地下道(南北自由通路)が設けられるまでの間は、開かずの踏切を通らなければならない状態となっていました。

2010(H22)年2月7日に上り線、2011(H23)年4月17日に下り線の内側(2番線)が高架化され、周辺の踏切が廃止されていました。

昨年6月23日には、高架化工事により使用停止となっていた1番線が再開され、その1週間後の6月30日のダイヤ改正には、下り列車の待避及び石神井公園折り返しの列車も復活していました。

今後は、高架線が大泉学園駅の手前まで延長される予定となっています。

西武池袋線の各駅停車しか停車しない椎名町、東長崎、江古田、桜台の各駅では、10両編成分まで延長されているけど、東急東横線との直通運転に伴い、ダイヤ乱れの時での運用のやりくりをしやすくする為にこうなったと思われます。

この2063Fが2連の付属編成と組んで10両編成で運転される時には、方向幕同士の組み合わせとなります。

練馬駅は、地下鉄乗り入れ及び高架・複々線事業により高架化された、2面6線の高架駅で、外側に急行通過線があります。

高架化される前は、2面4線で、その工事が着工された1988(S63)年12月5日の改正で、1番線の使用停止、渡り線撤去による池袋〜豊島園間の直通運転及び練馬駅での優等列車の待避の休止が行われていました。

これにより、4番線(後に中村橋寄りにずれた仮設の5番線)が、豊島線(当時は全て練馬〜豊島園間の折り返し運転だった)専用となっていました。

1988(S63)年までは、平日朝に、池袋発豊島園行きの準急(豊島園準急、途中練馬のみ停車)も運転されていました。当時は準急の練馬駅停車がラッシュ時のみだったけど、1993(H5)年12月6日の改正で終日停車化されていました。

練馬駅の下り線が高架化されたのは、1994(H6)年10月のことで、同時に桜台駅の下り線も高架化されていました。

同年12月7日の西武有楽町線の練馬までの単線による暫定開業の時には、先行的に高架化されている下り線側の1番線が新設され、外側の下り通過線(現在の急行線)使用開始に伴う練馬駅での優等列車の待避が再開されていました。

1997(H9)年8月には、桜台駅練馬駅の上り線部分も高架化され、翌年の1998(H10)年3月26日には、練馬〜新桜台間の複線化及び練馬駅の全面高架化により、西武池袋線と地下鉄有楽町線との直通運転が行われ、豊島線へのアプローチ線の新設により池袋〜豊島園間の直通運転が再開されていました。4番線は地下鉄直通専用となり、後に外側の上り通過線(急行線)も新設されて現在に至っています。

新宿線系統専用だった2000系(4ドア車)の池袋線系統への進出は、1990(H2)年のことで、豊島園にも乗り入れるようになったのはやはり1998(H10)年3月26日の池袋からの直通運転の再開の時であります。

1997(H9)年8月の上り線の高架化から、翌年の1998(H10)年3月25日までの間は、武蔵境駅の高架化工事中の西武多摩川線と同様に、線路が寸断された孤立路線となり、旧101系の155F(4連)と211F(6連)が封じ込められていました。

練馬駅の北口には、1970(S45)年まで鐘淵紡績(カネボウ、現在のクラシエホールディングス)があったけど、その跡地は、練馬区立練馬文化センター、平成つつじ公園、練馬駅バスターミナルが整備されています。

西武豊島線(練馬〜豊島園間)は、都営大江戸線(旧都営12号線)と重複する単線区間で、豊島園駅は8連対応の1面2線となっています。

1998(H10)年3月26日に池袋〜豊島園間の直通運転が再開された理由は、池袋発着の各停の一部が地下鉄直通列車にシフトされたことによる穴埋めであります

西武池袋線石神井公園駅では、西武2000系の2503Fによる急行飯能行きを撮影したけど、2453+2501+2503F(2+4+4)の10両編成で運転されていました。

2000系の4連バージョン(2500番台)は、新宿線系統しかなかったけど、最近になってからは、2501,2503,2531,2533Fが池袋線に転用されています。2531Fと2533Fは、LED化されていたけど、N2000系で最初に導入されていた2501Fと2503Fのほうは、方向幕のままで、前面貫通扉が小窓となっていることで異彩を放っています。

1988(S63)年から1993(H5)年に掛けて導入されていたN2000系で、貫通扉が小窓となっているのは、4連の2519F以前、6連の2051F、2連の2451Fで、2501,2503F以外は全て新宿線系統所属となっています。

N2000系の4連は、今年3月15日まで、小平〜西武遊園地間での単独で盛んに使われ、ラッシュ時での西武遊園地発西武新宿行きの急行(萩山で拝島からの6両編成と併合)にも使われていた程、西武多摩湖線の顔ともなっていました。

萩山での分割は、昨年6月29日、併合は、今年3月15日をもって廃止されていたので、かつて頻繁に見られていた拝島・西武遊園地行きの表示と共に過去帳入りしていました。

2000系の6連は、新宿線系統にあって池袋線系統にない状態となっています。

池袋線新宿線との車両の入れ換えは、特急車(10000系)を含めて頻繁に行われているけど、今回は一時的なのか、本格的な転属なのか気になります。

2501Fと2503Fは、一昨年にも池袋線系統に貸し出され、節電ダイヤの時に4連での練馬〜豊島園間の折り返し運用(白表示)に使われていたこともありました。練馬駅桜台駅寄りにある引き込み線は4両分しかないのでこのような措置となっていたし。

練馬駅で、西武6000系の6157Fによるトコろん(所沢市のマスコットキャラクター)のラッピング電車による各停小手指行き(34M運用で、有楽町線の新木場から来た列車)を撮影しました。

ヘッドマークや側面の所沢市観光PRの車体広告のほうは、池袋(新木場、横浜)寄りの6057号車にしか付いていないので、注意が必要となっています。

こちらは今年3月16日から来年3月15日まで運転される予定で、西武6000系による元町・中華街行きの一番列車に使われていました。

トコろんとは、2010(H22)年の所沢市制60周年記念で誕生したマスコットキャラクターで、所沢市の鳥である「ひばり」とプロペラ機がイメージされたデザインとなっています。

ヘッドマークが横浜寄りにしかないということで、都立大学〜自由が丘間の有名撮影ポイントで、亀屋万年堂の看板をバックに撮影出来ないのが痛いと思います。この場合は非ヘッドマーク側の6157号車が先頭に来てしまうし。

練馬駅の1番線と、西武6000系の組み合わせで、1994(H6)年12月7日の西武有楽町線の練馬延長(暫定開業)から、1998(H10)年3月25日の西武池袋線と地下鉄有楽町線との直通運転前日までの頃を思い出しました。

西武有楽町線が練馬折り返しだった頃は、ほとんどが営団地下鉄(現、東京メトロ)の7000系(当時は黄帯の未更新車で一部方向幕車も混在していた)または07系(現在は全て東西線に転用されている)で、西武6000系によるM運用が非常に少なかったです。

当時、西武6000系の地下鉄乗り入れは、1994(H6)年の製造当初から地下鉄乗り入れ仕様となっている6108,6109,6110,6111Fの4編成に限定されていました。

当時は、練馬駅での配線の問題により、小手指から池袋経由で練馬まで送り込まれていたし。

1998(H10)年3月26日の西武池袋線との直通運転開始により、西武6000系の地下鉄乗り入れが大幅に増えていました。

2008(H20)年6月14日の副都心線の渋谷延長の時に伴う増発分は、新型車両の製造ではなく、新宿線系統で活躍していた6103〜6107Fの地下鉄直通対応化によって補われていました。

こうなった理由は、地下鉄直通の6000系への車種統一だけでなく、地下鉄乗り入れ運用に差し支えることもなく副都心線対応改造が行われていたこともあります。

同時期に登場した30000系が地上線専用となっているのはその為であるし。

6156F以降の編成は、戸袋窓の廃止だけでなく、台車の変更により軽量化されています。

西武6000系では、車内案内のLCD(スマイルビジョン)化も行われ、これまで6103〜6110,6113Fが改造されているけど、今年度は5編成改造される予定となっています。

西武6000系は、1992(H4)年から1995(H7)年に掛けて導入されていた0番台(ステンレス車)は全て東急車輛(現、総合車両製作所)製となっているのは、ステンレス車体で西武所沢工場(現在は武蔵丘車両検修場に移転)で製造出来ずに外注に頼らざるを得なかったからです。

このことは、ステンレス製の阪神9000系が系列の武庫川車両工業ではなく、川崎重工業に外注されていたことでも言えます。

1996(H8)年に登場した6000系のアルミ車(50番台)は、アルミ車得意のメーカーということで、西武の通勤型車両として初めての日立製作所製に変わり、同じアルミ車である20000系や30000系にも受け継がれています。

こちらは西武5000系(旧レッドアロー)の初期型と西武10000系(NRA)が日立製作所で製造され、取引の実績があることの縁もあると思われます。

6152Fによる埼玉西武ライオンズと横浜DeNAベイスターズ交流戦ラッピング電車のラッピングは、中間の3号車と8号車の2両のみ施され、先頭車のヘッドマークが付いていなかったということで落胆してしまいました。

運転予定は、5月27日から6月16日(西武ドームでの埼玉西武ライオンズと横浜DeNAベイスターズ交流戦が行われる日)までで、横浜スタジアムでの交流戦が行われていた5月28日と29日は、飯能14時40分発快速急行→急行→特急元町・中華街行きの14M運用で使われていました。

今回撮影したのは、元町・中華街からの折り返しの快速飯能行きでした。

横浜大洋ホエールズから横浜ベイスターズとなったのは、今から20年前の1993(H5)年のことで、親会社はマルハ(現在のマルハニチロ)→TBSとなっていました。

昨年には、モバゲーでおなじみのDeNA(ディー・エヌ・エー)の系列となり、横浜DeNAベイスターズに変更されて現在に至っています。

このような交流戦は、横浜と所沢が結ばれただけでなく、今から15年前の1998(H10)年の日本シリーズ横浜ベイスターズ西武ライオンズの試合が行われ、横浜ベイスターズが38年ぶりの日本一に輝いていたことの縁もあります。

当時は西武ライオンズ球場から現在の西武ドームに変更された時で、客席部分の金属屋根の取り付け(基礎部分の施工)のみで翌年に屋根が取り付けられていたので、西武ドームなのに屋根がなく、雨天中止となったという出来事がありました。


あの時は奇しくも西武池袋線と地下鉄有楽町線との直通運転が開始されていた時でもありました。

6月15日と16日は、西武ドームでの埼玉西武ライオンズと横浜DeNAベイスターズ交流戦が行われる予定となっています。

因みに西武ドーム西武ライオンズ球場として開設されたのは、1979(S54)年のことで、福岡県から埼玉県へと移転された時でした。

横浜スタジアムが開設されたのは、1978(S53)年のことで、横浜公園平和野球場の跡に作られた球場として、当初から横浜大洋ホエールズ横浜ベイスターズ→横浜DeNAベイスターズの本拠地として使われています。

それ以前大洋ホエールズの本拠地は川崎球場(後にロッテオリオンズ(現、千葉ロッテマリーンズ)の本拠地として使われていた)となっていました。

横浜スタジアムの最寄り駅はJR根岸線関内駅石川町駅横浜市営地下鉄ブルーライン関内駅みなとみらい線日本大通り駅となっているけど、日本大通り駅は特急が止まらない状態となっています。

このように中間の側面のみのラッピングだと、撮影する人にとってガッカリしてしまうのも言うまでもないです。

この後、代官山駅まで行き、渋谷1号踏切の跡を見ました。

代官山から渋谷まで、東急東横線の5174Fによるペイントトレインに乗り、渋谷駅で記念撮影しました。こちらは渋谷止まりで、4番線に到着していたので、反対側の5番線側から撮影することが出来て良かったです。

ペイントトレインは、3月16日の副都心線との直通運転開始記念として、4月1日から営業運転入りし、一般公募から選ばれた車両毎(山側、海側)に異なる16枚のイラストが、2枚目と3枚目のドアの間にラッピングされた車両で、これまで使われていた渋谷地上駅テーマの作品もあります。

5174Fは8両編成なので、東横線の各停または急行の一部のほか、副都心線(和光市新宿三丁目〜渋谷間)、東武東上線(和光市〜志木間)、西武有楽町・池袋線(小竹向原〜練馬〜飯能間)の乗り入れ運用にも使われています。

10両編成の4101F(東君とヨーコさんの物語号)や4110F(渋谷ヒカリエ号)と同様にたった1編成しかなく、多種多様な運用となっているので捕まえるのが困難となっています。

東急田園都市線の渋谷駅で、8500系で最後の方向幕車となった8606Fによる急行中央林間行きを撮影し、渋谷から永田町駅までは、東急8590系8694Fによる清澄白河行きで移動しました。

この後、南北線で王子まで行き、王子駅前から荒川車庫前まで、9001号車(臙脂色のにょん電、ねねち)による都電バラ号に乗りました。

荒川車庫前からの帰りは、8804号車(あや電、リオネット補聴器のラッピング電車)でした。

次にさゆ、あやちょ、りなりな、佐保ちゃんと握手出来るのはいつになるんだろう?