久しぶりの鉄道博物館、東武野田線

この日は、埼玉新都市交通ニューシャトルの乗車、鉄道博物館の見物、東武野田線の60000系の乗車を行いました。

ルート 目白〜池袋〜大宮〜内宿〜鉄道博物館…大宮〜柏〜船橋〜日暮里〜大塚〜目白

まずは、池袋から大宮までは、埼京線205系による快速で移動しました。こちらもE233系に置き換えられるので、乗れて良かったです。

大宮から内宿まで乗ったニューシャトルの編成は、2000系の2104Fで、黄色の編成に乗れて良かったと思っています。

埼玉新都市交通伊奈線ニューシャトル)は、1983(S58)年12月22日に大宮〜羽貫までの間が開通した路線で、1990(H2)年8月に内宿まで延長されていました。

大宮〜丸山間は、東北・上越新幹線に沿った複線区間(下り線側と上り線側)、丸山〜内宿間は、上越新幹線に沿った単線区間(下り線側のみ)となっているので、埼京線の赤羽〜大宮間と同様に、新幹線の高架線の沿線住民の為に作られた路線となっています。

車両基地及び本社は、丸山にあり、その周辺に東北新幹線上越新幹線の分岐点があります。

鉄道博物館が出来る前は、大成駅で、現在でも鉄道博物館(大成)駅と副名称として残されています。

この時にニューシャトルのekiShスタンプを集めることが出来ました。

鉄道博物館では、静態保存されている183,189系の休憩用車両であるランチトレインを見物しました。

ランチトレインは、今から5年前の2008(H20)年6月に廃車となった幕張車両センター所属のマリC4編成(クハ183-1009F)のうちの4両で、中央ライナームーンライト信州などに使われていました。

元をただせば、特急あずさ号やかいじ号などに使われていたし。

そのうち解体を免れて鉄道博物館入りした車両は9両のうちの4両で、クハ183-1009、モハ189-31、モハ188-31、クハ183-1020号車は、ランチトレインとして解放され、4両バラバラで置かれていました。

一昨年(2011(H23)年)4月29日に南側にてっぱくひろばが開設されたのに伴い、2両ずつの展示となり、これまで撮影することが出来なかった183系の前面を撮影することが出来るようになっていました。

当時は特急シンボルマークが無かったけど、同年9月に特急シンボルマークも取り付けられています。

西側がクハ183-1020号車とモハ189-31号車

東側がクハ183-1009号車とモハ188-31号車から成っており、この日は、前者がわかしお、後者がビーチインBOSOわかしおの表示となっていました。

わかしお号は、東京〜安房鴨川間を結ぶ外房線特急で、東京〜館山、千倉間を結ぶ内房線特急のさざなみ号と共に183系の天下となっていました。

1993(H5)年から1994(H6)年に掛けて、255系(房総ビューエクスプレス)が導入された時に183系の一部が置き換えられ、2004(H16)年10月16日のE257系500番台の登場により、内房線のさざなみ号と同様に183系が定期運用から撤退していました。

翌年の2005(H17)年12月には、E257系500番台の追加導入によって、しおさいあやめ号の運用からも撤退し、JR東日本での183系による定期特急の運用が終了していました。

先頭車のクハ183-1009号車とクハ183-1020号車は、あずさ、かいじ号(それ以前は踊り子号や旧とき号)で活躍していた車両で、E257系の導入によって幕張に移り、中央ライナー用として転用されていました。

そのうちのクハ183-1009号車はセミハイデッカー車で、C4の表示が残されています。

中間車のモハ189-31号車とモハ188-31号車は、旧あさま号でデビューし、中央線のあずさ、かいじ号房総特急(わかしお、さざなみ、しおさい号)を経て、中央ライナーのC4編成に組み込まれていました。

房総特急では、E257系の導入によって余剰となったセミハイデッカーの中間車が、183系の8連に組み込まれていたこともあったけど、C編成はM車のみ0番台のユニットとなっていました。

183系からE257系への置き換えにより、セミハイデッカーのMユニットがC編成に回され、C4編成に連結されていたモハ189-31号車とモハ188-31号車が引退後にクハ183-1009号車、クハ183-1020号車と共にランチトレインとして鉄道博物館で静態保存されるようになっていました。

ビーチインBOSO号は、かつて外房線内房線の夏ダイヤで運転されていた全席指定の臨時特急であり、183系に専用の表示がありました。

1997(H9)年12月に東京湾アクアラインの開通により利用客が減少し、夏ダイヤと共にビーチインBOSOも自然消滅していました。

現在のようなわかしおとビーチインBOSOわかしおの表示となったのは今年4月28日のことで、これまではときとあさまの表示となっていました。このように定期的に変えてくれることが分かります。

自分が鉄道博物館に行ったのは、2010(H22)年1月16日以来で、ランチトレインが現状の姿になってからは初めてでした。

こちらは鉄道博物館の横を通っている高崎線川越線からも見えるけど、今回は鉄道博物館に行って間近で見たことになりました。

この車内では、455系のフレンドリートレインと同様に飲食も可能で、その名の通り、売店で買った駅弁や持参のお弁当を食べることも出来ます。

因みに鉄道博物館のある場所は、非電化時代の川越線気動車の留置線、後に車両の解体場所となっていました。

この時に保存車両を見物・撮影したけど、0系新幹線の展示コーナーに行ったのは2回目となりました。

屋上では、E5系はやぶさ号+E6系スーパーこまち号も撮影しました。どちらも東京駅で撮影する為に人だかりが出来ています。このように、鉄道博物館には、新幹線やニューシャトルを撮影出来る場所が2箇所あります。

交通博物館の時代には、気軽に行けたけど、鉄道博物館になってからは、場所が遠くなり、1000円と高くなったので、行ける機会が激減しています。

大宮から柏までは東武野田線の8000系の8145Fで移動しました。岩槻では、ファミマカラーの10030系が留置されていました。

柏から船橋まで、デビュー初日を迎えていた東武野田線の新車である60000系の61601Fに乗りました。

この日は、朝9時台に柏駅で出発式が行われた後、大宮まで2往復し、柏〜船橋間の運用に入っていました。

東武60000系は、50000系列をベースに、LED式の照明、公衆無線LANアクセスポイントの採用などの改良が行われ、野田線に転用された10030系と同様の青色と黄緑色の帯(ファミマカラー)、野田線沿線8市(さいたま市春日部市野田市流山市柏市松戸市鎌ヶ谷市船橋市)の花がデザインされたガラス扉、独自の前面スタイルにより、野田線専用車両であることがアピールされています。

これまで伊勢崎線系統や東上線からのお下がりの導入が続いていた野田線に、合併以来初となる新車が導入されたことでも話題となっていました。

野田線では、これまで変電所が回生ブレーキ非対応で抵抗制御車しか入ることが出来ず、2004(H16)年10月に野田線最後の吊り掛けモーター車だった5070系の全廃後に8000系オンリーとなっていたけど、変電所の改良により、60000系の導入や10030系の転用が実現していました。

LED式の行先表示は、50000系列や9000系、10000系列の更新車と同様の明朝体表示で、東京メトロ小田急などで明朝体からゴシック体への移行が進められている中、東武鉄道では未だ明朝体表示が守られています。

昨年度に導入された2編成(61601Fと61602F)は、今年3月19日から20日に掛けて山口県下松市の日立製作所から2編成併結の上で、熊谷貨物ターミナルまで甲種輸送され、秩父鉄道東武伊勢崎線日光線経由で南栗橋工場まで送り込まれていました。

東武野田線は、大宮〜春日部〜柏〜船橋間の路線で、柏駅で系統が分割されているので、一部を除いて大宮〜柏、柏〜船橋間での運転となっています。

柏駅は、西側の1,2番線が大宮方面、東側(JR常磐線側)の3,4番線が船橋方面で、直通運転が行われる場合は方向転換が行われ、進行方向が逆になります。

一昨年7月23日のダイヤ修正までの間は5〜8番線とJR線との続番となっていたけど、それ以降は東武伊勢崎線秩父鉄道線の羽生駅と同様に4番線がJR線と東武線の両方に存在しています。

船橋駅も同様に5,6番線から1,2番線に変更されていたし。

かつて野田市〜柏間で、キッコーマン醤油を運ぶ貨物輸送が行われ、線路が国鉄(現、JR)常磐線と繋がっていたこともありました。

野田市は、銚子市と並ぶ醤油の街で、醤油などを扱っている食品メーカーであるキッコーマンの本社や工場があります。

自分は行かなかったけど、6月9日には、大宮または船橋から七光台までデビュー記念ツアー列車に使われ、七光台の車両基地(南栗橋車両管区七光台支所)で、ツアー客限定の撮影会も行われていました。

この時に使われていた編成は、61601Fが大宮発、61602Fが船橋発(柏駅での方向転換あり)でそれぞれ異なるヘッドマークが取り付けられていました。

61601Fは、あの時と同じヘッドマークで営業運転入りしていたので、撮影することが出来て良かったと思っています。

6月21日は、61602Fも営業運転に入りし、今年度中には6編成導入されることになります。10030系の転用も並行して行われるので8000系の乗車・撮影はお早めにということになります。

船橋から日暮里まで京成線で移動し、大塚で、都電の8503号車(めろ電、まみたん、みぽりん)による東京都議会選挙PRラッピング(とあらんとめいすいくんのヘッドマーク付き)を撮影しました。

今年3月31日にラストランを迎えていた京阪特急旧3000系(8000系30番台)の京都寄りの先頭車である3505号車(8531号車)が、寝屋川工場でデビュー登場に近づける為の復元工事が行われ、今月14日から15日に掛けて寝屋川工場から友人のひっぐ〜氏の地元である樟葉駅前のくずはモールの旧KIDS館跡まで陸送されていたという情報が入ってきました。

3505Fが、3月31日にラストランを迎えた後、全て解体されるかと不安だったけど、一部の車両のみ2606号車と共に解体され、この3505号車が解体を免れてくずはモールで静態保存されることになるということは嬉しいニュースであります。

保存されるに当たり、デビュー当時テレビカーだったということで、側面のテレビカーロゴマークや、アンテナも復元されていました。

この3505Fは、今から41年前の1972(S47)年6月に川崎重工業で製造され、7月から営業運転開始されていました。当時は600Vで、京都の三条〜七条間が鴨川のほとりを走る風光明媚な区間となっており、その区間が地下化された後に登場した8000系0番台に対して、その面影の残る車両となっていました。

1990(H2)年から1993(H5)年に掛けて8000系0番台に順次置き換えられた後、この3505F(2008(H20)年から8531F)だけが残され、1995(H7)年12月に、中間車1両のダブルデッカーへの改造を伴ったリニューアル工事によって、今年3月までの約40年間、8000系0番台と共通で活躍していた幸運の編成となっていました。

やはり京阪ファンに大人気の車両だけでなく、40年間活躍していた名車ということで、保存して欲しいという声が高まっていたので今回それが実現するのであります。

ひっぐ〜氏が子供の頃から慣れ親しんでいた車両及び塗装でもあるので、ひっぐ〜氏も保存を願っている一人であるけど、地元である樟葉で静態保存されるということでひっぐ〜氏の日頃の行いが良いということもあります。

くずはモールのほうは、現在リニューアル工事中であり、西館とKIDS館が改築されることになっています。

これによりかつて松坂屋くずは店だった西館が昨年6月30日、同年8月31日にKIDS館とくずはコートが閉館となっていました。

くずはモールにはD51 51号機も置かれていたこともあったけど、現在はJR嵯峨野線嵯峨嵐山駅前に移設されています。

京阪旧3000系は、昨年9月29日から、登場当時がイメージされたクラシックタイプとなり、今年3月10日をもって定期運用から離脱され、3月23,24,30,31日の4日間は、更新前を彷彿とさせるダブルデッカー車抜きの7両編成での臨時快速特急中之島出町柳間)で最後を飾っていました。

残念ながら自分は行くことが出来なかったけど、最終日前日の30日には、友人たちがそれに乗っていました。

あの時は、京阪旧3000系だけでなく、京阪特急塗装や、半世紀以上も親しまれていたテレビカーの終焉の時でもありました。

自分が京阪旧3000系こと3505→8531Fに初めて乗ったのは、2008(H20)年7月21日の三条→七条間でした。

この日のチアチアは、浜松町で仮装チェキ会が行われていました。

この日のekiShスタンプは、加茂宮、吉野原、原市、志久、伊奈中央、羽貫、内宿(埼玉新都市交通伊奈線マスター)の各駅でGETしました。

Tokyo Cheer2 Party(チアチア)の澤姉妹は、都電の8500形(めろ電)と8800形(あや電)の姉妹に例えており、みぽりんこと澤美帆氏は、前者の都電8500形(めろ電)、しょこりんこと澤翔子氏は、後者の都電8800形(あや電)に似ているところがあります。

某ブログでも、都電の8500形(めろ電)と8800形(あや電)の組み合わせは姉妹みたいだと言われているし。

しょこりんのアイドルチックな声は、IGBTインバータ音みたいだし。

次に、さゆ、あやちょ、りなりな、佐保ちゃん、しょこりんと握手出来るのはいつになるんだろう?