MSE、都電、チアチアのくるみんの卒業

この日は、代々木上原駅で、夏の臨時ロマンスカーであるメトロ湘南マリン号(小田急電鉄60000形MSE車の60252F、北千住発片瀬江ノ島行き)を撮影しました。

今シーズンのメトロ湘南マリン号は、7月27,28日、8月3,4,10,11,18日に運転されていたけど、昨年と同様に8月17日を除いた期間中の土日に運転されていました。

途中停車駅は、大手町、霞ヶ関、表参道、成城学園前、町田、大和、藤沢で、代々木上原駅では、乗務員交代により運転停車していました。

今年3月15日で、小田急の60000形MSE車がデビュー5周年を迎えていたので、5周年記念ステッカーも付いていました。

片瀬江ノ島駅周辺には、江ノ島などを眺めることが出来る人気の海水浴場である片瀬西浜海水浴場や片瀬東浜海水浴場があり、片瀬江ノ島駅からすぐ行くことが出来ます。

後は新江ノ島水族館や江の島への最寄り駅でもあり、竜宮城がイメージされた駅舎が特徴となっています。

北千住と片瀬江ノ島を結ぶロマンスカーは、1月1日にメトロニューイヤー号と、このメトロ湘南マリン号となっているけど、メトロニューイヤー号が、北千住発片瀬江ノ島行きのみとなっているので、片瀬江ノ島から北千住へのロマンスカーは、メトロ湘南マリン号が唯一となっています。

60000形MSE車の片瀬江ノ島乗り入れは、土休日の2往復(えのしま11,12,75,92号)で、付属の4両編成(60051Fまたは60052F)が使われています。

新宿〜相模大野間では、11,12号はあさぎり号(御殿場発着)、75,92号はさがみ号(小田原発着)と連結されています。

メトロ湘南マリン号の表示は、全て白文字っなっていました。

片瀬江ノ島行きの特急は藤沢駅で方向転換(スイッチバック)が行われる関係で、藤沢→片瀬江ノ島間で、切妻・貫通型先頭車が先頭となります。

片瀬江ノ島発着の特急が基本的に展望席なしの30000形EXEと60000形MSEで運転されている理由は、藤沢駅でのスイッチバックで、運転士さんの入れ替わりを容易にする為だからであります。

30000形EXEの場合は、新宿〜相模大野間で10連がメインとなっているので、新宿〜相模大野間で切妻・貫通型先頭車を見られるのは、60000形MSE車のほうが確率が高いです。

現在定期の地下鉄直通特急は、平日、土休日共に、10両編成で運転されているので、6両編成での地下鉄乗り入れは、臨時特急または4連1本が車両点検等で使えない時(6両代走)に限定されています。

代々木上原駅は、外側に小田急線、内側に千代田線が入っている2面4線の高架駅であり、1977(S52)年10月に高架化されていました。

営団地下鉄東京メトロ千代田線との相互乗り入れが開始されたのは、1978(S53)年3月31日の代々木公園〜代々木上原間の開業(千代田本線の全線開業)の時からで、それまでの間は、代々木八幡駅が、千代田線の代々木公園駅との乗換駅扱いとなっていました。

当時の小田急線との直通運転は、日曜・祝日を除いた日に、本厚木まで、準急扱いで行われ、営団地下鉄が、小田急線直通運転に対応した6000系の6102F以降の編成、小田急電鉄9000形(6+4編成)が使われていました。

小田急9000形は、1972(S47)年に導入された初代千代田線乗り入れ対応車両で、1978(S53)年から1990(H2)年まで千代田線直通で活躍し、2006(H18)年にラストランを迎えていました。

小田急9000形のうち、晩年4+4の8両編成で使われていたトップナンバーの9001号車は、喜多見の車両基地で静態保存されているけど、2006(H18)年の海老名でのイベント以来公開されていない状態となっています。

2代目の千代田線直通車両は、1000形で、1990(H2)年から2010(H22)年までの20年間活躍し、1992(H4)年に導入されていた10両固定編成が最後まで千代田線直通対応で残されていました。現在は地上線専用に転用され、千代田線直通の小田急車(通勤型車両)が新4000形に統一されています。

MSEがデビューした頃は、新4000形のほか、1000形も混在していました。

現在千代田線直通の通勤電車は、小田急新4000形による朝の本厚木発着の準急を除いて全て唐木田発着(多摩急行または急行)となっているので、東京メトロの車両(6000系,06系,16000系)による新百合ヶ丘〜本厚木間での運用は、代走が行われない限り見られなくなっています。

MSEは、日本初となった地下鉄乗り入れ有料特急として話題となったけど、それを生かした臨時列車が運転されることは嬉しいことだと思います。

この後、幡ヶ谷を経由して初台まで歩き、ここから京王バス(渋63系統、日野レインボーHR)で中野まで行き、ハロコンの会場推しをしました。この後一旦帰宅し、早稲田電停まで歩いて行きました。

中野駅前ではな・ん・と、京王バス100周年記念のリバイバルカラーによる三菱ふそうエアロスター(QKG-MP37FK、A31304、練馬200か26-98号車、中野営業所所属)を撮影することが出来ました。新型なのに毛筆体の京王帝都の文字が入っています。前面には京王帝都電鉄時代のロゴマーク(通称バンザイマーク)が入っていました。あとはKTRの表示も入っていたし。

早稲田では、8809号車(オレンジ色のあや電、あいりん)による貸切車を撮影したけど、ヘッドマークが付いていなかったです。

8805号車で大塚駅前まで行き、ここから山手線、京浜東北線を乗り継いで浜松町まで行きました。

浜松町のサテライトプラスで行われた、Tokyo Cheer2 Party(チアチア)の3周年記念&くるみんこと平山くるみ氏の卒業イベントに行ってきました。

セットリストは、

M1 届け!エール愛言葉

M2 RISE

自己紹介

M3 ガムシャラスピリッツ

M4 パパへ キセキノウタ

M5 カタタタキノウタ

MC(一人一言、3周年挨拶)

M6 夢に向かって…

M7 恋の距離

M8 はっぴーハッピー

告知

M9 キミスキ

M10 ありがとちゃん

くるみんの卒業式

M11ステキな日曜日

M12君って(くるみんのソロ、西野カナ氏の曲のカバー)

M13 SMILE

M14学びの道(For.くるみん)

サプライズ発表
(Tokyo Cheer 2 Party・5月6日 日本青年館公演決定!!)

M15 RISE

この後、無料全員握手会と有料の個別握手会が行われていたけど、自分は、無料全員握手会のみ参戦していました。

自分(しゃもじ)は基本的に全員握手会に参戦するほうなので、今回は参戦しなかったけど、しゃもじが個別握手会に参戦するのは、個別握手会しか行われない時くらいで珍しい状態となっています。

くるみんこと平山くるみ氏のほうは、全員握手会の最後のほうと、個別握手会に出ていたけど、な・ん・とくるみんの大好きなアニメである銀魂の神楽ちゃんの赤いコスプレ姿で表れ、最後の花道を飾っていました。

もちろんくるみんには、これまでお世話になりました、これからも頑張ってね!と声を掛けました。

花道を作ってくるみんを送り出すという企画もあったけど、くるみんを笑顔で送り出してあげることに成功しました。

くるみんは、アニメの大ファンで、アニメの声優さんになるのが夢だと言っていたので、その夢が叶うといいなと思っています。

全員握手会では、3周年おめでとうなどと話したけど、今月10日に17回目の誕生日を迎えていたさやこと桝元沙耶氏からは、誕生日のコメントありがとうと言われました。

カタタタキノウタの時には、な・ん・と中西悠綺氏などのメンバーが客席スペースまで来て、チアチアファミリーの肩を叩いていたけど、今回も中西悠綺氏に叩いて貰いました。

この時にチアチアの青いTシャツを着て参戦していたけど、握手会で中西悠綺氏に似合ってると言われました。

浜松町でのチアチアイベントに参戦したのは、7月7日の七夕イベント以来で、それまでの間は、一部のメンバーしか出てこない対バンライブが続いていました。

未だ先のことだけど、来年5月6日に、日本青年館でチアチアのワンマンライブが決まった時は、嬉しく思いました。この日は祝日(振替休日)なので、参戦する予定でいます。

握手会で、メンバーからも青年館来てねと言われていたし。

そのサプライズ発表があった時には、な・ん・と、それを祝うかのように、緑の山手線が通過していたのであります。

日本青年館の周辺にある国立競技場の改築計画(2020年の新東京オリンピックの招致)により、建設予定地が都立明治公園や日本青年館にも及ぶ為に、現在の日本青年館が国立競技場と共に来年に閉鎖、取り壊される予定なので、現在の日本青年館最後の思い出をチアチアと共に築き上げていくことになります。

目指せ満員ということで気合いが入っている状態となっています。

今年1月6日に中野区のなかのZERO小ホールで行われていたチアチア初のワンマンライブ(自分(しゃもじ)も参戦していた)では、昨年8月に発表されていました。その時に、初夏にビクターからメジャーデビューするという発表もあったし。

今年10月には、チアチアのメジャー2枚目のシングルである、「いいじゃん」が発売される予定で、9月1日から、ツアーが開始されます。

いいじゃんという曲も、その名の通りいいじゃんと思えるくらいの曲になることを期待しています。

後は、4期生の加入によりパワーアップされる予定となっているし。

一昨日のイベントは、チアチアの3周年やくるみんの卒業を祝うことが出来たので、行けて良かったと思っています。

会場には、個別握手会の終了、くるみんによる最後の挨拶の時までいました。

くるみん、2年3ヶ月間お疲れ様でした。これからも夢に向かって頑張ってもらいたいですね!

チアチアのほうも、4年目もくるみんの分まで頑張ってもらいたいです。

東京メトロ千代田線の北綾瀬支線で、6000系の第一次試作車である6000ハイフンこと6000-1Fが使われていたので、北綾瀬までそれに乗ることが出来ました。

千代田線の北綾瀬支線は、元東西線の5000系アルミ試作車の5951,5952Fと、この6000ハイフンの3編成で、ラッシュ時以外は、1編成での限定運用となっているので、6000ハイフンに当たって良かったと思っています。

6000ハイフンは、1968(S43)年に、チョッパ制御の試作車として、6000-1,6000-2,6000-3号車の3両が、汽車製造(1972(S47)年に川崎重工業に吸収合併されている)で試作され、3両異なるチョッパ制御搭載の上で、東西線の地上区間などで試運転が行われていました。

1978(S53)年にはVVVFインバータ装置が試験的に搭載された上での試運転が行われ、翌年の1979(S54)年12月20日北綾瀬支線の開業(綾瀬車両基地への出入庫線の一部の旅客線化)により、北綾瀬支線専用車として使われるようになり、足回り品が5000系と同様の抵抗制御に改造されていました。

1994(H6)年には冷房化及び車体更新が行われ、台車が東西線の5000系の廃車発生品に交換されていたし。

冷房化された後も、抵抗制御のままとなっている理由は、地上区間のみでの運用で問題ないからであります。これにより、東京メトロで唯一の抵抗制御車となっているし。

前面スタイルは、前面の傾斜が緩い、ワイパーが1本しかないなどと量産車と異なる点があります。

側面の窓は、千代田本線の6000系初期型車の一部と同様の田の字型の2段窓となっているので原型が保たれています。

こちらは、元東西線の5000系と共通運用となっているので、どれに当たるかは運次第となっています。

東京メトロ元年であった2004(H16)年12月23日には、千代田線開業35周年及び北綾瀬支線開業25周年記念として、6000ハイフンが、湯島〜北綾瀬間で特別運転され、普段走ることがない地下区間を走っていたことで話題となっていました。

北綾瀬支線では、今後北綾瀬駅の10両編成対応化及び元東西線の初期型05系3両2編成の北綾瀬支線への転用(7月6日に中野から綾瀬まで甲種輸送されていた)ことにより、これらの車両の動向が気になります。

綾瀬駅は、2面3線の地上駅で、1971(S46)年4月20日に千代田線の綾瀬〜北千住間の開業及び国鉄(現、JR東日本)常磐緩行線との直通運転(千代田線直通へのシフト)が開始される前は、国鉄管理の駅で、上野方面への直通運転が行われていました。

綾瀬駅の1,2番線(代々木上原方面乗り場)の亀有(北綾瀬)寄りには、北綾瀬支線専用の0番線があるけど、千代田線の本線からの乗り換えでは、階段を下りる必要があります。

北綾瀬支線は、綾瀬と北綾瀬の間を約4分で結ぶ路線で、途中の中間駅がない状態となっているし。

北綾瀬駅は、環七通りと交差した1面1線の地上駅で、地上駅ということを生かして、屋根上での太陽光発電が行われています。

この6000ハイフンに乗ったのは、2010(H22)年11月28日以来でした。

綾瀬でMSEの回送を撮影した後、町屋まで行き、荒川車庫前まで歩いて行きました。この後、7016号車に乗って帰りました。

次にさゆ、あやちょ、りなりな、佐保ちゃん、しょこりんと握手出来るのはいつになるんだろう?