大塚駅前、ひたちなか海浜鉄道

この日は、大塚駅前での都電の撮影、ひたちなか海浜鉄道の乗車に行きました。

ルート 目白〜大塚〜日暮里〜土浦〜勝田〜日工前〜勝田〜日立〜勝田〜那珂湊〜阿字ヶ浦…阿字ヶ浦温泉…阿字ヶ浦〜勝田〜水戸〜日暮里〜目白

まずは、大塚駅前で、新春ヘッドマーク付きの都電9001号車(臙脂色のまろ電、ねねち)を撮影しました。

今月1日に9002号車(青色のまろ電、ねねち)に付いていたピンク地の賀正ヘッドマークは、9001号車に移されていました。

この時に7022号車(元祖黄色い都電、カレー電車)との離合シーンも見ることが出来て良かったです。

あとは、9002号車(青色のまろ電、ねねち)による新春ヘッドマーク付き電車、赤帯の7001号車、幸せの黄色い都電(ハニー色のあや電、りなちょ、きなりん)の8810号車なども撮影しました。

以前は、撮影出来る場所が駅舎側に限られていたけど、駅前広場整備により歩道が増設されたことで、裏側でも撮影することが可能となっています。

8810号車は、大塚駅の南口にある駅ビル(アトレヴィ大塚)の4階の都電の見えるスペースでも撮影しました。

この後、土浦まで移動し、E657系によるフレッシュひたち36号を撮影しました。この時に使われていた編成はひたち号50周年ステッカー付きのカツK5編成でした。

この後、勝田乗り継ぎで日立まで行き、E653系の11両編成(カツK308+K353編成)による臨時のフレッシュひたち92号(高萩発上野行き)を撮影しました。

この列車は、1月3日と4日に、全席指定で運転され、途中、日立、常陸多賀、大甕、東海、勝田、水戸、友部、石岡、土浦、柏に停車していました。

E653系の7連は、羽越線特急いなほ号に転用されることになるので、これが最後の運転だと思われます。

今回ひたちなか海浜鉄道に乗りに行く前に撮影出来て良かったなと思いました。

日立までの往復には、415系1500番台に乗りました。

日立駅は、3年前に橋上駅舎に改築され、震災後の復旧と共に使用開始されていました。

大甕駅は、2005(H17)年3月末をもって廃止された日立電鉄線への乗り換え駅で、跡地は駐車場となっていました。日立電鉄線は、常北太田と鮎川を結んでいた路線で、晩年2000形と3000形(元営団2000形)が活躍していました。そのうちの3023号車(元営団2120(2119)号車)は、旧塗装で、日立市にある某鉄道模型店で保存されています。

日立電鉄線では、鐘の音の踏切が数箇所あり、桜川駅もこうなっていました。桜川駅は、関東の駅百選で選ばれた駅で初めて廃止された駅となっていました。

石岡と鉾田を結んでいた鹿島鉄道線が廃止されたのは、その2年後の2007(H19)年3月末のことでした。こちらはかつての筑波鉄道線(土浦と真壁を結んでいた路線で、国鉄の最終日と同じ日に廃止されていた)と共に、関東鉄道から独立したローカル線で、つくばエクスプレスの開業に伴う減収により、親会社の関東鉄道による支援が打ち切りとなり、止む無く廃止された路線でありました。鹿島鉄道線の石岡駅およびその車庫の跡地は、更地となっています。

鹿島鉄道線の線路跡のうち、石岡〜常陸小川間は、茨城空港百里飛行場)へのバス専用道路(かしてつバスの専用道)として転用されています。

かしてつバスは、関東鉄道の子会社である関鉄グリーンバスによって運用されている鹿島鉄道線の代替バスの愛称であります。

鉾田駅跡には、鹿島鉄道線で活躍していた2両(KR505号車とキハ601号車)が保存されていたけど、現在はほっとパーク鉾田に移されています。 鉾田駅も関東の駅百選に選ばれていた駅であったし。

KR501、キハ714、キハ431号車は、鹿島鉄道記念館で保存されているけど。

日立電鉄線、鹿島鉄道線が廃止された時は、どちらも凶方位だった時だったので、凶方位でのラストランが非常に多い状態なのでもううんざりです。

勝田から日工前までは、ひたちなか海浜鉄道のキハ205号車(元国鉄→JRキハ20形、水島臨海鉄道)で移動しました。こちらは一昨年12月16日に乗った時と同じ車両でした。

日工前から勝田までと勝田から那珂湊までは、元三木鉄道のミキ300形(ミキ300-103号車)で移動しました。今回乗った運用は、昨年3月16日に土休日ダイヤに新設された那珂湊〜勝田間の1往復のみの運用で、金上駅で交換が行われていたので、日工前で乗ったのであります。 この車両には、新春ヘッドマークが取り付けられていました。

ミキ300-103号車は、1998(H10)年に、スバルでおなじみの富士重工業で製造された車両で、104, 105号車もありました。 2008(H20)年3月31日(奇しくも茨城交通湊線としての最終日でもあった)に三木鉄道三木線(兵庫県の厄神と三木の間を結んでいた路線)が廃止されたことにより、104号車は北条鉄道(同じ兵庫県)、105号車は樽見鉄道岐阜県)に譲渡され、保存前提で置かれていた103号車がひたちなか海浜鉄道に譲渡されていました。

エンジンは、UDトラックス(旧、日産ディーゼル)製となっているし。

那珂湊では、銚子電鉄との提携記念入場券(硬券セット)を買いました。銚子電鉄側でも仲ノ町駅でそれを買ったので、売り上げに貢献したことになりました。

那珂湊から阿字ヶ浦までは、キハ2004号車(元留萠(留萌)鉄道、北海道)で移動しました。こちらは、キハ2005号車(島原鉄道風三本ヒゲ塗装)と同型だけど、国鉄準急色(黄色に赤帯)となっていました。阿字ヶ浦では、夕焼けをバックに撮影することが出来て良かったです。

これらの気動車が活躍していた留萠鉄道炭砿線は、留萌本線恵比島駅(北海道雨竜郡沼田町)と昭和駅を結んでいたローカル線で、1969(S44)年に営業休止、1971(S46)年に廃止されていました。

留萌本線恵比島駅は、1999(H11)年4月5日から10月2日に放送されていたNHKの朝の連続テレビ小説すずらん」で、明日萌(あしもい)駅として使われていたことで有名となっていました。

廃線後に2両共に茨城交通に譲渡され、ひたちなか海浜鉄道に移管された今でもイベント用として活躍しています。

こちらは元羽幌炭礦鉄道のキハ222号車(こちらもキハ22形ベースで製造されていた)と同様に、北国育ちの気動車であり、冷房装置が付いていない為に、夏場は真夏の暑いレトロ列車で使われる時以外は、那珂湊車両基地で寝ている状態となっています。

ひたちなか海浜鉄道では、普段は3710形(茨城交通湊線時代に導入された車両)やミキ300形と言った軽快気動車を使い、イベントの時に旧型気動車を走らせるという状態であり、土休日には、週末列車のコーナーで運用予定が分かります。

キハ205号車は、水島臨海鉄道時代に冷房化された旧型車で唯一の冷房車で、それ以外の旧型車は非冷房車となっています。

昨年の8月11日と18日には、キハ205号車と非冷房車のキハ2005号車による湊線真夏の暑いレトロ列車が運転されていました。こちらは窓を全開にし、車内にある栓抜きを使って車内販売されたビン飲料で涼しさを味わうという試みとなっていたし。

以前は茨城交通湊線によって運転されていたけど、茨城交通の経営難により、新設分割され、切り離された鉄道部門(湊線)がひたちなか海浜鉄道ひたちなか市茨城交通による共同出資の第三セクター鉄道)によって再建されていたのであります。茨城交通は完全なバス会社となっていたし。

阿字ヶ浦では、行きつけの阿字ヶ浦温泉のぞみに入りました。

ひたちなか海浜鉄道では、今年10月1日に、中根〜那珂湊間の国道245号線との交差地点(ひたちなか市田中後、中丸川橋梁付近)に、高田の鉄橋駅が新設される予定で、昨年12月15日に行われていた湊線100周年記念式典で発表されていました。

銚子電鉄との姉妹鉄道提携調印式もその後に行われていたし。

湊線が実際に開業100周年を迎えていたのは、昨年12月25日のクリスマスでした。

高田の鉄橋駅は、1962(S37)年4月1日の日工前駅以来の52年半ぶり(ひたちなか海浜鉄道に移管されてから初めて)の新駅設置となります。

205番は、℃-uteなっきぃこと中島早貴氏の生誕番でもあります。 ひたちなか海浜鉄道では、℃-uteの「君は自転車 私は電車で帰宅」のPV撮影で使われていたことの縁もあるし。

阿字ヶ浦から勝田、水戸、日暮里乗り継ぎで帰りました。

この日は、中野サンプラザハロプロの公演が行われていたけど、4年前の悲劇を思い出しました。

早くさゆやTokyo Cheer2 Party(チアチア)の4期生と握手したいです。これだと初握手が大幅に遅れていたモーニング娘。の10期メンバーの時の二の舞となってしまうことが懸念されます。

次にさゆ、あやちょ、はるなん、りなりな、佐保ちゃん、まみたん、しょこりんと握手出来るのはいつになるんだろう?